欧州連合(EU)の統計局であるユーロスタットが「去年のギリシャの財政赤字はギリシャ政府の公表数字より実際はずっと大きかった」と爆弾発言しました。

これで世界の投資家は「もうギリシャの言う事は信じられない!」と呆れています。

欧州連合は喩えて言えば、結婚して何年か経った後、倦怠期に入った夫婦みたいな状態になっています。

結婚当初のアツアツムードは消え失せ、一緒に居るメリットよりデメリットの方が多くなっているのです。

欧州は2つの世界大戦を経験しました。欧州連合はその教訓から編み出された欧州の人々の知恵なのです。

その背景を考えるために第一次世界大戦後のドイツ、つまりワイマール共和国の頃に遡りたいと思います。

1920年頃、敗戦国のドイツは第一次世界大戦の賠償金の支払いを要求されました。しかし戦争で国が疲弊していたので第一回目の支払いだけは何とか約束を果たしたものの、その後はもう払えなくなってしまいました。

そこでフランスは借金のかたにドイツの鉄鋼の生産拠点、ルール工業地帯を占領します。

ドイツはただでさえ経済が疲弊しているところへ国の経済の心臓部であるルール工業地帯を持って行かれたので経済のエンジンを失いました。

各地でストライキがおこりました。

労働者の給与はストライキ中でも支払わないといけないことから政府はどんどんお金を刷り、これが1兆倍というハイパー・インフレーションを招きました。

ということは折角、仮に今の日本円で1億円くらいの貯金を一生懸命貯めた人でも1兆倍のハイパー・インフレではキャッシュでお金を貯金していたら一文無し同然になったわけです。

ドイツの中産階級は壊滅的な打撃を受けたことは言うまでもありません。

これはドイツでは後々までトラウマとなってドイツ人の心に深く刻まれています。

その後、ドイツはアメリカからのファイナンス、つまり支援で息を吹き返し、再び工業化の道を歩むわけですが、1929年のニューヨークの大暴落でアメリカからの支援が終わり、さらにアメリカの不景気で輸出品を買ってくれなくなると、余った工業力を軍事産業へと注ぎます。つまり軍国主義の台頭です。

こうして第二次大戦に入ってゆくわけです。

ここで強調したいのはルール工業地帯に代表される、その国の経済のエンジン、つまり生産力とそれを支援するファイナンスとは切っても切れない関係があるし、国の発展を考える上で重要なファクターだということです。

ルール工業地帯の占領はドイツのハイパー・インフレの直接の引き金になりました。

だからこのようにある国にとって重要な産業に関しては国家間の軋轢が生じないように皆が示し合せて調整しようということが第二次大戦の直後から欧州各国で議論されました。

そうして出来あがったのがECSC、欧州石炭鉄鋼共同体です。

これがこんにちのEUの母体になったのです。

つまりEUのルーツは石炭と鉄鋼に関する生産調整の組織だったという点です。

ECSCは第二次大戦終了後、わずか5年後に成立しています。

ECSCを運営するということはフランスならフランス一国が自国の利害のためだけに勝手に石炭や鉄鋼を好きなだけ生産してはいけないということを意味します。

加盟各国、たとえばドイツのような旧敵国ともちゃんと相談した上で生産計画を立てるということなのです。

欧州がECSCを必要とした理由は、たとえばドイツの場合、ECSCの生産割り当てに従うというルールを守れば、鉄鋼業をやってもいいということを意味したのです。

若し、この合意がなければドイツは「また軍需産業をはじめるのではないか?」という周辺国からの疑いの目で見られて、鉄鋼業を復活させることは出来なかったと思います。

さらにヨーロッパのどこでも鉄鋼業の立地に適しているわけではありません。石炭や鉄鉱石が必要だからです。

すると各国が独自に零細で非効率な製鉄業をはじめるより、ルール工業地帯のような立地の良いところでガンガン鉄鋼を生産し、それをヨーロッパ全体の人に使ってもらった方が戦争でボロボロになったヨーロッパ全体として復興が早くなるという利点があったのです。

第二次大戦後、欧州の最初の経済成長は主に破壊された工場やインフラや住宅を修復することからもたらされました。

戦争の期間中、産業はろくな先行投資を受けられず、資本に飢えていたため、チョッと資本を入れて新しい技術を採用するだけで生産性は飛躍的に伸びました。

欧州の奇跡の復興はこうやって始まったのです。
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アメリカは最初、ドイツの産業を復興させることにはためらいました。

