【英国の開戦準備】
イギリス政府は空軍(RAF)や海軍を使ってイランを攻撃する計画を着々と進めますが、アメリカは第二次大戦が終わったばかりのタイミングで再び中東で戦争をはじめることに難色を示します。

その後、1953年にアメリカの大統領に選ばれたドワイト・アイゼンハワーに対してチャーチルは「イランがどんどん共産主義に傾斜している」と吹き込みます。

【米ソ冷戦とマッカーシーイズム】
当時、アメリカは第二次大戦で同盟国だったソ連が急に敵に回り、所謂、冷戦の様相を呈してきたので世界への共産主義の拡散を恐れていました。

アイゼンハワー自身、大統領選挙でマッカーシー議員などと協調して選挙戦を戦ってきたこともあり、マッカーシーの主張する「共産主義の脅威」にかなり感化されてしまっていたともいえます。

マッカーシーは共産主義にシンパシーを持つと疑われる人物を、政治家であろうが映画俳優であろうがそれこそ片っ端から攻撃しました。それを「マッカーシーイズム」と言います。(これに抗戦したマスメディア人としてエド・マーロウという有名なニュース・アンカーが居ます。彼の活躍はジョージ・クルーニーが主演した近年の映画『グッドナイト・アンド・グッドラック』に描かれています。)


さて、イランのモサデク自身は社会主義が大嫌いだったので、ソ連と近づくというつもりはぜんぜんありませんでした。

在イランのアメリカの政府関係者もそのようなモサデクの考え方を知っていたので、「同盟国イギリスにとってはAIOCを盗まれてお気の毒だけど、わざわざ空爆を仕掛けるほどの事も無い。モサデクは共産主義の防波堤になる」とむしろ好意的に見ていました。

【辣腕工作員の登場】
しかしチャーチルの「共産主義の脅威」をすっかり信じたアイゼンハワーは英国と協調してモサデク政権を転覆することを企てます。

この任務に当たったのがCIAのエース、カーミット・ルーズベルト・ジュニアです。

カーミット・ルーズベルト・ジュニアはテディ・ルーズベルトの孫であり、中東を担当していました。その仕事は裏金を使ってアメリカの意のままに現地の政治家を操ることです。

話が脱線しますが例えばカーミット・ルーズベルト・ジュニアはエジプトの政界を買収するために多額の裏金を使います。

新しく大統領になったナセルはその資金の意図を見破り、ルーズベルトの鼻をあかす意味で、本来政治工作に使うべき資金でカイロ・タワーを建設します。(カイロ・タワーは「ルーズベルトのオチン○ン」というあだ名がつけられています。)
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さて、テヘランのアメリカ大使館に陣取ったカーミット・ルーズベルト・ジュニアはイランの国王、シャーを懐柔し、傀儡政権を打ち立てることを納得させます。そして裏金を使ってならず者達を雇い、狼藉を働いた上で「モサデク万歳、共産主義万歳!」と叫ばせ、国民に(モサデクの支持者は過激だな)という印象を演出したのです。

こうして混乱を演出した後で1953年8月にシャーの署名した「モサデクを解任する」というレターをモサデクに届けようとします。この決定的な日にルーズベルトはブロードウエイのミュージカル、『ガイズ&ドールズ』の唄、「幸運よ、今夜は淑女で居てくれ!(Luck Be a Lady, Tonight)」を繰り返しレコードで聞いたと言われています。(下は映画化された『Guys & Dolls』。若きマーロン・ブランドが「Luck Be a Lady, Tonight」を唄う場面です。)

しかしこの決定的瞬間にその使者が逮捕され、クーデターは失敗します。

カーミット・ルーズベルト・ジュニアはそこで慌てず、「クーデターの企てを阻止したとモサデク側の気が緩んでいる今こそもう一度クーデターを決行すべきだ」と判断し、3日後にもう一度政府転覆を図ります。

このルーズベルトの機転にはさすがのモサデクも虚を突かれ、ついにモサデク政権は崩壊します。

【その後】
アメリカはシャー(パーレビ)を傀儡としてイランに据え、その後25年に渡ってイランは中東で最も親米的な友好国になります。

しかしシャーはだんだん独裁色を強め国民からは嫌われます。それが1979年のイラン革命につながるわけです。

このシャーとアメリカ政府の関係が今日のムバラクとアメリカ政府との関係と酷似していると感じる人も多いです。