Twitterでみなさんとやり取りしていてだんだん自分の考えがクリアーになってきたのですが、結局、避難の指示出しの問題は被曝範囲をどう評価するかという「科学の問題」ではなく、むしろ政治ないしは経済的な難問なのではないでしょうか?

チェルノブイリで事故があったとき、150Km離れたキエフ(現在のウクライナの首都)では別に生活に支障はきたしませんでした。だからそれよりもっと離れている東京は大丈夫なような気がするのです。

30Km以内の人(対象になる人口14.9万人)は避難せざるを得ないとしても、30Km以上、80Km以内(=米国NRCの定める安全地域)の人が避難するかどうかは個人の感じ方、考え方の問題のように思います。


ただ80Km以内と言うと対象になる人口が一気に205万人に膨れ上がるので、その人たちに「退避しなさい」と勧告を出すと民族大移動のようなスケールになってしまうし、だいいち収容する受け皿も用意できないと思うのです。

だから政府としてはそういう事は口にしにくいだろうし、アメリカのラジオを聴いていたらこちらの識者も「ロスアンゼルス(=原子炉が断層上にあります)で同じことが起きたらアメリカの政府だって退避の指示はだせないだろう」とインタビューに答えていました。

つまり国としては受け皿のことを考えもせずに指示は出せないし、また妙案は浮かんでこないのです。

すると市民同士が困っている人の意を汲んで、「ウチに来なさい。一家族全部はムリだけど、ウチなら2人までならOKだよ」と胸襟を開く以外に無いと思うのです。

人と人とのつながりが薄れてしまっている現代、できっこない無理難題を政府に押し付けるのではなく、市民のレベルで小さな親切をし合うことで難局を乗り切るというのは、どうですか?