いま、こういうシナリオを想像してみて下さい。

たとえばベトナムで使用される通貨がドンではなく円になり、一切の移住に関する規制や不動産取得が自由化されたら、どうなると思いますか?

定年退職して子供も巣立った後の夫婦が年金などの毎月定額の収入をなんとかやりくりして暮らしている場合、「いっそのことベトナムで一年の大半を過ごしてお金を節約しよう。その方が貯金の減り方も少ないし、長く生きられる。」そう考える人も出てくると思うのです。

最近高騰しているとはいえベトナムやタイランドの物価は日本の数分の1ですから上のような発想もあながち荒唐無稽とは言えません。(僕自身も何年か前に実際、タイランドに移住すべく不動産の物件を見て回ったり、子供の通う学校を下見に行ったりしました。結局、当時はインターネットの接続が遅すぎたので移住を諦めましたが。)

若し通貨が統合され、移民規制や不動産取得規制が自由化されたら、日本の生活費とベトナムの生活費との間でアービトラージ(=価格差を利用した裁定)が起こります

するとベトナムに大挙して押しかける日本人リタイア層を当て込んでマンション建設が盛んになったり日本食のレストランが開業したりするかも知れません。ベトナム・ドンの減価を心配せず、円を持ち込めるのであればホーチミン株式市場も活況に沸くかも知れません。つまり経済全体が通貨統合から来る一回きりの恩恵に浴し、ブームが来るわけです。

欧州連合(EU)の南欧諸国(スペイン、ポルトガル、ギリシャなど)で起こった事は、程度の差こそあれ上のシナリオと同じことなのです。つまりEUというのはヒト・モノ・カネの動きに対する規制を域内で一切撤廃しようという取り決めなのです


これに輪をかけて欧州ではライアンエアーに代表されるディスカウント航空会社が興り、欧州域内では大雑把に言って片道20ポンド程度で航空券が手に入るのです。こうなるともう海外旅行というよりバス旅行の感覚です。

でも生活費のアービトラージが起きて、ブームが来るということは長い目でみたらその国の競争力が減退することを意味します。また何かの拍子に不動産のブームが終わり、移住者向けマンションが売り手市場になったら、どうでしょう?不動産取引に対する税金やもろもろのサービス業から上がって来る税収を当てにしていた政府はたちまち減収に苦しむことになります。(税金だけはEUの場合も統合されていません。あくまで個々の国の責任ということになっています。)

すると「そもそもベトナムを日本円の通貨圏に取り込む前に、なぜそういう雨の日の心配もしておかなかったのだ?」という反省が出てくるべきなのです。

EMU(Economic & Monetary Union)によって欧州の通貨が統一通貨にロックイン(=固定)されたのは1999年のことです。(=但し、ギリシャの参加は2001年1月、さらに通貨ユーロが導入されるのは2003年から。)

なぜギリシャやスペインの経済成長が統一通貨にロックインされた直後からロケットの発射のように高度成長をしたかの説明は上に書いたような力学が作用したからに他なりません。

ギリシャやスペインをEMUの仲間に引き入れるべきかの議論は当時、かなり盛り上がりました。ドイツ国内ではギリシャの参加を許す事に対して反対する経済学者も多かったです。

でもちょうど崖をよじのぼるロック・クラライマーが途中で後戻りできず、上へ上へと這い上がらざるをえないのと同じで、欧州連合(EU)も拡大につぐ拡大を繰り返すというモメンタムが働いてしまい、「このへんでもうよそう」という事をなかなか勇気を出して口にすることが出来なかったのです。

別の言い方をすればギリシャなどの南欧諸国をEUに招き入れたのはドイツをはじめとするEUのオリジナル・メンバーの責任であり、こんにちのギリシャ危機のような状況を想定できなかったのは(=繰り返しになりますが、今日のような状況がいずれ来る事を心配する声は多かったです)当時の政治家たちの至らなさなのです。

ドイツは自分自身は欧州連合の前身である欧州石炭鉄鋼連合(ECSC)により苦境を救ってもらいながら、そのときの誓い(=「もう戦争はしません。近隣諸国と仲良くすることを約束する代わりに強大な生産力をドイツに集中することを認めて下さい」ということ)とリーダーとして負わされた責務を忘れている面があります。