ベネズエラのウゴ・チャベス大統領が癌のキモセラピー(化学療法)のために再びキューバに出国しました。

これに先立ってブラジルのジウマ・ルセフ大統領が「わたしもここで癌の治療を受けたのだから、貴方もいかが?」とブラジルのシリオリバネス病院の癌センターへの入院を勧めたそうです。

しかしチャベス大統領はその申し出を断って再びキューバを選びました。

これに関し、ニューヨーク・タイムズは「ブラジルだとチャベス大統領の容体に関する情報が漏えいしやすい。キューバなら医師の口が堅いだろうから、こちらの方が安全だろうと判断したのだろう」と書いています。

チャベス大統領が1998年に権力の座に座るまでにベネズエラは約40年間に渡ってDemocratic ActionとChristian Democratic Partyという2つの政党が同国の政治を牛耳ってきました。そこでは腐敗と不正が蔓延し、一部の特権階級だけが私腹を肥やすような社会になっていました。

1980年代から1990年代にかけてベネズエラのGDPは約40%近くも落ち込み(=石油価格の下落が関係しています)、同国の経済は混乱しました。


そこで落下傘部隊の中佐だったチャベスは反政府クーデターで政府転覆を試みるわけです。

このクーデターは失敗し、チャベスは2年間投獄されます。しかしこの大胆で勇敢な行動が国民の心に訴え、6年後の選挙でチャベスは勝利するわけです。

彼の政治スタイルはポピュリズム、愛国主義、軍国主義、社会主義をブレンダーに入れてミックスしたようなユニークな治世です。その裏返しとして憲法の軽視、民主主義の軽視、政府ならびに軍隊による企業の支配、政府の批判者を抹殺する、イランやリビアのような「悪い国」に接近するということが進行しました。

その結果、官僚機構は骨抜きにされ、政党は弱体化し、全ての権限がチャベス大統領に集中したのです。

このようなプロセスを「リビアのカダフィの治世と似ている」と考える政治学者も多いです。また「(アルゼンチンの独裁者)ペロンに石油収入を賦与したら、チャベスになる」と形容する人も居ます。

いずれにせよチャベスが不在のベネズエラはカダフィが居ないリビアのようにフニャフニャした存在になる恐れがあるわけです。

ベネズエラの石油が世界に占める重要性(=サウジアラビアにほぼ匹敵)を考えた時、同国のリーダーシップを巡る問題からは目が離せないと思います。