ウォール・ストリート・ジャーナルがトルコ共和国における「無血内戦」について詳細なレポートをしています。その詳細は背景がわからなければ読んでも理解しにくいと思うので、今日はなぜトルコでイスラム派と政教分離派(世俗派)のリーダーシップ争いが起きているかについて書きます。

トルコはむかし、オスマン帝国と呼ばれ一時はヨーロッパからシナイ半島まで勢力を誇っていました。

しかし第一次大戦の頃までには勢力が衰退し、「ヨーロッパの病人」と呼ばれていました。

そして1920年にはトラキアとエーゲ海諸島とイズミール地方をギリシャに、南アナドルとドデカネーズ諸島をイタリアに、キリキアと南クルデスタンをフランスに召し上げられた上、ボスポラス、ダーダネルス海峡を国際管理下へ置かれるという風にズタズタにされたのです。

そこにムスタファ・ケマルという指導者が現れ、ギリシャ軍、英軍、イタリア軍、フランス軍などを各個撃破し、トルコは1923年のローザンヌ条約により西欧と対等な独立国になったのです。

ムスタファ・ケマルは後にケマル・アタチュルク(建国の父)として国民からたたえられるわけですが、国民の大部分がイスラム教徒であり、てっきりイスラム国家を建国すると思われていたのが、意外や意外、国政からイスラム色を一掃し、政教分離の西欧的な新憲法を導入します。しかもアラビア文字すらも廃止してしまう徹底的な世俗化がすすめられました。

(蛇足ですがトルコはアジアの民としてはめずらしく、ちゃんとした立憲政治を目指し、そのお手本として日露戦争でロシアを破った日本という存在を常に強烈に意識してきました。ケマルの改革も日本をお手本にした面があります。だからトルコ人は大の日本ファンです。)


こうした改革はケマルのいささか独裁色の強い「指導」と、強力な軍部の後ろ盾によって実現したものです。

それ以来、トルコは西欧的なものを志向し、欧州との融和をはかりますが、欧州各国は常にトルコに対して距離を置いてきました。

その理由は過去の歴史的な経緯もあるでしょうが、それと同時に既に欧州各国に居住しているイスラム系国民の問題が、トルコをEUに招き入れる事で一層、紛争の種になると恐れたという面もあるのかも知れません。

いずれにせよトルコのEU加盟の夢は遠のき、しかも最近ではギリシャ問題に代表されるようにEUへの加盟のデメリットも目の当たりにされるに至り、トルコ国内ではイスラム的なものへの回帰の動きが出てきています。

ウォール・ストリート・ジャーナルが伝える、トルコ国内でのイスラム派と世俗派との争いはそういう状況を背景に起こっているのです。

イスラム派は国民の大半がイスラム教徒であることから当然、一定の支持を持っています。その一方で世俗派はケマル時代以来、強力な軍部のバックアップを得ています。トルコの軍部はつねに西欧的なものを志向し、進歩的です。

さらに付け加えておくとアメリカ軍を除けばトルコ軍はNATOで最も大きな軍隊でもあります。

これまでのところでは両派の抗争は紳士的で暴力を伴わないものですが、今後も節度を保った交渉が維持できるかはよくわかりません。

一歩下がってギリシャをはじめとする、「落ちこぼれそうな」EU加盟国を見まわすと、今後、脱落する国々も幾つか出てくる可能性が無いとは言い切れません。するとそういう苦境に陥った国々(PIIGSや中欧など)を中心に政治が不安定化する危険も孕んでいます。

昔からこの辺りは欧州の火種になってきた土地柄。「まさか」とは思いますが、そこらへんの状況に関しては引き続き注視してゆきたいと思います。