【ウィキリークスでバレた独裁者の性癖】
バーレーン情勢とともに目が離せないのが同じく反政府デモに揺れるリビアです。
リビアといえば独裁者のカダフィを思い浮かべる読者も多いのではないでしょうか?
最近、ウィキリークスで米国国務省の外交文書が暴露されたとき、カダフィに関するいろいろなゴシップもリークされました。
それによるとカダフィは大の飛行機嫌いで、海上を飛ぶのを特に怖がっているとか、ホテルでも高層階は避けるなどの報告がされています。
とりわけ世間の関心を集めたのはカダフィが旅行するときはウクライナ人の「豊満なブロンド看護婦」、ガリーナ・コロンスカを片時も離さないという情報です。
カダフィがニューヨークの国連総会で演説するために訪米した際、この看護婦さんのビザが下りるのが遅れて、あやうく演説が取りやめになりかかったのだそうです。
またカダフィは全員若い女性から成る親衛隊に守られているとも伝えられます。
![Gaddafi's virgin female bodyguards picture[2]](https://livedoor.blogimg.jp/hiroset/imgs/1/5/15429dc3-s.jpg)
【リビアはナイジェリアやカタールより大きな産油国】
このようなエキセントリックな側面ばかりが強調されるので、リビアというのは「北アフリカのヘンな国」であり、我々の生活にはカンケーないという程度の認識しか欧米人は持っていません。
しかしリビアは原油の確認埋蔵量で443億バレル、世界第8位の立派な産油国です。生産量は日産165万バレルで、世界の原油供給の2%を占めています。

その輸出先はイタリア、ドイツ、フランスなど欧州が中心です。

つまりリビアに何かあればヨーロッパへの石油の供給が脅かされるわけであり、それを反映してブレント原油価格(欧州の指標銘柄)は米国のWTI原油よりかなりプレミアムになっています。
【カダフィって、どんな人?】
1969年にリビアで軍事クーデターが起きたとき、当時27歳のカダフィ大佐が革命をおこした反乱分子のリーダーに選ばれました。
このリビアのクーデターは1952年にエジプトで起きた軍事クーデターと状況が酷似していました。
実際、カダフィは幼少の頃にナセルによるエジプトの革命を見てとても影響を受けました。
カダフィが育ったのはサハラ砂漠のオアシス、ハーンであり、国家主席になった後もベドウィンなどの遊牧民と緊密な関係を維持しました。そのライフスタイルは質実剛健かつ禁欲的であるとCIAの資料では伝えられています。
カダフィは子供の頃にラジオカイロから伝わってくるナセルの汎アラブ主義の放送を聞いて自分の政治的イデオロギーを確立しました。
リビアではエジプト同様、貧しい遊牧民は軍隊に入隊することだけが出世の道です。
だからカダフィも出世のために軍人になるキャリアを選んだのです。
その後カダフィは軍隊で頭角を現し、一時は英国の陸軍学校、RMAサンドハーストでも学びました。(RMAサンドハーストは以前にも書いたと思いますがウインストン・チャーチルですら3浪してようやく入学できた難関校です)
カダフィはカーキの戦闘服にマッカーサーばりのサングラスといういでたちで、若いカリスマに満ちていました。だから世界はカダフィを独裁者と見做していました。
しかし米国下院図書館の編纂した資料ではカダフィは自分を単なる革命指導委員会のスポークスマンと見做しており、その関係で彼の正式な肩書も「革命政府の兄弟のリーダー役兼ガイド役」というへんてこりんなものになっています。
バーレーン情勢とともに目が離せないのが同じく反政府デモに揺れるリビアです。
リビアといえば独裁者のカダフィを思い浮かべる読者も多いのではないでしょうか?
最近、ウィキリークスで米国国務省の外交文書が暴露されたとき、カダフィに関するいろいろなゴシップもリークされました。
それによるとカダフィは大の飛行機嫌いで、海上を飛ぶのを特に怖がっているとか、ホテルでも高層階は避けるなどの報告がされています。
とりわけ世間の関心を集めたのはカダフィが旅行するときはウクライナ人の「豊満なブロンド看護婦」、ガリーナ・コロンスカを片時も離さないという情報です。
カダフィがニューヨークの国連総会で演説するために訪米した際、この看護婦さんのビザが下りるのが遅れて、あやうく演説が取りやめになりかかったのだそうです。
またカダフィは全員若い女性から成る親衛隊に守られているとも伝えられます。
![Gaddafi's virgin female bodyguards picture[2]](https://livedoor.blogimg.jp/hiroset/imgs/1/5/15429dc3-s.jpg)
【リビアはナイジェリアやカタールより大きな産油国】
このようなエキセントリックな側面ばかりが強調されるので、リビアというのは「北アフリカのヘンな国」であり、我々の生活にはカンケーないという程度の認識しか欧米人は持っていません。
しかしリビアは原油の確認埋蔵量で443億バレル、世界第8位の立派な産油国です。生産量は日産165万バレルで、世界の原油供給の2%を占めています。

