デイトレーダーと言うとなんだかやくざなイメージがあり、なぜそのような生き方が存在し得るのかをきちんと説明している人は少ないです。

そこで2回にわけてその「理論化」を試みます。

先ず背景から。

1980年代に「株は長期投資」という掛け声が盛んに言われるようになりました。

それまでは株というのは鉄火場(てっかば=賭場のこと)と同じであり、穢いもの、卑しいものというイメージがありました。

この暗いイメージをなんとか改善しようということで考案されたこじつけ理論が「株は長期に渡って持ち続ければ、儲かる」というものです。

僕が証券界に入った80年代半ばはまさしくこの「美化キャンペーン」の真っ最中で、株式投資はそれまでの芋虫的存在から蝶へと変身したのです。いわゆる財テク・ブーム最盛期です。

ブームが去って20年経た今でも「株は長期に渡って持ち続ければ、儲かる」という議論は深く吟味されることも無いまま、無批判に受け入れられています。

この長期投資の価値観の大前提になっているのがアップワード・バイアス(upward bias)という考え方です。

つまり株には自然に上に行くバイアスがかかるという考え方です。

これは放って置いても経済が成長したり物価がじりじりと上がるのであれば、それに合わせて株式もスケールアップするという考え方から来ている部分が大きいです。

この考え方には僕も基本的には賛成です。

ただ現在の日本のように長期的に経済が足踏みしたり、人口が漸減したり、デフレ圧力がある国ではアップワード・バイアスを前提にした投資は成り立ちにくいです。

またバブルの頂点では日本株のPERが80倍にもつっかけようという勢いでしたから、そもそも国際的に見て割高な日本の株価評価は「世間並み」に落ちてくる必要がありました。

この株価評価の剥落(=それを難しい言葉ではマルチプル・コントラクションといいます)が1990年以来の、蛇の生殺しみたいな苦しい下げ相場の最大の原因だったのです。

別の言い方をすれば「株は長期に持てば、儲かる」という論法は「だから株価水準にかかわらず、どこで買っても同じだ」という短絡的な発想に直結しやすく、投資家を無批判かつ主体性の無い、催眠術にかかった受け身の存在にしてしまうのに極めて都合が良い議論なのです。

でも「株は長期に持てば、儲かる」という議論が究極的にはアップワード・バイアスという唯一点に完全に依存してしまっている以上、(本当に今のマーケットにはアップワード・バイアスがあると信じて良いのか?)という合理的批判精神を持つことが必要だと僕は思うのです。

さて、インデックス型投信を中心とした投資家の間では効率的市場原理というのが信じられています。(因みに僕は余り頻繁にトレードしたくないという投資家にはETFなどによるインデックス型の投資スタイルがベストだと思っています。)

そのココロは(相場の材料は瞬時に株価に織り込まれるのでマーケットに勝つことは出来ない。だからマーケットそのものを買ってしまってもかまわない)というものです。

ところで効率的市場原理を受け入れているもうひとつの投資家グループが居ます。

それは「チャート派」です。

「チャート派」とは株価チャートの形を分析することで投資の判断に役立てようと考える人たちで、別名、チャーチストと言ったりテクニシャンと呼ばれたりします。

なぜチャート派が効率的市場原理を受け入れるか?と言えば、彼らはファンダメンタルズ(=経済や企業の基礎要件)分析の一派との間で「宗教戦争」を繰り広げているからに他なりません。


ファンダメンタルズを分析する人は(まだ他人が気づいていない価値や変化をいちはやく察知することで儲けよう)という発想ないし価値観を持っています。

いま市場が効率的にそれらの価値や変化を価格に反映させているという理論に立てば、そもそもファンダメンタルズ分析という手法そのものがナンセンスになってしまいます。

これに対してチャート派の大好きな議論は「株価は株価に聞いてみろ!」という価値観であり、株価には先見性があるという信念を持っているのです。それは将来のファンダメンタルズの変化は、一足先に株価に織り込まれてしまっているという考えがそもそもあるからに他なりません。

つまりチャート派がファンダメンタルズ派との口論に勝とうと思えば、効率的市場理論を支持せざるを得ないし、それは市場の効率性を信ずるという意味合いにおいてインデックス投資派と近い価値観になるのです。

インデックス投資派はよく「草食系投資家」と呼ばれますし、自分たちも進んでそういうレッテルを貼られることを歓迎しているように思われます。

一方、チャート派は「肉食系」なのだろうと思います。

この極めて性質の異なる2つのタイプの投資家が究極的に同じ理論を振りかざしている点に滑稽さがあるし、投資理論の不毛さがあるし、さらに言えばこの議論の奥の深さがあるわけです。

さて、効率的市場理論に関してはすでに語り尽くされていると感じる読者も多いかと思いますが、運用の現場では未だ知らないこと、わからないことは山ほどあるのです

(最近で言えばブラック・スワンということが指摘されましたが、ブラック・スワンの存在も我々が投資するときに考慮に入れておかなければいけないひとつのファクターとして大事であることがリーマン・ショックなどを通じて痛感されたことは記憶に新しいです。)

このことを示す有名な寓話があるので、それを紹介します。

あるとき2人のエコノミストがお昼休みに出かけた。

すると道端に20ドル札が落ちているではないか?

ひとりのエコノミストはその20ドル札を拾おうとした。

するともうひとりが「やめておけ。そんなの偽札にきまっているだろ。若し本物の20ドル札なら、もうすでに誰かが拾っているはずだ。それにもかかわらず未だそこに20ドル札が横たわっていること自体が怪しい」

この制止にもかかわらず最初のエコノミストは20ドル札を拾い上げてこう言った。

「見たところどうやら本物っぽいね。どうだい、この20ドルで君に昼飯をおごって上げようか?」

寓話は以上ですが、つまり理論の正しい正しくないは兎も角、現実の我々の暮らしの中では上の20ドル札のような事は幾らでも起こっているのであり、誰かが市場の非効率を訂正する「一番乗り」の立場にありついているのです。

つまり効率的市場原理は「自分はその一番乗りにはなれない」ことを前提にしているストラテジーに他ならないのです。



つづき