今日(3月11日)はいよいよサウジアラビアの「怒りの日」です。サウジアラビア各地でデモ行進が予定されています。

一体、このデモ行進がどれだけ大きい規模になるのか、また当局は力ずくでデモ行進を解散させるのか?、、、、、予測できないことが山ほどあります。

ただサウジアラビアにおける反政府運動の在り方はエジプトやリビアのそれとはかなり違ったものになるのではないかと思います。

なぜならサウジの社会はワッハービズム(イスラム原理主義)により厳格に律せられており、蜂起を困難にしているからです。

言い直せばサウジの戒律は別格的に厳しいのです。

それではサウジの戒律とは一体どんなものなのか?

今日はそのイメージを持っていただくために有名な「プリンセスの処刑」のエピソードを紹介します。

1977年に起きたサウジアラビアのプリンセス(王女)の公開処刑のニュースは世界に衝撃を与えました。

この公開処刑をたまたま現地の建設現場で働いていたイギリス人技師が激写したことから世界的な反響を呼びました。

BBCがこのエピソードを放映したとき在サウジアラビアの英国大使が国外追放になったほどです。

このイギリス人技師は仕事を終えて投宿していたホテルに帰ると町の雰囲気が異様なことに気がつきます。ホテルのフロントの人から「今日、近くで公開処刑がある」という話を聞いたのでタバコの箱に穴を空けて小さなインスタントカメラを隠し、処刑の現場を撮影したのです。

公開処刑では先ずダンプトラックが大量の砂を運んできてそれを山のように盛り土しました。

処刑されるプリンセスと相手の男は別々のバンで現場に運ばれ、車から引き摺り降ろされました。

まず盛り土の前に跪いたプリンセスが拳銃で数度撃たれました。

次に不倫相手の男性が跪いた姿勢で大ナタで首を斬り落とされました。


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このプリンセス(当時19歳?)のお祖父さんは当時のサウジ国王、ハリードの実兄、モハメドです。

モハメド本人は1964年にサウド国王が死んだとき王位継承をする筆頭の順位にあった人です。(つまりサウジアラビアの初代国王であるサウド国王から数えてNo.2という高い位の人です。)

しかしモハメドの残忍な性格を一族が恐れ、合議で彼を国王にするのをパスしたのです。

サウジアラビアでは王位継承は先ず血筋による序列が重要ですが一夫多妻制ということもあり王位継承の順位を決めるには複雑で多様な要因を勘案しなければいけません。

たとえばサウジアラビアの建国の父であるアブドル・アジズ・イブン・サウドには9人の妻が居ます。

(アブドル・アジズは建国の父ですが当時はサウジアラビアが独立国ではなかったので「サウジ国王」という称号はありませんでした。確かKing of Hadjaというのが正式名称だと思います。それとアブドル・アジズのイメージは天下統一を目指した織田信長みたいな「武将」であり、国王という名称の持つ特権的なニュアンスは彼には当てはまらないと思います)

そして24人の男児を産ませています。(女児も当然、同じくらい生まれているのですが正確な数は報道されていません。)

この24人は1902年から1943年までの約20年間に生まれた子供たちであり、彼らの間で王位継承の順位を決めてゆかねばいけないのです。

上述したモハメドはこの孫娘を特別寵愛し、世界を漫遊する際連れて回りました。このプリンセスはなにひとつ不自由ない暮らしをしたわけです。そして適齢期になったとき同じサウド家のいとこと「お見合い結婚」をしました。

しかしこの孫娘がちゃんと結婚した相手が居るのに不倫をしたのです。

プリンセスの処刑を命令したのはモハメドその人であるというのが現在の定説になっています。

一方、プリンセスの不倫相手に関してはいろいろな「伝説」があり、どれが事実かわかりません。

ひとつの説は彼女がベイルートに留学した際、知り合った男と関係を持ったという説です。

また別の説では彼女が関係を持った男は海外留学の時ではなくサウジアラビア国内に居たというストーリーもあります。

さらに彼女は裁判にかけられた際、自ら進んで関係を持ったということを自白したため、極めて位の高い女性であったにもかかわらずワッハービズムの戒律に従って処刑せざるを得なくなったという説もあります。

つまり彼女は自ら自白し、死を選ぶことでサウジアラビアの社会に対する抗議をしたのだという解釈です。

もともとイスラム教の開祖、マホメットの教えではイスラムの女性は別に隷属的な存在ではありませんでした。

ベールを被るという規定もコーランにはありませんでした。

マホメットの死後1000年以上も経った後にオスマン帝国の時代にベールが導入されたのです。

さらに回教そのものは民主的な宗教で、もともと国王という概念はありませんでした。

コーランは「リーダーは人民によって選ばれなければいけない」と規定しており世襲を禁じています。

するとサウジアラビアのような一族支配はコーランの教えに反していると考えることも出来るわけです。

プリンセスは従って回教にではなく、回教の「ひとつのバージョン」であるワッハービズムという厳格な社会システムに抗議するために死を選んだという説はこのへんから来ているのです。

同じイスラムでもサウジアラビアのイスラムと南アジア(たとえばブルネイ)のイスラムでは雲泥の違いがあります。

だからバーレーンで反政府デモが起きた時、サウジアラビアのアブドラ国王が「おまえらのやっていることは手緩い!」とバーレーンの国王を叱咤したわけです。

また今日はお金の無いバーレーンとオマーンの政府に対し、GCC諸国(その中核はサウジやクウェートなどのお金のあるアラブの国々です)が100億ドルの社会保障の補助金を出すことを決議しています。

自分の国にお金をばらまくというのはわかりますが、他の国の「福祉」にまでカネを出すというのは越権行為ではないかと思いますが如何なものでしょう?

僕がバーレーンの王様ならその勢いでいずれサウジアラビアの国王に国を取られ、王権から追放されるのではないか?と冷や汗をかくと思います。