world economic conference
今日からソウルでG20サミットが開催されます。

いまから77年前の夏にも世界の経済はちょうどこんにちと同じような苦しい状況に置かれていて、その時にロンドンのケンジントン地質学博物館で国際金融会議が開かれました。このロンドン国際金融会議は大失敗に終わりました。

会議をサボタージュしたのはアメリカのフランクリンD.ルーズベルト大統領です。

当時、アメリカは1929年のNY市場の大暴落の後、日本をはじめとする諸外国に「通貨戦争」で先を越され、不況が長引いていました。そこで大統領に就任したルーズベルトは次々に「禁じ手」の政策を繰り出し、ハチャメチャな金融・財政政策を講じます。

このときのドタバタはこんにちのバーナンキFRBにも相通じる部分があるので昔の書物を読むとその共通性に思わず引き込まれる思いがします。

下は以前に「外国株ひろば」でも紹介した本ですが、ジョン・ブルックスの『むかし、ゴルコンダにて』からの引用です。(僕の拙い訳で失礼。)およそ金融マンを自負するプロなら、一度は読むべき古典です。

しかしこの熱狂的な期間にウォール街では不思議な現象が起こり始めた。最初はそれに気がつく者は少なかったが、最後には深刻な事態になった。その現象とはウォール街の主人公であるはずの「マネー」、つまりドルそのものの価値が揺らぎ始めたことだ。

それまでドルはきっちりと固定されてきた。銀行界ではそれが当然だと思われてきたし、宇宙の法則のように不変なものとして受け入れられてきたのだ。ゴールド・スタンダード、つまり金本位制度である。この規則では金1オンスは$20.67と定められていた。

しかしこの大原則が停止されたためにドルは投機家たちによってまるで卑しい株式と同等にオモチャにされる羽目に陥るのである。

ドルが下がり始めたのはルーズベルトが大統領に就任した2日目からである。この日、ルーズベルトは臨時措置としてゴールドの輸出を止めるとともにゴールドの蓄蔵をやめると宣言した。ルーズベルト政権は「これはあくまでも臨時の措置である」とし、とりわけ「臨時」という言葉を強調した。

この発表があった日はちょうどルーズベルト大統領が臨時「銀行休業日」宣言をした期間中であったから、ウォール街の銀行家や証券業者は自分の身の上を案じる方が先で、ゴールドの輸出停止など誰も気に止めなかった。だいいち「銀行休業日」さえ終わればゴールドの禁輸措置も当然解除されるものだと皆が信じて疑わなかった。ビル・ウッディン財務長官も「金本位制度が停止されたなどと言わないでくれ。全く馬鹿げているし大衆の誤解を招きかねない。」とコメントしたほどだ。

ウォール街の関係者やルーズベルトの側近が見誤った事はルーズベルト大統領が金融という命題に関して極めて凝り固まった考え方をする人間だという点である。ルーズベルトの側近たちによれば彼は金融知識ゼロのところへ持ってきて、経済学者などの振り回す理論より、自分のお金に対する直感の方が正しいと確信していたという。ルーズベルトは財政の問題をまるでカジュアルでいささか滑稽なものだと捉え、ときには退屈きわまりないものだと遠ざけるかと思えば、ときにはその不思議なメカニズムに熱中したりした。

ルーズベルトの取り巻きのアドバイザー達も玉石混交の様相を呈していた。財務長官のウッディンはもともとペンシルバニアの事業家でとっつきやすいが切れる男であり、経済に関する知識は正統派だった。予算委員長のルイス・ダグラスは頑固な健全財政主義者だった。国務補佐官のレイモンド・モーリーはコロンビア大学の公法の元教授であり、ルーズベルトの選挙参謀を務めた男だ。そして人前にめったに姿を現さない謎めいた人物、ジョージ・フレデリック・ウォーレンが居る。彼はコーネル大学の農業経済学の教授でありコモディティー価格とドルの価値について独特の考え方を持っていた。

最後にウォール街の代表としてジミー・ウォーバーグがルーズベルトのアドバイザーとなった。ジミー・ウォーバーグはインターナショナル・アクセプタンス銀行の頭取だったがルーズベルトから財務次官のポストを与えられた。ウォーバーグは個人的な理由からその任命を辞退し、その代わり「無給、無冠のホワイトハウスの金融アドバイザー」としてルーズベルトの一行が贔屓にしたカールトン・ホテルに引越した。

