Once in Golconda: A True Drama of Wall Street 1920-1938 (Wiley Investment Classics)Once in Golconda: A True Drama of Wall Street 1920-1938 (Wiley Investment Classics)
著者:John Brooks
販売元:John Wiley & Sons
(1999-09-21)
販売元:Amazon.co.jp
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★★★★☆(評者)広瀬隆雄

1920~30年代のウォール街を活写した古典に『むかしゴルコンダにて』という本があります。同書はまるで琥珀色に褪色した当時のニュース・リールを見るような、美しく、そして哀しいドキュメンタリーです。

僕がウォール街に就職した最初の頃、当時の上司に「この本、読んでごらん」と薦められました。

著者、ジョン・ブルックスの文体はどちらかといえばカジュアルですが、まるでその場に居合わせたかのような臨場感溢れる語り口が読む者をどんどん引き込みます。

リーマン・ショックが起きた後、この本を読んでいたお陰で(次はゴールドだな)と直感しました。それ以来、Market Hackの前身ブログ、「外国株ひろば」やコラムを担当している「ダイヤモンド・ザイ・オンライン」などで機会あるごとに不況対策とその副作用としてのゴールドの上昇の可能性について何度も書いてきました。

その金価格はいよいよ垂直に騰がり始めています。
GLD

以下は1933年にフランクリン・D・ルーズベルト大統領が就任し、ドル安政策が採用された当時の事を書いた部分を僕が抄訳したものです。(これは2008年11月にブログ「外国株ひろば」に最初に紹介したもののコピペです。)

大統領就任式の前日、トーマス・ラモントは旧友のフランクリン・D・ルーズベルトに電話した。ラモントの電話の狙いは金融危機に関して余り性急な政策に走らないようにルーズベルトに嘆願することだった。その夜は金曜日でニューヨークに本社を構える主要銀行の多くはなんとか翌日の「はんどん」を無事やりすごすことが出来るのではないかと願っていた。

月曜まで持ちこたえられれば、、、、新大統領の就任演説に力を得た国民は安心し、取り付けの危機は回避できる、、、。

しかしルーズベルトは当然のこととしてこのアドバイスを無視した。彼が大統領になって最初にしたのは4日間に渡る「銀行休業日」宣言だ。実際には銀行は4日間ではなく8日間休業する羽目になった。ラモントの期待していたのはルーズベルトと、彼がこれから発表するであろう「ニュー・ディール」政策への期待で何とか市場への信頼が戻ることだった。いささか奇妙だったのは「ニュー・ディール」政策の立案者たちは駄目もとでそれを考案したにもかかわらず、ウォール街は早くも「ニュー・ディール」に高い期待を寄せていた点である。


ウォール街は兎に角、いまの苦境からひっぱり上げてくれる救世主を求めていた。ここから出してくれるのなら、その救世主がどんな主義・主張をもっていようがそんなことにはこだわらないという気分になっていたのである。この盲信的な態度はルーズベルト政権の「称賛の100日間(Celebrated first one hundred days)」の間中続いた。そしてこの期間に新政権はスリルに満ちた前例の無い大胆な政策を次々打ち出したのである。工業復興法案、農業調整法案、テネシー川流域再開発局、連邦持ち家法案、農家信用法案など、様々な法案が下院に送られた。さらに銀行と証券の分離を定めた証券取引法もこのときに成立している。神聖なるモルガン銀行はこの法律によって銀行と証券に分断されるわけだが、通常ならウォール街の猛反発を喰らいそうなそんな法律までもが歓迎されたのである。

