中国の工場労働者の賃上げ闘争が荒れ狂っています。複数の報道によれば賃上げ交渉は中国のあらゆる産業セクターに広がる気配を見せており、これまでのところそれらの大半は成功しています。

もちろん労働環境が改善することやお給料が上がることは中国の人々にとっては朗報です。

しかし、それと株が騰がるということは別問題です。

大袈裟な言い方をすればホンダやフォックスコンで起こったことは中国経済が新しいステージに進んだことを示唆しています。

その新しい段階とは中国の労働賃金はもはやいつまでも低い水準にとどまっていないということです。


これの意味するところは何でしょうか?

それを考える上でドイツの1950年代の「奇跡の復興」と対比してみると今後どこに注目すべきかが明確になると思います。

1950年代のドイツはちょうど今の中国のように圧倒的な競争力を誇っていました。

たとえば1950年代のドイツではGDPを1%押し上げるのに必要な先行投資金額(Incremental capital-output ratio)はGDPの3%でした。これは比較的僅かな先行投資をするだけで大きなリターンが得られたことを意味します。

比較するために当時のアイルランドではGDPを1%押し上げるためにはGDPの14%の先行投資が必要でした。つまりアイルランドはどんなに資本を投下してもぜんぜん成長が導き出せなかったのです。

ドイツがこのように極めて高い投資効率を実現できた背景には第二次大戦以降、鉄鋼などの生産財の供給が不足しており、需要が旺盛だったため、作ればどんどん売れる状態だったことが指摘できます。

ドイツが圧倒的な競争力を有したもうひとつの理由は長期に渡る労働人口の急激な流入で賃金インフレが低くおさえられてきたことによります。

第二次大戦後、ドイツは東西ドイツに分断されました。そこではハッキリと国境線が引かれ、「鉄のカーテン」を挟んでソ連とNATO諸国が対峙する、所謂、「冷戦構造」になったのです。

しかしベルリンだけは終戦時の取り決めにより4カ国による共同管理下に置かれました。その関係でベルリンの国境検問は緩く、ここを抜け道として実に東ドイツ人だけで350万人(東ドイツの総人口の2割)が西ドイツに逃げたのです。さらにポーランドやチェコの人々もベルリンを経由して西ドイツに流入しました。

西ドイツに逃げたのは働き盛りで高い教育を受けた層が多く、「頭脳流出」ということが言われました。

最初東ドイツならびにソ連はこれを黙認しましたが、とうとう我慢できなくなり1961年に「ベルリンの壁」を作り国境を封鎖しました。

これにより新しい労働力の供給が止まるとほどなくして西ドイツでは賃金上昇プレッシャーが高まりました。

ドイツの生産性向上のペースは鈍化し、巡航速度の経済成長率はどんどん下がりました。そうやって西ドイツの高度成長時代は終わったのです。

下のグラフは米ドル建ての単位労働コストの比較です。1949年に単位労働コストがさがっているのは実質的な為替の切り下げがあったからです。その後、大きな人口移動を経験しなかったフランスの単位労働コストはすぐに元の水準に戻っていますがドイツの場合は労働コストは低水準のままにとどまりました。

単位労働コスト

またドイツでは急ピッチの工業化が進んでおり、農業人口が工業セクターへ流れ込むという現象も見られました。

下のグラフは農業セクターの生産性と工業セクターの生産性を比較したものですが工業セクターの方が遥かに生産性が高かったことがわかります。(英国では農業セクターの生産性の方が勝っている点に注意。)

製造業の生産性

つまりドイツの場合、農村から都市へと人口のシフトが起こるだけで国としての生産性がどんどん向上する構造になっていたのです。

これとほぼ同じことが中国でも起きました。中国の場合、都市の工場労働者の生産性は農業従事者の生産性より圧倒的に勝っています。また地方の農村では潜在的な失業率が高く、労働力の余剰を常に抱えていました。

中国は一般に他の先進国より都市化(=つまり都会への人口集中)が遅れていたので、都会への出稼ぎを許すだけで経済成長はどんどん出せたわけです。

しかし最近は2つの面で状況が変わりつつあります。ひとつは最終製品の需要(=つまり欧州や米国の消費市場)が余り強くない事、もうひとつは都市部の不動産価格の急騰でマイホームが高等教育を受けたミドルクラス層にとってすら高嶺の花になり、それが強い不満のタネになっているということです。

中国政府はバブルを未然に防ぎ、よりバランスの取れた成長を促進するために農村の開発や農村での雇用機会の創造に力を入れ始めました。

それは先ほどのドイツの例で言えば、「ベルリンの壁」が出来て、都市への人口の流入がストップしたのと同じ状況なのです。

ホンダやフォックスコンで突然、賃上げ闘争が起きたのは、だから偶然ではありません。

中期的に見ればこれは中国の国全体の成長率が下がって来ることを意味します。また労働生産性の伸びは鈍化することを意味します。

もちろん中国人の所得が増える事は良いことですが、中国が世界的な消費国となるには為替が人民元高にならないと今の為替レートで計算された中国の国内市場は極めて小さく、その意味では中国は「消費大国」には仲間入り出来ていません。

向こう3ヶ月程度の、近い将来の話をすれば、今のようなペースで賃金が爆上げすれば、インフレ・プレッシャーは強くなります。従って人民銀行は警戒を強めている筈です。

金融の引締めは当然株式市場にとっては悪いニュースです。

また人件費の上昇は企業収益に打撃を与えます。すると将来の収益予想は労働集約的な産業を中心にドカ下げする危険性が多いと考えるべきでしょう。

すると金利と業績という、株式価値を構成する2つの要素の両方で中国株はダブルパンチを受けるわけです。