もう20年も前の話です。

上司のグレッグに呼ばれました。

グレッグ:「オー、タカオ!ちょっと話がある。」

僕:「話って、なあに?」

グレッグというのは前にも書いた「ロードランナーになったおとこ」ですから上司というよりはトモダチ感覚、お互い腹を割って話せる間柄です。

グレッグ:「ペンシルバニア州の或る年金を担当して欲しいんだ」

僕:「なんだい、ずいぶん持って回った言い方するじゃん。」

グレッグ:「ベツレヘム・スチールの年金ファンドだ。」

僕:「断る。それだけは、嫌だ。」

グレッグ:「まあそう言わず、、、」

アメリカでは1989年頃から年金市場に地殻変動が起きました。確定拠出型年金、つまり401(k)が登場し、企業は体力のある、企業年金の内容が健全なところから順次401(k)に衣更えしてゆきました。

なぜ事業会社が401(k)を好んだかというと401(k)は社員のひとりひとりが自分で運用の対象を選ぶため、会社側としては運用のしくじりの責任を問われたり、積み立て不足の穴埋めをするリスクが無いからです。

そんなわけで従来の確定給付型年金(=日本の場合、まだこちらが主流だと思いますが、、、)から401(k)へと、怒涛のようなシフトが起きたのです。

これは証券会社の立場からすると投信会社の重要性が増し、企業年金のパイは縮小するということを意味します。

先細りが決まっている企業年金のファンドなど、だから誰も担当したくないのです。

加えて僕にはもうひとつの不安材料がありました。

当時は日本の鉄鋼メーカーがどんどん世界進出しているときで、アメリカの鉄鋼業は「日本憎し」という反日の感情が強かったのです。

しぶしぶグレッグの指図を受け入れて、兎に角、先方の担当者にあいさつにゆくことにしました。

レンタカーを借りてマンハッタンからベツレヘムの町までは3時間足らずだったと思います。

曲がりくねった山道の峠を越えると「はっ」と息を呑むような赤茶けた渓谷が眼下に広がります。町全体が錆びたクズ鉄の塊りのような状態であり、亡霊のような手入れの悪い製鉄所が静かに横たわっています。
800px-Bethlehem_Steel_Pennellb

(ジョセフ・ペンネル 1881年、ウィキペディア・コモンズ)


町の中を流れる小川では木の枝から吊るした廃タイヤのブランコから「ザブーン」と黒人の子供たちが川に飛び込んで遊んでいます。

80年代に流行ったビリー・ジョエルの「アレンタウン」という鉄工所の没落の唄がありますけど、そのアレンタウンもこの近所です。

(ヤレヤレ、とんでもない客を引き受ける羽目になったな)

そう思いながらベツレヘム・スチールの駐車場にクルマを停め、ふと見上げた社屋の横断幕には心が凍りつきました。「JAP GO HOME!(日本人は出て行け!)」

実際に年金の担当者やトレーダーに会って話をすると、別にそんなに日本人を嫌っている風でもありませんでした。

「ああ、あの垂れ幕ね。嫌な思いさせて、ゴメン。ずいぶん入りにくかっただろう?最近はウチも誰からも顧みられなくなってね。株式の営業担当者が直々来てくれるのは何年ぶりかな?」

その日、大引け前にニューヨークのオフィスに戻り、トレーディング・ルームに入るとみんなが一斉に僕の方を見ました。

僕のセールス・トレーダーのイン・スーが駆け寄ってきました。「やったぜ!ベッシー・スチールからコカコーラ400万株の注文だっ!今、みんなで反対側を捌いていたところなんだ。」

僕:「ジャン決めだったのか?」

イン・スー:「いや、はからいだ。だから、負けてない。サンキュー・オーダーだと言っていた。」

それからの数年間、ベツレヘム・スチールは僕のお客さんのひとつでした。

その後ベツレヘム・スチールは倒産し、今では製鉄所の跡地はラスベガス・サンズのカジノになっています。

莫大な積み立て不足を抱えたベツレヘム・スチールの年金は当時ですら「もう手遅れで401(k)には移行できない」と言われていましたが、その後、どうなったのでしょう?
kakuteikyuufu