でも第二次大戦後、急速に米国とソ連が冷戦の様相を呈してきたので、西ヨーロッパをその防波堤にしなければいけないという考え方が主流になり、ドイツへの積極支援が始まったのです。

復興のためには工業にちからを入れる必要があります。

でも欧州は戦争で資金が尽きていました。また産業が全面的に破壊されたので、モノを輸出して外貨を稼ぐことすらできません。そこで米国はマーシャル・プランという支援策を出します。
マーシャル・プランの考え方は先ず欧州が産業を復活させるためのもとでになる資本をアメリカが出そうというものです。

欧州はそのお金でアメリカから機械などの生産設備を買います。

またマーシャル・プランでアメリカからお金を受け取った国は価格統制をしてはいけないという約束にサインさせられました。

そして財政均衡を保つことも義務付けられました。

自由価格になると農作物その他の商品がより有利な値段を求めて市場に出回り始めました。(それまでは自分で作った作物は市場に出さず、農家が自分で蓄えていました。)

つまりマーシャル・プランはソ連の計画経済の対局に位置する価値観であり、経済政策だったのです。

1961年にベルリンの壁が立てられ、東ドイツから西ドイツへの人口の流入がストップするまでは西ドイツは沢山の労働者を東ドイツから受け入れました。

これが労働力や賃金の面でドイツの優位を保証したのです。だから景気が良くてもドイツではインフレが起こりにくかったのです。

農業から工業へと労働人口が移動するだけで国全体の生産性はどんどん向上しました。

長い間資本に飢えていた工業部門に資金を投下する、農業から工業へと労働人口が移動することで生産性がガンガンあがる、自由価格が保証されることでモノが市場に出回るようになる、、、これらのことは今の中国が経験していることとよく似ています。いや、そうではなくてむしろこれは何処の国の経済でも自然に見られる、当たり前の事なのです。

日本でも第二次大戦後、田舎から東京へと「金の卵」と呼ばれる若年労働者がどんどん出てくる現象が見られたのがその一例です。

まとめるとECSCというのはそもそも石炭・鉄鋼の生産調整の組織でした。

これがあったため、欧州はドイツが再びちからをつけても軍国主義化する心配をしなくて良かったのです。

またマーシャル・プランは工業化に必要なファイナンスをもたらし、財政均衡をもたらし、自由市場を確立しました。

このように当初は欧州の国々がちからを合わせて協力し合うメリットは絶大だったのです。

しかしその後、スターリンは死に、マーシャル・プランは終了します。

ベルリンの壁が倒壊し、ソ連が崩壊すると共産主義の脅威もなくなりました。

EUは少しずつ確実にメンバー国をふやしてゆきましたが現在では加盟国が27ヶ国と増えており、新しい国を加えることによる古いメンバーにとってのメリットはだんだん少なくなっています。

思えば第二次大戦の後、灰塵の中からヨーロッパが立ちあがろうとした時、ECSCという仕組みはどうしても必要だったし、この「呉越同舟」の約束から得られるメリットは絶大だったのです。また、「夫婦で仲良くします」という宣言をすることが、お金を出してくれるスポンサーであるアメリカからドイツやフランスが信頼を得る、唯一の方法だったのです。

いまユーロは結婚して何年か経ったのち、倦怠期に入った夫婦みたいな状態になっています。

最初の頃のエキサイティングなチャレンジは無いし、生産性や経済成長はじりじり落ちてきています。

一緒に居るメリットよりデメリットの方が多くなってきています。

戦争の記憶は風化しています。

共産主義の脅威は消えてなくなりました。

原理原則として、建前としてはギリシャを助けないといけないことが分かっていながら、ドイツは国民の理解を得ることがむずかしくなっています。

また通貨ユーロが売られるままに放置しておけばドイツの景気はどんどん良くなります。

だからドイツは困った顔を装いながら、裏ではこっそりシメシメと思っているはずです。

裏返して言えばEUは加盟国が多くなればなるほどメリットよりデメリットも多くなるし、自分達とは利害の異なる、カンケーない国々が増えるわけです。

するとEUは永遠に拡大し続けるという虚構はどこかで終わらないといけないのです。

ギリシャはIMFからお金を借りるとなるといろいろ厳しい条件を付けられます。

それでブーブー文句を言っているのです。

でもドイツをはじめとするEUのオリジナル・メンバーは皆、マーシャル・プランでいろんな条件をつけられ、それをバネにして経済をテコ入れしました。

つまり「しのぎ」を経験しているのです。

だから心の底では「みんなやってきたことだ。つべこべ言わず、シェイプアップしろ!」と思っているのです。