今日はインドの政治・社会について説明します。

最低限知っておくべきインド近代史
インドは英国の植民地でした。マハトマ・ガンジーの無抵抗主義に依拠した根気強い独立運動の末、1947年に独立を獲得しました。

英国の下で資本主義経済の嫌な部分をずっと見てきたので独立にあたって英国や米国の経済運モデルを導入するのには抵抗がありました。

また、独立運動を通じて国民はみな平等であるべきだという考え方が当時の政界のリーダーに強く根付き、これらのことから結局、ソ連に経済運営のお手本を求めることになりました。

しかしインドには英国統治下の頃からすでに活動していた私企業が沢山存在していたので、結局、それらの企業は温存し、その上にソ連型の計画経済の命令システムをそのまま載せるというかなり出鱈目なツギハギの経済システムを構築しました。このような市場経済と計画経済とを無理矢理合体させたシステムのことを「混合経済」と呼びます。

独立直後の経済
さて、独立直後のインドの経済は農業、漁業、などの第一次産業の占める比率が経済全体の58.9%でした。さらにジュート、綿花、テキスタイルなどが10.8%を占めていました。典型的な農業国です。歴史的にインドの土地所有制度は複雑でこれが生産性の向上を阻む一因となってきました。インドはソ連型の「5ヵ年計画」を採用、第1次5ヵ年計画は1951年にスタートしました。このときのプランでは農業改革に重点が置かれていたのですが成果はあまりあがりませんでした。

ヒンズー成長率
それ以降、インドの5ヵ年計画は重工業の育成や所得の向上などに重点を移してゆくのですが、所期の成果が達成出来たケースは稀で、殆どが期待はずれに終わりました。1951年から1979年までのインド経済の平均成長率が3.1%という低い水準にとどまりました。人口増加を勘案した、一人当たりの成長率で見るとこの間の成長率は年率1.0%という情けない数字になります。「ヒンズー成長率」というのはそのような万年低成長に甘んじるインドの姿を自虐する言葉です。

改革
インドは長年の低成長で海外債務を累積し、その債務の履行に問題を生じました。そこで役に立たない「混合経済」を捨て、根本的な経済改革をする必要が出たのです。

外人嫌いなインド政府はこれまで経済的には擬似鎖国政策を敷いてきました。しかし背に腹はかえられなくなったので外資のインド進出を認める決定を下します。この先陣を切った企業のひとつがエンロンです。

エンロンはダボールに巨大な発電所を建設するプロジェクトを提案、工事に取り掛かります。しかしインドの国民の外資に対する不信感は根強く、デモ、サボタージュなどが相次ぎます。

このプロジェクトを推進したエンロンのエグゼクティブがレベッカ・マークというテキサス州出身の女性だったことも文化的にインドの価値観とは相容れないものだったことも指摘されるべきでしょう。
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結局、この世論の沸騰に乗じて野党のBJPが政権を獲得、BJPはこのプロジェクトの差し止めを指示します。こうしてインドの市場開放はのっけから暗礁に乗り上げてしまったわけです。

しかし、インドの政策は失敗ばかりではありませんでした。例えば、インドの初代首相、ジャワハルラル・ネールが1951年に創設したIIT(インディアン・インスティチュート・オブ・テクノロジー)は大変優秀な理工系の学生を大量に送り出しました。問題はそういう高度な教育を受けた優秀な学生が、自分の才能を生かせる雇用の場がインド国内に存在しなかった点です。この為、それらの学生の多くは印僑として海外に脱出し、その少なからぬ者がシリコンバレーに根を下ろしました。

エンロンがインドに進出したのと同時期にゼネラル・エレクトリック(GE)も発電装置の売り込みでインドにやってきました。その機を捉えてインド側が「自分達に御社のアウトソースをやらせて下さい」とGEの名物経営者、ジャック・ウェルチに熱心なセールス攻勢をかけたのです。
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ウェルチはこの誘いに耳を傾け、インドにITのアウトソースを発注します。経営の神様、ジャック・ウェルチから「お墨付き」を貰ったという事がインドのアウトソース業界の国際的信用を確立したのです。

インドの政治
インドは連邦共和制(Federal Republic)の民主国家です。立法、司法、行政の三権分立がきちんと確立しており、民主主義が国民にしっかり根を下ろしています。

憲法制定は1950年です。インド憲法の草案を作ったのはB.R.アムべドカー博士です。同博士は不可触民(Dalit)のカーストに生まれ、米国のコロンビア大学で学位を取得し、カーストを重んずるヒンズー教から仏教に改宗したことで知られる人物です。インドの憲法がカーストを排している事はこの点からも伺い知れます。ただ、社会習慣としては現在でもカースト制度は生きています。インドは憲法の改正を頻繁に行なう国として知られています。

議会は上院(Rajya Sabha)と下院(Lok Sabha)の二院制です。代表的な政党としてはコングレス党(Indian National Congress=国民会議派)、野党の最大勢力であるBJP(Bharatiya Janata Party)、共産党などがあります。

