かれこれ1年ほど前の話です。

僕の上の息子が或る日突然「胸が痛い」と言い出しました。

「ホイキタ。そんじゃトーチャンがいま病院に連れて行ってやっからな」と僕は軽いキモチで息子を近所の診療所へ連れてゆきました。

すると先生が「こりゃ、いかん。アンタの息子は気胸だ」

僕:「なんすか、そのキキヨウというのは?」

先生:「肺の壁が剥離して、水が溜まる病気だ。すぐ大きい病院に行きなさい。」

僕:「アレー!」

というわけで、急いで息子をマリン郡総合病院に連れてゆきました。息子はその場で入院となり、その日は泊まり、明日が手術とトントン拍子で話が進展しました。

息子を病院に残して、後ろ髪引かれる思いで帰宅すると同時に「リーン!」と電話が鳴ったのです。


僕:「はい、、、、」

相手はサンディエゴのグレンダおばさんでした。

グレンダ(開口一番に):「で、どーなのよ、一体?」

僕:「えっ?#$%&、、、と、、いいますと?」

グレンダ:「ジャスパー(=うちの息子)の友達がFacebookにジャスパーが入院した!とカキコしたそうじゃない?」

僕:「ヒエーッ!もう伝わってんの?」

グレンダ:「あたりまえよ。で、どーなのよ、容体は?」

僕:「うん、明日手術だけど、、、it’s no big deal」

■ ■ ■

結局、息子の手術は無事終わり、数日後に本人はピンピンして帰ってきたのですが、彼の入院の顛末がFacebookで「漏えい」した件については本人はプリプリ怒っていました。

どうやら本人は高校の友人にテキスト・メッセージで入院した旨を伝えたらしいのですが、その友人がFacebookで彼の入院の事実を記し、それが一瞬の間に学校の友人や親戚一族郎党に伝播したというわけ。

息子:「学校の友人はまあいいとして、いとこのメイガンやアレクシス(グレンダおばさんの娘たちです)からFacebookの友達のリクエストが来たら、、、断れないだろう?」

僕:「そりゃまあ、そうだな」

息子:「かといってNOと言えば、気分害するよね、相手は」

僕:「うんうん」

息子:「ガールフレンドとかとのやりとりをいとこに見られるの、やばくない?」

僕:「わかりマス」

■ ■ ■

先日「MarketHack」の姉妹ブログ・メディア、「Techwave」に水谷さんというブロガーが「蔓延する誤ったソーシャルメディアの定義」という勇気ある寄稿をしたら、それが一部の「識者」からボコボコにされました。

僕は水谷さんはぜんぜん間違ったことは言っていないと思います。

なぜなら、上の例でもわかる通り、実際の友人・知人あるいは家族、親戚縁者をSNSという空間に移しただけで、交通整理がとたんにむずかしくなるのをアメリカに住んでいるソーシャル・メディアのユーザーなら誰でも当たり前に経験しているからです。

でも日本のネット社会は未だ本当の意味でのソーシャル(=実名のソーシャル)の洗礼を受けていないから、わけのわからん「日本の常識」であべこべに正論を主張している人間が叩かれるわけです。

これを見て僕は日本のネット文化の「業の深さ」を見る思いがしました。

アメリカのソーシャルは実名で自分の親とかバアちゃまとか学校のセンセーとか職場の上司とか元カノジョとか自分がクビにした元部下とか、そういう人間関係がとぐろを巻いてウネウネした状態で爆走している、、、そういうものなのです。

そこへゆくと日本のソーシャル・メディアは未だ使いたい人たちだけがOpt-in(自ら進んで参加)する状態であり、そんな状態しか未だ経験してないくせに、このグチャグチャ状態も知らずして、ソーシャルを語ることなかれ。