4月になるとアメリカ西部から不気味な雷鳴が届くようになった。それはつまりアメリカの農民たちが暴動を起こす寸前のような一触即発の状況になったということである。農作物の価格は1926年頃の水準の4割程度まで落ち込み、その結果、農民がその年の収穫を全部売ることに成功したとしてもローンの払いを返すことは不可能になったのだ。このため大勢の農民が家を追われ、アイオワではローンの支払い不履行の差し押さえを支持した裁判長が農民達からリンチに遭いかける騒ぎに発展した。

議会ではインフレ政策を推進せよという議論が熱を帯び、オクラホマ州のエルマー・トーマス上院議員は「農業調整法」の改正により大統領が自由な判断でどしどしドル紙幣を刷れるようにすべきだという議員立法を提出した。

ウォール街の関係者にしてみればそれは財務上の無政府状態を意味する。この法案の可決はゴールド・スタンダードの死を意味していた。


4月18日にルーズベルトはホワイトハウスで閣議を開いた。その議題は来る国際金融経済会議に備えるための準備ということだった。ハル国務長官、ウッディン財務長官、「全能の神」モーリー、そして金融界からはダグラス、ウォーバーグ、ファイスらが召集を受けた。ところが会議が始まってみるとルーズベルト大統領が閣議招集した意図は別のところにあることがわかった。大統領はモーリーにトーマス・アメンドメント(=農業調整法案)が下院を通過するように工作するよう指示した。そして集まった閣僚たちに向き直ると「わが国は金本位制から降りることにした」と宣言した。そして「この仕事はチョッと褒めてもらえるに値するとは思わないかい?」と言った。

閣僚たちはルーズベルトを称えるどころかこの「爆弾発言」に驚いた。金融界のアドバイザー達はルーズベルトに「そんなに軽々しく国家の通貨の健全性を危険に晒すような真似をしてはいけない」と延々2時間に渡ってインフレの怖さを講義する羽目になった。最後にはドイツで1923年に起きたハイパー・インフレーションの例を持ち出して経済が大混乱に陥りかねないことを指摘した。アドバイザー達はドイツの労働者の昼飯代が一日で60万マルクから次の日には150万マルクに暴騰した例などを懇々と説明した。ルーズベルトは閣僚たちの狼狽振りを見て内心愉快になったが、閣僚達にはクールに振る舞い、金本位制離脱の考えに揺るぎは無いことを示した。その夜、閣議からの帰り道でダグラスはウォーバーグに「これで西欧文明もオシマイだ」と嘆いた。

ひとたびアメリカが金本位制度を離脱すると発表されたらニューヨーク株式市場の反応はすさまじかった。マーケットは荒っぽい立会いの中を急に値を切り上げて行ったのである。これはある意味、理屈に適っている。なぜならドルの価値が安くなるわけだから、減価する紙幣を避け、なるべく早く別の資産にシフトする必要が出るからだ。それにしても奇異だったのはウォール街からは純粋な経済理論の見地からの金本位制離脱に対する反対や危惧の声はぜんぜん聞かれなかった点である。ウィギンスやミッチェルといった大物のバンカー達は長年の恐慌と金融パニックで完全に自信喪失しており、沈黙を守った。

さらにも驚いたことに『ウォール街23番地』が「私は大統領の取った金本位制離脱の決断を支持する」という署名入りの声明を出した。もちろん『ウォール街23番地』とはJ・ピアポント・モルガンのことである。

「『ウォール街23番地』からのご神託が下ったぞ!」

これにより金本位制離脱の正当性は即座に受け入れられた。

こうしてドルは「投機の対象」に成り下がった。ルーズベルトの金本位制離脱宣言の直後、ドルは88 1/2セントに下落し、6月までには83セントにまで下がった。肝心の国内の穀物価格については若干価格が上昇した。これを見て農家は安堵した。

しかしイギリスとフランスの通貨当局はショックを受けた。英国はドル安が世界の貿易を鈍化させることを懸念した。フランスはアメリカの後を追って金本位制を離脱することは避けられないと考えた。ルーズベルトの最大の関心事は内政、それも農業部門であり、国際協調など二の次にしか考えていなかった。そうは言うものの、6月12日から7月23日までの予定で既に日取りが決まっていたロンドンのケンジントン地質学博物館における国際金融経済会議(上の諷刺画参照)をすっぽかすことだけは思いとどまった。
(『Once in Golconda』 John Brooks Chapter Seven: Gold Standard on the Booze P150 – 157)