医療保険改革法案に関する下院の投票が先ほど実施され、去年の12月に上院で可決された「上院案」は賛成219、反対212で可決されました。(ホワイトハウスと下院による修正案の投票はこの後、速やかに投票に移ります。)

この票決の持つ意味は次の通りです:

1. 本法案は医療コスト削減より弱者救済を主眼としている
2. 裕福層から低所得者層へ、大企業から小企業へと「富の移転」が図られる
3. 「何も決められない議会」が面目を取り戻し、オバマ政権は勢いを盛り返す
4. 新金融規制法案(ボルカー・ルール)が勢いづく可能性がある

先ずこの法案で実際になにが変わるのかを整理し直したいと思います。

【すぐに導入される事柄】
新制度下では保険会社は被保険者が重い疾患に罹ったからといって、その被保険者を除外することはできません。また保険会社の負担が増えたからという理由でその被保険者が受けられる治療に上限を設ける(lifetime caps)ことは出来ません。

米国では大学を出たての若者が就職するとき、就職先が無かったり、仮に職を得てもその会社が医療保険を提供していなかったりして、医療保険に入れないケースが出ています。その問題を緩和するために26歳の誕生日を迎えるまでは親の医療保険プランに扶養家族扱いで含めてもらうことが可能になります。


次に新しい制度下では感冒の予防注射などの、所謂、予防(preventive care)のための医療支出に関しては、保険会社がこれを全額負担しなければならないとしています。但し、既存の医療保険に関しては2018年までこの義務は猶予されます。

従業員数が25人以下の小企業で、なおかつ社員の平均給与が5万ドル以下のところは、企業がスポンサーする医療保険の保険料コストの35%までを税控除扱いにします。

被保険者と保険会社が医療保険の払い戻し請求に関して論争になった場合、政府のオンブズマンが調停に入ることが定められます。

【猶予期間の後、2014年から導入される事柄】
2014年以降、年間所得3万ドル以下の家庭はメディケイドが医療保険を提供します。年間所得が3万ドル以上、8.8万ドル以下の家庭は医療保険に加入することが義務付けられますが、医療保険負担が多くなりすぎないように、年間所得の3%を超える部分は政府が税控除をするなどで支援します。

こうして誰もが医療保険に入れる機会を与えたわけですから、逆にそれでも医療保険に入ることを拒む国民に対しては年間所得の1%ないし$95のうち、どちらか多い方の金額をペナルティ(課徴金)として科します。

2014年以降、保険会社は既往症のある被保険者を拒否することはできません。それまでの暫定措置として既往症があり、保険に入れなくなっている国民には「疾病にかかるリスクの高い被保険者のための基金」を国が設置して彼らを支援します。

従業員50人以上を雇用する企業で医療保険を提供していない企業については従業員一人当たり2000ドルのペナルティを科します。さらに従業員200人以上を雇用する企業は全ての従業員に医療保険を提供することを義務付けます。

【いま存在する医療保険の扱い】
現在既に医療保険を提供している企業や医療保険に加入している個人については今回の医療保険改革法案は適用除外(grandfathering)とし、今まで通りのプランを維持する事が出来ます。

【だれが負担するのか?】
年間所得20万ドル以上の納税者に対しては2013年から3.8%の増税が実施されます。また保険会社、製薬会社、医療機器メーカー、大企業などもこの法案で負担が増えると言われています。米議会予算局(CBO)は向こう10年にわたって9500億ドルのコストがかかると試算しています。また米議会予算局は新規の収入やコスト削減効果の表れで「医療保険改革法案の導入は結局、米国の財政赤字は1380億ドルほどの削減につながる」ともコメントしていますが、その試算については懐疑的な見方も多いです。

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次に本法案がマーケットに与えるインパクトについて考えます。

今回の医療保険改革法案は先週の前半(3月15日頃)は「通過する可能性は低い」と思われていました。しかし米議会予算局によるコスト試算の結果が発表されて以降、賛成派が俄然勢いを増しました。その意味では予想外の展開だったと評する事ができると思います。

【ヘルスケア関連株へのインパクト】
米国のヘルスケア関連株、具体的には病院、保険会社などのヘルスケア・プロバイダー、製薬会社、医療機器メーカーなどにとっては極めて重要な立法ですので、投資家はかなりその動向に注意を払っていたと言えます。

これらの企業にとっては一見、今回の立法はネガティブのように見えるのですが、実際には3100万人の被保険者が新たに作り出されることで病院や薬に対する需要は増えることが予想されますので、あながちネガティブ要因ばかりではないという見方もあります。

もっとあからさまな言い方をすれば、オモテでは心配そうな表情を作っておきながら、ウラではひそかにほくそ笑んでいる、、、そういう理解も出来るということです。

実際、米国政府は低所得者層への医療保険の拡充を促進するために9500億ドルのコストを「持ち出し」にするわけですから、予算のパイは増えたと考えることも出来るのです。

その半面、コスト削減のための具体的な保険会社、製薬会社、医療機器メーカーへの締め付けという点では実のある改革は殆ど盛り込まれていません。

つまり競争の激化と言うより社会的弱者への権利付与(entitlement=ばらまき)という色彩が濃いです。

従ってヘルスケア関連株に対するネガティブ要因は余り大きくないのかも知れません。

【一般企業、FX市場、金融機関へのインパクト】
さて、一般企業、FX市場、金融機関などに対する影響を次に考えてみましょう。

先ず一般企業、とりわけ大企業にとっては今回の立法は負担増加につながると思われるのでネガティブです。

一方、小企業にとってはこれまで思い負担となってきた医療保険の提供に関して政府からの支援が増えるので朗報です。

米国の雇用市場を見ると最近の傾向として大企業の雇用より中小企業の方が雇用創出力が高いし、フリーランスなどの非伝統的就業形態も増加の傾向にあります。

するとそれらのスモール・ビジネスを医療保険の面から支援することは巨視的に見た米国の雇用市場の変化に照らして理に適ったアプローチであると評価できます。

既にアメリカでは401(k)という制度を通じて企業年金のポータビリティー(勤め先が変わっても、自分の年金を「持って行ける」こと)が実現しています。しかし医療保険に関してはポータビリティーが無かったので、これがサラリーマンにとってリスクになっていました。その意味では今回の立法は「労働市場の流動化の流れに追いつく」という意味合いがあるのです。

また米国の財政は一段と悪化すると思われるのでこれを手掛かりにドル売りを仕掛ける筋が出てくる可能性もないとはいえません。また今回の医療保険改革法案は格差の是正という面から考えれば「ポピュリスト的だ」と形容することも出来、それはウォール街の立場からすれば「好ましくない風潮が勢いを盛り返している」という風にも解釈されうるでしょう。

さらに困難を極めた医療保険改革法案が成立すると米国議会ならびにオバマ大統領は俄然、勢いに乗ると思われます。そこで返す刀で新金融規制法案(ボルカー・プラン)に着手するというシナリオも気をつける必要があります。医療保険改革法案は極めて巨大な法案であり、議会はこれにその労力の大半を消耗してきたことを考えると、その負担が取れただけでも議会の機動力は格段に増すわけです。

その意味でメガバンク株はもう一度売られ直すなどのシナリオが出てこないとも限らないでしょう。