フェイスブックが日本に上陸した際、日本人の多くは実名主義に違和感を覚えました。

「実名主義は日本では流行らない」

そういう抵抗の声がいろいろな方面からあがりました。

このように新しいものを受け容れることを拒むことをpush backといいます。

イノベーションの伝播とそれが社会に与える影響を考えるとき、そのようなpush backは極めてありふれた現象ですし、いずれそのような抵抗の声は死に絶えます。

これを理解するには:

1.技術革新
2.それが経済に与えるインパクト
3.さらに最後に国民生活がどう変化するか

という3つの要素の相互関係について語る必要があります。(なおこの分野での研究ではベネズエラの学者、Carlota Perezの研究が知られており、ここで書くこともペレス理論にヒントを得ています。)

【技術者の世界】
先ず技術革新が起こるとその新しいテクノロジーは技術者の間にはまたたく間に広まります。
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それを起爆剤として一連のイノベーションが起こります。しかしアイデアはある時点で出尽くしとなり、「見るもの、聞くものが全て新しい」という状態はいずれ終わります。

陳腐なアイデアが出てくるのはそういう時です。(ドットコム・バブルの例で言えばペットドットコムやウェブヴァンがこれに相当します。)
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【金融の世界】
一方、金融市場ではイノベーションを最初に察知するタイミングは技術者のコミュニティより一足遅れます。

しかしひとたびイノベーションが起きているという事実が察知されるや、その「夢の先喰い」が猛烈なペースで起こります。
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つまりIPOブームが起こるわけです。そして恐ろしいスピードでそのイノベーションに対する評価が拡大し、しかも事業アイデアに対する無差別なファンディングが可能になります。

その結果はバブル崩壊です。

バブル崩壊は単にそのイノベーションを生んだ業界だけでなく、広く経済全般に打撃を与えます。

【一般社会】
一方、新しい技術が一般社会に広く受け入れられる過程を見ると技術者のコミュニティや金融のコミュニティにおける話の知れ渡る速度よりずっと遅いペースで着々と新技術が庶民の暮らしに定着します。
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もちろんその途中ではバブル崩壊が引き起こす景気後退を伴うわけで、新しい技術の普及は一時的に鈍化します。

新しい技術は普通、昔のやり方より廉価で、より使い勝手の良い手法であるのが常ですから、景気後退の局面では企業や個人はコスト削減の方便としてバブル崩壊の張本人となった新技術を結局支持し、生活に取り入れます。

この時点で新技術はクリティカル・マス(少数派から多数派への分岐点)を形成するわけです。

社会のパラダイムが変化するのはこの瞬間です。


それはしかし社会の軋轢が大きくなる時でもあります。
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一例で言えばフォードが「モデルT」を発表して、自動車を量産しはじめると人々の生活の隅々まで影響が及ぶようになったことが指摘できます。

それまでの鉄道中心の物流がトラックなどに取って代わられたし、行楽やビジネスの進め方も激変しました。

それは鉄道に勤める人にとっては斜陽化を意味しましたし、それだけにとどまらず運転免許を持っていないと就職にすら差し支えるということがアメリカではおきました。

つまり社会の一員として競争に劣後しないためにも自動車教習所に通って新しいスキルを身につけることが新しい「社会の常識」になったわけです。
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このときほど新しいパラダイムに順応できる国民と、そうでない国民の軋轢が極大化するときはありません。

コンピュータが使えないシニア層とか「情弱」などの問題はこのときに噴出するのです。しかし既存の社会システム(たとえば市町村の役場の在り方や公共性の強い企業など)は未だガッチリと旧体制を堅持したままで動こうとはしません。

ここで再び「なぜ新しいパラダイムを採用しなければいけないのか?」という問題に立ち戻ってみると、在宅勤務や遠隔ビデオ会議のように新技術を積極的に取り入れた方がコストが安くなるからです。

そこで「自宅からのビデオ会議参加で失礼します」と言う風な新しいビジネスの礼儀なり流儀なりが社会から許容されなければいけなくなるわけです。

フェイスブックの実名主義が日本で論争を巻き起こしたのは、それがプライバシーに対する新しい考え方や価値観を持ち込んだからであり、これはインターネット社会というものがマチュアー(成熟化)になっていることの証です。
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イノベーションがマチュアーになり、その恩恵に浴することが極めて低価格で誰にでも可能になれば、進んでそれを受容する者は競争優位に立てるし、逆にみすみす使えることを知っていながら愚図愚図していた者は競争に負けてゆきます。

これは機動力のある企業とウスノロな企業との間での競争という面でも当てはまるし、ひとつの企業の中でも新しいツールを使いこなせる社員とそうでない社員というカタチで能力格差を生みます。また先進国がボヤボヤしていたら、廉価な新技術を使って新興国がお株を奪うということもおきかねません。

この問題は雇用形態や就職活動や学校におけるスキルの指導、つまり教育の在り方などにも影響する問題なのです。

こういう切り口から物事を考えれば、なぜ今、フェイスブックやリンクトインが話題をさらっており、しかも日本からは「日本でそれをやると人事部に見つかる」式の否定的な意見がどんどん出てきているのか?ということが理解できると思います。