8日間の休場の後、3月15日にニューヨーク証券取引所がリチャード・ウィットニーの市場再開の宣言とともに立会いを開始した際には大引けまでにマーケットは15%も暴騰した。こんな強気相場はブームの真っ只中だった1920年代を通じても一度も無かったことである。場立ち連中は早くも「ルーズベルト相場」ということを言い始めた。この「ルーズベルト相場」というのはもちろん、1920年代の「クーリッジ相場」をもじった表現なのだが、その後は週をおうごとに1920年代のブーム時代が戻ってきたような共通点が幾つも至現した。4月20日には過去3年で最高の出来高となり、ティッカーは大幅に遅延した。証券会社は慌てて秘書や伝令や事務方の社員を再雇用し、ウォール街は再びブームを取り戻したように見えた。この伝染しやすい楽観論の出所はルーズベルト新大統領に他ならない。そのルーズベルト大統領は側近のひとりの言葉を借りれば「お伽話の王子様のように、一体、怯えるというしぐさはどうすればよいのか知らないと言わんばかりに自信に満ちていた。」

こうして7月までには株式市場は就任演説の日から2倍に上昇していたのである。4ヶ月間での上昇率という点では勿論、これは新記録である。
しかしこの熱狂的な期間にウォール街では不思議な現象が起こり始めた。最初はそれに気がつく者は少なかったが、最後には深刻な事態になった。その現象とはウォール街の主人公であるはずの「マネー」、つまりドルそのものの価値が揺らぎ始めたことだ。

それまでドルはきっちりと固定されてきた。銀行界ではそれが当然だと思われてきたし、宇宙の法則のように不変なものとして受け入れられてきたのだ。ゴールド・スタンダード、つまり金本位制度である。この規則では金1オンスは$20.67と定められていた。

しかしこの大原則が停止されたためにドルは投機家たちによってまるで卑しい株式と同等にオモチャにされる羽目に陥るのである。

ドルが下がり始めたのはルーズベルトが大統領に就任した2日目からである。この日、ルーズベルトは臨時措置としてゴールドの輸出を止めるとともにゴールドの蓄蔵をやめると宣言した。ルーズベルト政権は「これはあくまでも臨時の措置である」とし、とりわけ「臨時」という言葉を強調した。

この発表があった日はちょうどルーズベルト大統領が臨時「銀行休業日」宣言をした期間中であったから、ウォール街の銀行家や証券業者は自分の身の上を案じる方が先で、ゴールドの輸出停止など誰も気に止めなかった。だいいち「銀行休業日」さえ終わればゴールドの禁輸措置も当然解除されるものだと皆が信じて疑わなかった。ビル・ウッディン財務長官も「金本位制度が停止されたなどと言わないでくれ。全く馬鹿げているし大衆の誤解を招きかねない。」とコメントしたほどだ。

ウォール街の関係者やルーズベルトの側近が見誤った事はルーズベルト大統領が金融という命題に関して極めて凝り固まった考え方をする人間だという点である。ルーズベルトの側近たちによれば彼は金融知識ゼロのところへ持ってきて、経済学者などの振り回す理論より、自分のお金に対する直感の方が正しいと確信していたという。ルーズベルトは財政の問題をまるでカジュアルでいささか滑稽なものだと捉え、ときには退屈きわまりないものだと遠ざけるかと思えば、ときにはその不思議なメカニズムに熱中したりした。

ルーズベルトの取り巻きのアドバイザー達も玉石混交の様相を呈していた。財務長官のウッディンはもともとペンシルバニアの事業家でとっつきやすいが切れる男であり、経済に関する知識は正統派だった。予算委員長のルイス・ダグラスは頑固な健全財政主義者だった。国務補佐官のレイモンド・モーリーはコロンビア大学の公法の元教授であり、ルーズベルトの選挙参謀を務めた男だ。そして人前にめったに姿を現さない謎めいた人物、ジョージ・フレデリック・ウォーレンが居る。彼はコーネル大学の農業経済学の教授でありコモディティー価格とドルの価値について独特の考え方を持っていた。

最後にウォール街の代表としてジミー・ウォーバーグがルーズベルトのアドバイザーとなった。ジミー・ウォーバーグはインターナショナル・アクセプタンス銀行の頭取だったがルーズベルトから財務次官のポストを与えられた。ウォーバーグは個人的な理由からその任命を辞退し、その代わり「無給、無冠のホワイトハウスの金融アドバイザー」としてルーズベルトの一行が贔屓にしたカールトン・ホテルに引越した。

