ボーナス・シーズンは投資銀行の社内の空気がピンと張りつめる季節です。

日本の会社と違ってウォール街では基本給よりボーナスの方が多いのが普通です。

基本給は新人も「Producers」と呼ばれる会社の売り上げに多大な貢献をする中核的社員もあまり大差ありません。

しかしボーナスで大きく差がつくのです。ふつう基本給の3倍程度から、場合によっては10倍くらいがボーナスによる支給になります。

入社した年次で横並びとか、そういう事はゼッタイにありません。

ボーナスの支給額は、だから会社が自分をどれだけ評価して呉れているかの何よりの証しであり、その意味で通信簿を渡されるのと同じです。

ボーナス・シーズンになると社員は個別で部長の部屋に呼ばれてその年のボーナスの金額を言い渡されるとともにその年の仕事ぶりに対するコメントや注意を受けます。

トレーディング・ルームで僕の向かいに座っていた友達のグレッグが失踪した、ある年の出来事は忘れません。


その日、僕の順番が終わって、僕は営業部長からグレッグを呼んでくるように言われました。

「グレッグ、君の番だよ。」

グレッグが営業部長の部屋に入って2分と経たないうちに「ウォーッ!」という奇声が聞こえたかと思うと黒いたつまきのような疾風がトレーディング・ルームを駆け抜けました。

トレーダー達がその尋常でない気配に気づいて顔を上げた瞬間、「ばあーん」という轟音とともにトレーディング・ルームの入り口のマホガニーの重厚なドアがぶち破られました。

まるでワーナー・ブラザーズのコミック、『ルー二ー・トゥーンズ』に出てくるロード・ランナーのようにグレッグがドアを体当たりでぶち破って飛び出して行ったのです。
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(イラスト出典:ウィキペディア)

蝶番が外れたマホガニーのドアがぶら下がっています。セキュリティの警報が「ウー・ウー」と鳴っています。赤い非常灯がクルクル回っています。

「たいへんだ、グレッグの奴、7番街に飛び出して自殺するぞ!」

その声を聞いたとたん、グレッグの秘書は跳ねるように席を立ち、グレッグの後を追いました。

グレッグはコロンビア大学のアメフト部のキャプテンを務めていた男です。そうは言ってもコロンビア大学のアメフト部は伝統的にアイビー・リーグのアメフト部の中で一番弱く、万年最下位チームです。

すっかり負け犬が板に付いたチームの中で、グレッグだけがいつも元気が良く、(アイツちょっとあたまがヘンじゃないの?)と学内で評判の男でした。

結局小一時間ほどして秘書に抱きかかえられるような格好で、ぐちゃぐちゃに泣き腫らした顔をしたグレッグが帰ってきました。

この顛末を聞きつけたCEOが「グレッグ、ちょっと来い!」といって上の階によびつけました。

驚いたのはその翌日です。

新しい社内人事が発表され、営業部長は降格され、新しくグレッグが営業部長に抜擢されたのです。

これには僕も驚きました。

でもいちばん驚いたのはグレッグ本人だと思います。

いま彼はバンク・オブ・アメリカ・メリルリンチで副会長という大仰な肩書を貰っています。