コングレス党は1885年に当時植民地の支配者だった在留英国人たちが政治討論のソサエティーとして始めた集まりが、のちに政党となりました。マハトマ・ガンジーが、本来、エリートの圧力団体に過ぎなかった同党を大衆運動の基盤として造り変えたことが今日の由緒正しいコングレス党の起点になりました。

現在のコングレス党のリーダーはソニア・ガンジーです。ソニア・ガンジー(旧姓マイノ)はイタリアの裕福な建設業者の娘で、18歳の時、英国に語学留学しました。その時、ちょうどケンブリッジで学んでいたラジブ・ガンジー(インデラ・ガンジーの息子、のちに首相となる)と知り合い、恋愛結婚しました。結婚してインドに嫁ぐまではインドについての知識はゼロだったそうです。
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しかし、義理の母となるインデラ・ガンジーとは最初に会ったときから意気投合、インデラはソニアをわが子以上に可愛がったといいます。一方のソニアの方は政治には無関心で専業主婦というのが性に合っていたそうです。
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その後、インデラとラジブが暗殺されるに至ってソニアは「もう政治家はこりごり」という気持ちになります。

しかし、90年代を通じてコングレス党が没落してゆくのを目の当たりにし、また、大衆も「ガンジー・ネール王朝」から救世主が登場し、政治を変えてほしいと熱望した為、ソニアは敢えて党首となります。彼女は上に述べたようにイタリア人ではありますが義理の母と主人を相次いで暗殺で失い、とりわけ凶弾に倒れたインデラ・ガンジーはソニアの腕の中で息を引き取ったと言われます。このような悲劇をつぶさに見たインド国民はソニアに「ガンジー・ネール王朝」の継承者として血のつながり以上の運命的な正統性を自然に感じるようになったのです。

インド首相の権限は広範に渡り、政治の中心となっています。インデラ・ガンジー首相が1975年に戒厳令をしいたケースを見ても首相というポストの力の強さを窺い知ることが出来るでしょう。インドの伝統では政権党のリーダーが首相を務めます。しかし現在は上のような経緯(帰化したとはいえイタリア人であること)からソニア・ガンジーは首相を務めることを辞退し、経済学者でインド経済の市場経済への移行の青写真を作ったマンモハン・シン博士を首相に任命しました。

インド社会
インドは多宗教、多言語、多民族の国家です。宗教の内訳は:

ヒンズー教82%
回教12%
キリスト教2%
シーク2%
仏教1%

などです。一方、言語では公用語はヒンディーです。英語も公用語扱いですが英語を話せる人は少ない(英語を主として話す人口はインド全体の0.3%、セカンド・ランゲージとして英語を話すのは全体の1%未満)です。このほか、ベンガル語、グジャラット語、タミル語、カシミール語など多様です。次に民族を見ると:

インド・アーリア系72%
ドラビディア系25%
モンゴロイド系ほか3%

となっています。
このため、国民の利害をまとめるのは単一言語、単一民族国家である日本よりかなり難しいと言えるでしょう。加えてインドにはカースト制度という伝統があります。カーストはポルトガル語のcasta(種族)から来ています。インドの独立以降、カースト制度は外見にはかなり変化しています。インドの憲法がカーストに基づく差別を禁止しているのはその一例です。しかし、カースト制度は何百年も続いてきた習慣で、現在でも人々の行動やものの考え方、社会や家庭の形成において根強い影響力を持っています。カーストの影響はインド人がものを考える時、1.上下の関係(ヒエラルキー)で捉える、2.浄・不浄という観念で捉える、という2つの軸を与えているといえるでしょう。

上下の関係で言えば、例えばビジネスの場面で上司をchachajiという敬称で呼ぶのはそのひとつの例です。

一方、浄・不浄の観念はカーストに基づいており、「身分の高いものは浄、身分の低いものは不浄である」という先入観があります。例えば身分の高いBrahmanは身分の低いMehtarより清潔であるとされます。身分の低いものが調理した食事を口にしたり、身分の低いものが汲んで来た水を飲むと身分の高いものが「不浄になる」という考え方は今でも根強く残っています。

こういう習慣が出世や、婚姻など、様々な局面で影響してくるのは言うまでもありません。例えば、インドの教育水準は国民全体の平均でみると中国などのエマージング諸国より低いです。その一因は低いカーストに属する子供達の場合、折角、学校に通い始めても生活が苦しいので働くためにドロップアウトするなど、社会・経済的な理由にあるとされています。

インドはこのように多民族、多言語、多宗教で、さらに階級意識が強く、社会的モビリティー(地位の向上)が低いですから、この国の教育水準とか生活水準を全体的に「底上げ」するのは並大抵の努力ではありません。

その一方で、例えば英語が話せてコールセンターなど新しいタイプの職場に就職できるというのはカーストの差別を克服する数少ない機会を提供しています。



参考図書
India: A Country Study
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