要約
官製のベンチャー育成などは邪道だ
不遇なら不遇で、その負のパワーを思いっきり蓄積すればよい
既得権にしがみつく奴の失うモノが大きいほど、反逆者の得るモノは大きい



【事実をありのままに見れば】
日本経済の停滞が続いており、「MarketHack」の姉妹サイト(=もちろん向こうの方が先輩ですが)、「Blogos」などでも日本をどう変革するか?政治はどうあるべきか?という議論が語られない日はありません。

僕は経済学者ではないし、政治のこともわかりません。
僕が考えてきたことはHow to make money、つまり変革からどう個人として利するか?という問題のみです。

このMaking moneyへの追求が自ずと「昔は、、、どうだったんだろう?」という興味を喚起し、その行きがかり上、過去におこったことがどうだったかを検証するという作業に行き着くだけなのです。

その意味では歴史家としても邪道です。

ただ、そういうそれぞれの分野での専門家でないということは過去の定説やドグマに捉えられることなく、起こったままのことを素直に観察し、事実を受け入れるというメリットももたらします。若し事実を素直に受け入れなければ、次のチャンスからProfitすることは出来ないからです。

言いかえると「こうなって欲しい」という願望ではなく「こうなっちゃった」という事例(Case)が大事なのです。

【必要なのは改善ではない、破壊だ】
さて、ドットコム・バブルが華やかなりし頃、いろいろなところから声が掛って、「一体、シリコンバレーの秘密は何ですか?」というレクチャーを依頼されました。

もちろん、シリコンバレーには他の無数の観察者が日頃並べ立てるような諸々のアドバンテージがあります。

それらに加えて、一大ムーブメントが起こる際の起爆剤というか、きっかけが必要です。この部分は説明するのが難しく、苦労したのですが、例えば印象派の絵画の例を取って説明すると聞き手のあたまにスンナリ入ったようです。

下の作品はマネの「草上の昼食」Edouard Manet, The Luncheon on the Grass, 1863という有名な作品ですが、これをサロンに出品したけれど当時の権威を代表するアカデミーの審査員たちから却下されてしまいました。なんとなく不埒なことを想像させる題材だからだと思います。
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Edouard Manet, The Luncheon on the Grass, 1863(出典:ウィキペディア)

この却下には同胞の画家たちの同情が集まりました。仮に当時の権威に認められなくても画家の間(among peers)では一目置かれていたわけです。当時のフランスの皇帝、ナポレオン三世はサロンから落選した作品ばかりを集めた「落選展Salon des Refuses」を開催しました。


「落選展」の観客は伝統に依拠しないそれらの作品を嘲りましたが、中には「おっ」と思わせる作品もあり、インパクトは「落選展」の方が強かったし、新しい事を試みようとする画家たちの作品がこういうカタチで一堂に会したことでそれが新しいムーブメント(社会運動)のようなノリを持ち始めたのです。

その後、例えば次に掲げるような作品が続々登場します。
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Claude Monet, Impression, soleil levant, 1872(出典:ウィキペディア)
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Pierre-Auguste Renoir, Dance at Le Moulin de la Galette, 1876(出典:ウィキペディア)
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Edgar Degas, Dancer with a Bouquet of Flowers, 1878(出典:ウィキペディア)

ここで大事なのは各作品の制作年を見て下さい。

ものすごく短期間のうちに有名な作品が爆発的なペースで輩出されていることがわかります。

この印象派絵画の勃興が我々に教える、変革に必要な条件は何か?それは:

1. 却下されること(Rejection)
2. 集まること(Networking)
3. 古い価値や権威の衰退(Decline of old values)

です。

なおこのような極短期間におけるクリエイティビティーの爆発は何も印象派絵画だけに起こることではなく、その事例は幾らでもあります。

例えば1970年代のパンク・ロック・シーンなどはその好例でしょう。
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(出典:ウィキペディア)
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(出典:ウィキペディア)

よく「日本にもシリコンバレーを作ろう」とか「日本にはベンチャー育成のためのVC資本や制度が整備されていない」などという議論を目にしますけど、僕はどっぷりシリコンバレーのIPOシーンに浸かってきた経験で(ちがうな、そりゃ)と直感します。

そんなもん、一切、無くてもぜんぜん心配ありません。

なぜなら面白いモノを作っている会社、(こいつは放置しておくと後々わが社の脅威になるな)と思わせるサービスや商品を世に問うている会社は心配しなくてもちゃんと買収されてゆくからです。

先日、「MarketHack」のサイト運営会議をしているときにライブドアの担当者の方々が:

「Zynga(ジンガ)が日本のゲーム・サイトを先日買収して、久々に日本のネット界にも光が見えてきました。」

という事を明るい口調で語っていました。

僕は不勉強にしてその会社の名前を知らなかったし、ディールの詳細を知りませんでした。だけどZyngaくらいの会社になると、その程度のM&Aは朝起きてクソして会社に行くまでの間にポンと仕上げてしまうくらい日常茶飯事だと思うのです。

だから日本の若い起業家が「イグジット(=会社の売却)戦略のメドが立たないから、怖くて日本では起業出来ない」とか何とか寝言みたいなこと言っているのを聞くと(アフォか!)と思います。

いま日本の起業シーンにいちばん足らないのは「反逆者精神」です。

反逆者精神を堅持して、ZyngaやFacebookやTwitterやGoogleやAppleにとって脅威となるようなサービスや製品を出せれば、「アッ」という間にTakeout(=買い上げ)されます。だって彼らは国境には一切頓着しないのですから。

なるほど今の日本のネット界は不遇をかこっているのかも知れません。でも不遇なら不遇で、その負のパワーを思いっきり蓄積すればいいのです。

官製の業界育成策とかは非生産的(counter productive)であるばかりでなく有害です。

「日本には何がないから、、、僕らには出来ない」というのは屁理屈であって、そんなのイノベーションの欠如の理由にすらなりません。

ドブネズミのように虐げられ、社会から排斥され、軽んじられるところから全てはスタートするのだし、既成社会(エスタブリッシュメント)が押し付ける経済論理が硬直的で規模が大きいほど、一度それが突き崩されればエスタブリッシュメントの失うものは大きいです。

その「既得権を失いたくない」という反動勢力が大きい事は破壊を試みる者が若しそれに成功した場合、得るものが極めて大きいことを意味します。僕などは、おもにこの部分に一番注目して投資機会を吟味するわけです。