エジプトでムバラク大統領が追い出された時、「不確実性が払しょくされた」とこれを歓迎する投資家が多かったです。

でも僕はなまじエジプトの人々がムバラクの追放に成功してしまったことで「パンドラの箱」が開いたと思いました。

つまり地政学リスクは低下したのではなく、逆に長期化が決定的になったということです。

それでは今回の一連の中東の騒乱ですが、現在の我々の立ち位置はどのへんなのでしょうか?

僕はこれを山登りに喩えるならば、まだ2合目くらいだと思っています。

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まずエジプトですがムバラクの追放に成功したことで投資家は楽観的です。また軍隊がしっかり9月の選挙までのつなぎの役目を果たしているので事態が悪化することはないと考えている投資家が大半です。

これについては僕の心境は複雑です。

エジプト国民が限定的な犠牲を支払っただけでムバラクを追い出したことには感心するし称賛したいと思うけれど、僕にはフランス革命やロシア革命の、長くて苦しい道のりが思い出されてならないのです。

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ロシア革命の過程で最も庶民が楽観的で歓喜に満ちていた瞬間は革命が勃発して間もない1917年の3月でした。(そこから後はずっと下り坂です。)

1917年の2月23日にパン屋の前に並んだ労働者たちが「今日はひょっとするとパンは届かないかもしれない」という噂を聞いた時、長い間辛抱強く待っていた人々が怒り始めました。

事件の舞台となったペトログラード(=現在のサンクトペテルブルグ)は第一次世界大戦に絡んでロシアの軍需関連産業が数多く立地し、1914年から1916年までの短期間に人口が20万人から40万人に膨れ上がったと言われています。

ロシア政府は従軍する兵士の家族に対する恩給を乱発し現金がだぶついていました。インフレが見込まれたので農家は収穫物を市場に出し渋りました。それがパンが不足した原因です。

「パンをよこせ!」という労働者のデモ行進は2月23日は当初7000人程度でしたが夜までにはそれが7万人に増えました。翌日、デモ行進の参加者は前日の2倍に増え、さらにその翌日には25万人の人出だったと言われています。

その日、ペトログラードの軍隊はデモ隊と合流し、デモ行進に参加します。

ペトログラードの警察隊は2000人ですので数の上でも武器の上でも群衆と軍隊から成る反乱分子に勝ち目はありません。

デモ隊は市の刑務所に押しかけ、政治犯を次々に開放しました。

「俺たちは政府に勝ったぞ!民衆に栄光あれ!」

長い間抑圧されてきたロシアの民衆は圧政から解放されて無制限の自由を獲得した気持ちになりました。

いまやロシアは世界の労働者階級の公民権運動の最先端にあるわけだし、世界の労働運動の前衛としてお手本を示す立場に押し上げられたのです。

問題はこの時点で一体、誰がリーダーになるのか?どのように統治するのか?という事について誰も知らなかったし、皆目見当すらつかなかったという点です。

結局、暫定政権(Provisional Government)と呼ばれる、実業界寄りの政府とソビエトと呼ばれる労働者と軍隊から成る評議会(Council)という2つの政権が誕生しました。

この状態を「二重政権(dvoevlastie)」といいます。

なおソビエトは「命令第一号(Prikaz No.1)」と呼ばれるコミュニケを出し、ロシアの軍隊の行動をソビエトの指導者の下に集中する指令を出します。これが「いっさいの権力をソビエトへ」というスローガンのルーツになります。

人々はあらゆるところで希望や将来の計画や夢を朝から晩まで語り明かしました。

ロシアの詩人、アレクサンドル・ブロックによると「誰もが奇跡が到来したという事実に感無量となり、当然、未来はもっと明るいだろうと確信するに至った」そうです。

ロシア皇帝ニコライ二世はこのとき第一次世界大戦の前線に居たのですが、急を知ってペトログラードに戻る列車は軍隊によって途中で停められ、その間にも続々と閣僚の離反が続きました。結局ロマノフ王朝は立ち往生した列車の中であっけなく崩壊したのです。



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ロシアの庶民はロマノフ王朝の終焉を見て自己陶酔の極みに昇ります。農民は納屋を焼き、地主を殺し、土地を奪い、家畜を殺しました。

そして「きっとロシアにはフランスのナポレオン(=フランス革命後の混乱に乗じてリーダーに昇り詰めた)ではなく、ドストエフスキーのような指導者に巡り合うだろう」と語りあいました。

英国の駐露大使、サー・ジョージ・ブキャナンはそのような状況を見て「ロシア人の考える自由とは、つまり何事も気楽に考え、給料の二重取りをし、不満があれば街頭に出てデモをし、延々と炉辺談義をして時間を潰し、集会を開いてああでもない、こうでもないと決議を繰り返すことを指すのだ」と当時の状況を報告しています。

しかしこのように国の機能が停止状態になっている間にロシアの生産はどんどん落ち込み、経済は破綻的様相を呈してきます。後に「ひもじい春」と呼ばれる、恐ろしい飢餓が待ち受けていたのです。

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結局、ロシア革命(上に書いたのは、所謂、「2月革命」と呼ばれるイベントです)はこの後、暫定政権によるレーニンの追放、経済の大混乱による暫定政権の指導力低下、庶民が銃を取り赤衛軍(Red Army)として政府軍と衝突、ソビエトによる勝利という、所謂、「10月革命」へと続いて行きます。

つまり革命のリーダーシップは二転三転したし、経済の混乱はどんどん深刻化したわけです。

いまエジプト革命とロシア革命を比べると、多くの類似点が指摘出来ます:

1. 革命の当初、誰がリーダーになるか、どのように統治するかが皆目メドが立っていないこと
2. 軍隊がコミュニケを出し重複する権威が形成されはじめていること
3. 庶民は革命に陶酔し、働くことより政治談議に熱中していること

このようなことから、エジプトが今後無事に次の政治体制に移ってゆけるかは未だ即断すべきではないと僕は考えるのです。

しかしエジプトは中東では「兄貴分」の存在であり、アラブ世界は良くも悪しくもカイロで起きている事に強く影響されます。その激震は既に中東・北アフリカ全体に伝わってしまったと考えるべきでしょう。

するとこれまで堅持されてきた中東を巡る地政学的な枠組みは今、音を立てて崩れていると考えるべきなのです。

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さて、マーケットの見地から現在の状況を見ると、先ず世界の金利が低すぎるし、だぶついた流動性が長い間供給されたことでインフレの芽が至るところに出ている状態は現在も是正されていません。

だから新興国は「アメリカの量的緩和政策が悪い」とか責任の擦り合いをする以前に、先ず自国の実質マイナス金利という状態を早く是正する必要に駆られているのです。

新興国における利上げは新興国株式市場にとってあきらかにマイナスです。

次に中東・北アフリカ情勢の混乱は原油価格を押し上げる要因ですが、原油高は欧州や米国の経済にマイナスの影響を与えると思います。従ってこれらの地域のGDP成長予想は今後下がってくると考えるべきではないでしょうか?

そのことは欧米が超低金利政策を引き続き継続しなければいけない事を意味するかも知れません。すると諸悪の根源であるFRBなどの金利政策が今回の中東での事件で余計長引くリスクすら出てくるのです。

今年の相場は難易度が高いです。