その輸出先はイタリア、ドイツ、フランスなど欧州が中心です。

つまりリビアに何かあればヨーロッパへの石油の供給が脅かされるわけであり、それを反映してブレント原油価格(欧州の指標銘柄)は米国のWTI原油よりかなりプレミアムになっています。
【カダフィって、どんな人?】
1969年にリビアで軍事クーデターが起きたとき、当時27歳のカダフィ大佐が革命をおこした反乱分子のリーダーに選ばれました。
このリビアのクーデターは1952年にエジプトで起きた軍事クーデターと状況が酷似していました。
実際、カダフィは幼少の頃にナセルによるエジプトの革命を見てとても影響を受けました。
カダフィが育ったのはサハラ砂漠のオアシス、ハーンであり、国家主席になった後もベドウィンなどの遊牧民と緊密な関係を維持しました。そのライフスタイルは質実剛健かつ禁欲的であるとCIAの資料では伝えられています。
カダフィは子供の頃にラジオカイロから伝わってくるナセルの汎アラブ主義の放送を聞いて自分の政治的イデオロギーを確立しました。
リビアではエジプト同様、貧しい遊牧民は軍隊に入隊することだけが出世の道です。
だからカダフィも出世のために軍人になるキャリアを選んだのです。
その後カダフィは軍隊で頭角を現し、一時は英国の陸軍学校、RMAサンドハーストでも学びました。(RMAサンドハーストは以前にも書いたと思いますがウインストン・チャーチルですら3浪してようやく入学できた難関校です)
カダフィはカーキの戦闘服にマッカーサーばりのサングラスといういでたちで、若いカリスマに満ちていました。だから世界はカダフィを独裁者と見做していました。
しかし米国下院図書館の編纂した資料ではカダフィは自分を単なる革命指導委員会のスポークスマンと見做しており、その関係で彼の正式な肩書も「革命政府の兄弟のリーダー役兼ガイド役」というへんてこりんなものになっています。
【変化するカダフィの治世】
そのように最初は平等や共同統治を強調したリビアの革命政府ですが、だんだんカダフィは独裁者としての性格を強めてゆきます。
欠席裁判で旧政府の政治家をどんどん投獄し、毛沢東語録(「リトル・レッドブック」)からアイデアをとって「リトル・グリーンブック」を出したりしました。
また国際テロリズムに走り、1972年のミュンヘン・オリンピックでは「黒い9月」グループがイスラエルの選手団を虐殺する際の資金を用立てしました。

さらに1986年にはベルリンのディスコの爆破事件を仕掛けました。
これを見たレーガン大統領はリビアをテロリスト国家だと決めつけ、トリポリとベンガジを空爆します。カダフィは間一髪のタイミングで地下防空壕に逃げ難を逃れます。
この攻撃に怒ったカダフィは報復としてヒースロー発ニューヨーク行きのパンナム103便を爆破しました。

しかしその後は国内経済の立て直しの必要などから欧米との和解を進め、過去のテロリズムの罪状を認め、今ではビジネス最優先の外交スタイルに180度転換しています。
2004年にはイギリスのトニー・ブレアがリビアを訪問し、2006年には米国も国交を回復しました。このような雪解けが原因で欧米はリビアの石油をガンガン買うようになったのです。
リビアはある面では極めて進歩的な政治を行っていますが、逆に極めて後進的で過酷な独裁政権色も残しており、中東ではサウジアラビアなどと並んで人権無視がはなはだしい国のひとつです。
同国での現在の反政府デモがどの程度エジプト革命と同じような性格を有しているのかは良くわかりません。しかし昔から兄貴分のエジプトに感化されやすいお国柄ということもありそれが民衆を煽っているのだと思います。
でもリビアの人口は642万人とエジプトの10分の1以下であり、しかも石油による収入が多い(=長期的にも可採年数は70年を超えています)のでバーレーンやエジプトなどとは事情が異なります。
そのように最初は平等や共同統治を強調したリビアの革命政府ですが、だんだんカダフィは独裁者としての性格を強めてゆきます。
欠席裁判で旧政府の政治家をどんどん投獄し、毛沢東語録(「リトル・レッドブック」)からアイデアをとって「リトル・グリーンブック」を出したりしました。
また国際テロリズムに走り、1972年のミュンヘン・オリンピックでは「黒い9月」グループがイスラエルの選手団を虐殺する際の資金を用立てしました。

さらに1986年にはベルリンのディスコの爆破事件を仕掛けました。
これを見たレーガン大統領はリビアをテロリスト国家だと決めつけ、トリポリとベンガジを空爆します。カダフィは間一髪のタイミングで地下防空壕に逃げ難を逃れます。
この攻撃に怒ったカダフィは報復としてヒースロー発ニューヨーク行きのパンナム103便を爆破しました。

しかしその後は国内経済の立て直しの必要などから欧米との和解を進め、過去のテロリズムの罪状を認め、今ではビジネス最優先の外交スタイルに180度転換しています。
2004年にはイギリスのトニー・ブレアがリビアを訪問し、2006年には米国も国交を回復しました。このような雪解けが原因で欧米はリビアの石油をガンガン買うようになったのです。
リビアはある面では極めて進歩的な政治を行っていますが、逆に極めて後進的で過酷な独裁政権色も残しており、中東ではサウジアラビアなどと並んで人権無視がはなはだしい国のひとつです。
同国での現在の反政府デモがどの程度エジプト革命と同じような性格を有しているのかは良くわかりません。しかし昔から兄貴分のエジプトに感化されやすいお国柄ということもありそれが民衆を煽っているのだと思います。
でもリビアの人口は642万人とエジプトの10分の1以下であり、しかも石油による収入が多い(=長期的にも可採年数は70年を超えています)のでバーレーンやエジプトなどとは事情が異なります。