最近見たソーシャル・ネットワーク(SNS)関連の記事で僕が面白いなと思ったのは次の2つです。

Facebookはいまのままだと日本では流行らない 【クレイジーワークス村上福之】

Facebookは国内においてもMixiを2年以内に抜く 小川浩

僕は両方の記事に納得する部分があるし、賛同する個所がありました。

一見、真っ向から対立する意見なのに、なぜ両方とも正しいと感じてしまったのか?
今日はそのことについて僕なりの考えを書きます。

まずCool(クール=イケてる)という問題です。

なにを持って「カッコいい」とするか?という問題は純粋にスタイルの問題だと皆さんは思うかも知れないけど、実は文化成約的であり、経済発展段階によって規定される部分が大きいです。


例えば発展途上国では皆が貧しいところから育った関係で、「カッコいい」ということは、即ちブランド物のバッグを持っていたり、デザイナー・ブランドの洋服を着ることを指します。

南アジアや中東へ行くと買ったばかりのビジネス・スーツの袖口に未だブランドのラベル(たとえばラルフ・ローレンとか)をつけたままで着ている若者が居ます。

最初それを見た時は「ぎょっ」として、「もしもし、未だラベルが付いていますよ」とお節介で忠告したくなったのですが、彼らにとっては(おれはブランド物を着ているんだぜ)ということを見せびらかさないと意味が無いので、ラベルを剥ぎ取ってはいけないのです。

このような事は消費社会のソフィスティケーション(洗練度)の水準では最も低い国に共通して見られる現象です。

次にもう少し洗練されてくるとこれみよがしにブランド・ネームをあしらったグッズが人気となります。

でも消費文化が高度化し、消費者のソフィスティケーション度が上昇するに従って、「まるで歩く広告塔のように」ブランドのロゴがデカデカと出ている商品は「かっこわるい」という価値観になってくるのです。

そのように消費者のテイストが高度化してくると、できあいのブランドやスタイルでは自分を差別化できなくなります。

すると古着ルックやミスマッチで自分なりのキャラを出す工夫がCoolである必要条件になるのです。

ニューヨークのイメージで言えばバワリー(イースト・ビレッジ)からチャイナタウンにかけてのアンティーク・ストアや露天商をスカベンジするノリです。

スザンヌ・ヴェガがデビューした当時は男物のタキシードのジャケットの古着を着ていましたけど、あの感性がまさしくCoolなのです。

ちょっと説明が冗長になりました。

僕が言いたいことは年齢が幾つで、社会のどの層に属し、どんなことに関心を持つかによって、Coolの基準、或いは美の基準は変わってくるし、それは往々にして自分の属する(belong)グループが知らず知らずのうちに発する、グループをグループたらしめるアイデンディティや、それがもたらすpeer pressure、つまりグループ内でのプレッシャーが常に関係しているということなのです。

言い換えればCoolということは自己主張であると同時にサバイバル(生存)のためのcoping mechanism(グループの中でつまはじきにされることを防ぐ、生きる知恵)に他ならないのです。

SNSを理解するにあたって上に書いてきたようなソーシャル・ダイナミズムの視点が抜けていると、SNSのポイントを全く理解できないだろうし、相場を見誤ります。

「Facebookはいまのままだと日本では流行らない」という記事は主にCoolという視点や立場から書かれたもので、ひとことで言えばFacebookはCoolではないということが指摘されているのだと思います。

これは大事なことです。

なぜなら、この記事が指摘する通り、日本のネチゼンは「口が奢っている」、つまり凄くソフィスティケートされているからです。別の言い方をすればディレッタント的なわけです。

その感覚からするとFacebookはダサいということになるでしょう。

Facebookはこれみよがしなくらいにメインストリーム(主流)、上昇志向、マテリアリズムを支持するメディアです。良い意味でも、悪い意味でもエリート的なニオイがプンプンしているわけです。

それを快く思わない人も、アメリカには実は沢山います。

しかしこと商売という基準で物事を考えた場合、ディレッタント相手ではカネにならないのも事実です。

2ちゃんねるなどに代表される日本のネットのサブカルチャーは、そこで行われる書き込みなどに関して、何がダサくて、何がCoolな書き込みか?という問題について参加者は異様なほど研ぎ澄まされた感性を持っています。

だから昔、「日本のネットは残念な状況になっている」とか何とか発言した有名な人がネット上でボコボコにされたのは至極当然な成り行きと言えるでしょう。

でも日本のネット文化がディレッタント的な方向へ偏り過ぎているのは或る程度事実かも知れないし、ロウアー・イーストサイドの露天商をスカベンジするような客層を相手にまともなビジネスをしようとしても、それはビジネスとして成り立たないのも事実なのです。

「Facebookは国内においてもMixiを2年以内に抜く」という最初に紹介した二つ目の記事は主にFacebookの持つ商業的なポテンシャルについて論じているわけで、メインストリーム、魅力的なユーザー層、広告を出す場所として理想的なメディアであるというFacebookの特徴は、今さら論じるまでもないことです。この点では匿名主義のMixiは負けているし、今後はその優劣はよりハッキリすると思います。

言い換えればユーザーから熱烈に支持されるということと、それが商売としてメチャ儲かるということは同義ではないということです。