さて、今でこそシリコンバレーのIPOをゴールドマン・サックスやJPモルガンのような東部の大手投資銀行が手がけることは当たり前ですが、この時点まではシリコンバレーのIPOは最初に書いたブティック投資銀行が引き受ける例が多かったです。

皆さんはマイクロソフトやインテルの主幹事がどの投資銀行だったか、ご存知ですか?

インテルの主幹事はアンターバーグ・トービンです。マイクロソフトはアレックス・ブラウンです。つまり有名じゃないブティックがハイテク株を引き受けるというのが常識だったのです。

アップルやネットスケープの場合は例外的に売出し目論見書の左側(ここが一番上位のポジション)にモルガン・スタンレーが来ていますが、これはH&Qのビル・ハンブレクトが当時のモルガン・スタンレーの伝説的CEO、ディック・フィッシャーと大学時代の同窓生で、アップルのスティーブ・ジョブスが「おおきい証券会社も招いた方がいいよね」と言ったので、ビル・ハンブレクトが旧友のディック・フィッシャーに幹事参加をもちかけたのです。


当時のモルガン・スタンレーはテレフォン(=AT&Tのこと)のIPOをはじめウォール街の王者として君臨していましたから、売出し目論見書でH&Qの右側に来ることは「ありえない」のです。だからモルガン・スタンレーのクレジットは左側に来ていますが、スティーブ・ジョブスの「父親役」がビル・ハンブレクトだったことはシリコンバレーの関係者なら誰でも知っています。

さて、話が脱線していますが、そういうことで当時は東部のエスタブリッシュメントの投資銀行は自分で技術評価の出来ない、最先端の企業のIPOは敬遠していました。しかしネットスケープがIPOしてからは雰囲気がガラっと変わったのです。「バスに乗り遅れるな!」という号令が飛びました。

東部の投資銀行の中でも最もシリコンバレーに対するパイプが無かったのはゴールドマン・サックスです。だからゴールドマンは何が何でもイッパツ注目度の高いドットコム企業の主幹事を務めて実績づくりをする必要があったのです。そこで社運を賭けて挑んだのがヤフーのIPOです。

1995年の末までにはヤフーは運転資金が底をつきはじめており、至急に金策をする必要がありました。そこでソフトバンクとロイターを戦略株主として招き入れたのです。ヤフーはロイターからニュースの配信を受けるとそれをヤフー・トップページで流しました。これがウケてヤフーはポータルとしての地位を確立します。それを見たソフトバンクは会社からの出資金として3000万ドル、孫氏の個人資金として7000万ドルをヤフーに追加出資します。このときのラウンドは確か$13だったと思います。

当時はサーチ・エンジン戦争というのが勃発していて、ヤフーの他にもエキサイト、インフォシーク、ライコスなどが検索機能を競い合っていました。

そこでゴールドマンはIPOを急ぎました。ヤフーのIPOは$24.5で初値がつき、すぐに$43迄上昇しました。このときのゴールドマンの初値設定($13)はイシュアー(発行体=つまり企業)より明らかに投資家寄りの利害を代弁したものだったと言えるでしょう。ヤフーのIPOではマーケットが開いてから飛び乗った投資家も皆儲かったので「インターネットのIPOはぼろ儲けだぞ」という印象を広く投資家に植え付けました。
(つづく)