今日はマジな話をします。

この問題は僕がずっと避けていた話題であり、出来ればそのままずっと触らずに居たかった命題なのですが、最近、欧米機関投資家の風向きが変わってきていることをひしひしと感じるので、向き合わざるを得なくなったのです。

僕が初めて中国株やロシア株に投資しようと決心したとき、それらの市場が持ついろいろな問題と折り合いをつける必要がありました。

例えば会計基準の違い、受け渡し等事務的な問題、少数株主権の行使や企業統治の問題などがそれです。

なかでもいちばん答えが出しにくかった問題は「真のデモクラシーが無い国の株式市場に本当に投資して良いのか?」という問題です。


そういうと:

(アホか、こいつは!そんなのOKに決まっているじゃん。)

という答えが返ってきそうです。

「ロシアは真のデモクラシーではないけど、ロシアという国に必要なのは賢くて強い指導力を持ったリーダーだ。」

「中国では政治的な自由はかなり束縛されているけど、経済は別物。ちゃんとそれらを両立させる能力が中国人には、ある。」

上に書いたような考え方は広く欧米のインベストメント・コミュニティーのコンセンサスになっていました。

しかしここ半年くらいの間に「心境の変化」とも言うべき兆候が表れているのです。別の言い方をすればそれらの市場に要求される政治的なリスク・プレミアムが上がったということです。

なぜそうなったのか?

これはとても難しい問題です。でもロシアや中国が変わったというよりも、欧米の機関投資家が置かれている境遇そのものが激変したことが彼らのモノの考え方に影を落としているという言い方が出来ると思います。

即ち金融危機以降、英国や米国ではヘッジファンドや投資銀行に代表される金融関係者に対する風当たりが強くなりました。

「問題を引き起こしたのは彼らであり、罪のない一般大衆がその巻き添えを喰った。だから金融関係者の活動は厳しく監視、制限するべきだ」

そういう世論が高まりました。

金融関係者は(なぜわれわれは、こうまで世間から嫌われ、糾弾されるのだろう?)と自省すると同時に、自分達が信じてきた価値観の再検証するときがきたと感じています。

つまり信念の揺らぎ、ある種のアイデンティティー・クライシスのようなものに陥ったわけです。

その結果、ウォール街の関係者の中には金融機関の持つ社会的な責務によりコンシャスになり、或る種社会主義的な価値観に傾倒する人たちも沢山出ました。

それとは反対にヘッジファンドや投資銀行の活動への規制強化に徹底的に反発する人も沢山出たのです。

そうする間にも景気テコ入れという目的のために政府部門が一国の経済に占める割合をどんどん増していきました。これに対して「大丈夫だろうか?」という漠然とした不安も膨らんできています。

人々は考え方のよりどころを求めるために先人の著作を手に取る機会も増えました。

最近の「アイン・ランド・ブーム」なんかもそういう物思いに沈んだウォール街のムードの中から出てきた流行なのだと思います。

経済の現場ではケインズ的な処方を各国の政府がまっしぐらに適用する一方で、「大きな政府」のガバナビリティ(統治力)の問題はギリシャの例を挙げるまでもなく眼前に差し迫ったリアルな問題として我々の前に立ちはだかっているのです。

つまり世界の金融界があたかもセピア色の1940年代のニュース・リールを観るようなイデオロギーのバトルの真っただ中にあるのです。

具体例で言えばロンドンのメイフェア(=ヘッジファンドの本山)ではEU(欧州連合)によるヘッジファンド規制に対して決死の抵抗が試みられているし、ウォール街はボルカー・ルールを切り崩す工作に奔走しています。

こうしたせめぎ合いの中から、例えばマーガレット・サッチャーの時代に対する郷愁や、ハイエクやアレクシス・ド・トクヴィルの思想を回顧する動きが出ているというわけです。

さて、翻ってロシアや中国のマーケットを彼らが見直してみると、いま必死になって守ろうとしている自由市場主義の魂の部分がそれらの国からすっぽりと欠落していることは誰の目にも明らかです。

酔った勢いでアパートに連れてかえったオンナを一夜明けて見てビックリというのに似た、或る種の覚めがおきているというわけ。