ホスニ・ムバラクが大統領を辞め、シャムエルシェイクに引き込みました。

今日のカイロやアレキサンドリアでは「場合によっては流血もありうる」という悲壮な決意で群衆は反政府デモに臨みましたが、ムバラクが大統領府を去ったというニュースが伝えられると一転してお祭り騒ぎになりました。

【宗教ではなく民主主義が問題】
1月下旬に始まった今回の革命で一貫していたことは一切宗教色が無かった点です。

だからこそチュニジアに始まり各国に飛び火した今回の反政府デモはパワフルなメッセージ性を持っていたし、アラブ諸国、イスラエル、アメリカなどは(モサドやCIAなどの諜報機関を含めて)物事の予期せぬ展開に虚を突かれ、少なからず恥をかく結果になったのです。

【お手本としての日本】
これについては僕には考えるところがあります。

僕は1980年代初頭にクウェートのアハマディ精油所建設工事で中東に赴任しました。僕にも就活をしていた時代があって、その頃、日本でいちばん優秀な学生が目指した就職先は三井物産などの総合商社でした。

僕は出来の悪い学生だったので、当然、そういう一流どころの会社はムリ。それでも総合商社の活躍は毎日、新聞を賑わしていました。

なかでも当時の一大事はイラン革命で物産が中心に押し進めていたIJPC(イラン・ジャパン石油化学)でした。しかし1979年にイラン革命が起こり、そのどさくさにまぎれてサダム・フセインのイラクがイランの油田を盗るべく空爆を仕掛けました。

このような状態でプラントの建設続行は不可能となり、日本のスタッフは全員撤退したのです。

(すげえところで仕事しているもんだな)

折から日本では「企業戦士」という言葉がもてはやされ、城山三郎が『毎日が日曜日』という商社マンの凄絶な生き方を描いた小説を書き、人気を博していました。

そんなことから僕は(兎に角、デカイ仕事、オモロイ仕事がしたい!)と考えるようになったのです。だから上司から「今度クウェートで建設するアハマディ精油所の真空蒸留塔は重量1000トンだ。ギネスブックものだな」と言われた時、「その仕事、是非、オレに行かせてください!」と口走っていたのでした。

クウェートとイラン・イラク戦争の主戦場であるバスラは目と鼻の先。エグゾセ・ミサイルが激しく飛び交う中を現地入りしたのです。

さて、アハマディ精油所のオーナーはクウェート国営石油公社(KNPC)でしたが、工事現場で実際の建方(たてかた)の監督を務める人はトルコ人のエンジニアでした。

彼は大の日本贔屓で、下請けのそのまた下請けである我々の事務所によく遊びに来ました。

「日本は偉いよ。先の戦争では立派に勝ったからね」

そう水を向けられて僕は一瞬、(ぽかん)としました。だって日本は第二次大戦に負けたわけですから。

僕が生半可な返事を返していたら、彼は再び言いました。

「バルチック艦隊をやっつけたのは偉かった」

(ははあん、太平洋戦争ではなく、日露戦争の話か、、、)

「トルコも日本も兄弟分だ。我々トルコ人も日本人を見習って頑張りたい」


当時の僕は社会科や世界史に関するごく初歩的な知識ですら絶望的に欠如していたため(いきなりこのオッサンは何を言い出すんだろう?)と思いました。

【世俗国家を選んだトルコ】
トルコはオスマン帝国が没落し、欧州からやり込められた時、ケマル・アタチュルクの率いる「若きトルコ人」達が八面六臂の大活躍で外敵を排除しました。

そしてトルコという国のアイデンティティを確立したのです。

その時、大方の予想に反してケマルはイスラム教に基づいた政体を作るのではなく、政教分離された、所謂、世俗国家を選びました。

近代化を進めるにあたってケマルはカリフ制を廃し、新憲法を発布し、シャリーア(イスラム法)裁判所を廃止しました。

さらにイスラム暦を止め太陽暦に変更し、トルコ帽をかぶることも禁止され、アラビア文字も使用禁止にし、ケマル自身がトルコ語のアルファベットを考案したのです。

こうした改革の背景にはそれらの「若きトルコ人」には日露戦争で勝った日本のイメージが強烈に残っていたからです。

日頃、白人国家にやり込められている、、、その屈辱を果たしたアジア人が日本だったわけです。

【羨望の的としての日本】
中東やアフリカを含めたアジア全域の人々は日本が非白人として初めて白人国家であるロシアに勝ったということをとても誇りに思い、それと同時に日本の近代化に激しい羨望の念を抱いたわけです。

だから日本の評判はこんにちでもトルコのみならずアラブ世界全体ですこぶる良いです。(これとは反対にイギリスやアメリカは激しく嫌われています。)

ロシアは日露戦争当時西欧諸国で唯一、立憲議会制を採っていない国であり、一方の日本はアジア諸国で唯一立憲議会制政治を行っている国でした。

(どうやら民主主義というものが国の発展と関係しているらしいな)

こうして中東の人たちは人種や宗教ではなく、政治システムが国の発展にとって大事だということは何となくわかったわけです。

でも自分達からはどうやってその政体に移行してゆくか方法論がわからないまま今日まで来てしまったのです。

幸いトルコの場合はケマル・アタチュルクが居たので「近代化のこちら側」へ来ることが出来ました。しかしその他の大部分の中東諸国は未だ基本的にはベドウィン(遊牧民)の時代の統治と対して変わらない状態のままで世界から取り残されてしまっているのです。

【民族独立から宗教抗争へと急転回】
中東の人々の近代史を振り返ると当初は「いかに西欧の列強の支配から逃れるか?」という問題にかかりきりになっていたのですが、それが果たせると次は地域内での宗教の問題(イスラム教と回教、スンニ派とシーア派など)にどんどん傾斜してゆきました。

そういう抗争に明け暮れる一方で中東諸国の多くは西側諸国が石油の安定的な供給を受けるのに都合が良いような、親米的、親英的な政権を延命することでさまざまな便宜を受けました。

【高層ビルと旧弊が並存するシュールな世界】
その結果、経済的には石油公社の国有化などで西欧から独立を勝ち取りながら、政治的には現在も旧態依然としたフィーフダム(一族支配)がこれらの大半の国々に残っています。

だからドバイやリヤドでは輝くばかりの近代的な高層建築が妍を競う一方で、これらの国々の政治は旧態依然としています。

この経済と政治のコントラストは嫌でも目につきます。

また欧米は「石油の安定供給さえ得られれば、現状維持の方が良い」という考え方を持っています。これは日頃デモクラシーを信奉する米国などにとってはダブル・スタンダードもはなはだしいです。

【居心地すこぶる悪いサウド家】
今回のムバラク大統領の追放に際して、一族支配国であるサウジアラビアの国王は「そんなに簡単にムバラク大統領を見限るな」と、いちばん強くアメリカを批判しました。

なるほど、為政者の立場からすればそういう事でしょうが、サウジアラビアの国民全般が心の底で今回のエジプトの事件をどういうキモチで見守っているかはまた別かも知れません。

アメリカは今回のエジプト革命を目の当たりにしてこれまで維持してきた中東政策の「虚構」が崩れつつあるのをひしひしと感じているはずです。