4月になるとアメリカ西部から不気味な雷鳴が届くようになった。それはつまりアメリカの農民たちが暴動を起こす寸前のような一触即発の状況になったということである。農作物の価格は1926年頃の水準の4割程度まで落ち込み、その結果、農民がその年の収穫を全部売ることに成功したとしてもローンの払いを返すことは不可能になったのだ。このため大勢の農民が家を追われ、アイオワではローンの支払い不履行の差し押さえを支持した裁判長が農民達からリンチに遭いかける騒ぎに発展した。

議会ではインフレ政策を推進せよという議論が熱を帯び、オクラホマ州のエルマー・トーマス上院議員は「農業調整法」の改正により大統領が自由な判断でどしどしドル紙幣を刷れるようにすべきだという議員立法を提出した。

ウォール街の関係者にしてみればそれは財務上の無政府状態を意味する。この法案の可決はゴールド・スタンダードの死を意味していた。

4月18日にルーズベルトはホワイトハウスで閣議を開いた。その議題は来る国際金融経済会議に備えるための準備ということだった。ハル国務長官、ウッディン財務長官、「全能の神」モーリー、そして金融界からはダグラス、ウォーバーグ、ファイスらが召集を受けた。ところが会議が始まってみるとルーズベルト大統領が閣議招集した意図は別のところにあることがわかった。大統領はモーリーにトーマス・アメンドメント(=農業調整法案)が下院を通過するように工作するよう指示した。そして集まった閣僚たちに向き直ると「わが国は金本位制から降りることにした」と宣言した。そして「この仕事はチョッと褒めてもらえるに値するとは思わないかい?」と言った。

閣僚たちはルーズベルトを称えるどころかこの「爆弾発言」に驚いた。金融界のアドバイザー達はルーズベルトに「そんなに軽々しく国家の通貨の健全性を危険に晒すような真似をしてはいけない」と延々2時間に渡ってインフレの怖さを講義する羽目になった。最後にはドイツで1923年に起きたハイパー・インフレーションの例を持ち出して経済が大混乱に陥りかねないことを指摘した。アドバイザー達はドイツの労働者の昼飯代が一日で60万マルクから次の日には150万マルクに暴騰した例などを懇々と説明した。ルーズベルトは閣僚たちの狼狽振りを見て内心愉快になったが、閣僚達にはクールに振る舞い、金本位制離脱の考えに揺るぎは無いことを示した。その夜、閣議からの帰り道でダグラスはウォーバーグに「これで西欧文明もオシマイだ」と嘆いた。

ひとたびアメリカが金本位制度を離脱すると発表されたらニューヨーク株式市場の反応はすさまじかった。マーケットは荒っぽい立会いの中を急に値を切り上げて行ったのである。これはある意味、理屈に適っている。なぜならドルの価値が安くなるわけだから、減価する紙幣を避け、なるべく早く別の資産にシフトする必要が出るからだ。それにしても奇異だったのはウォール街からは純粋な経済理論の見地からの金本位制離脱に対する反対や危惧の声はぜんぜん聞かれなかった点である。ウィギンスやミッチェルといった大物のバンカー達は長年の恐慌と金融パニックで完全に自信喪失しており、沈黙を守った。

さらにも驚いたことに『ウォール街23番地』が「私は大統領の取った金本位制離脱の決断を支持する」という署名入りの声明を出した。もちろん『ウォール街23番地』とはJ・ピアポント・モルガンのことである。

「『ウォール街23番地』からのご神託が下ったぞ!」

これにより金本位制離脱の正当性は即座に受け入れられた。

こうしてドルは「投機の対象」に成り下がった。ルーズベルトの金本位制離脱宣言の直後、ドルは88 1/2セントに下落し、6月までには83セントにまで下がった。肝心の国内の穀物価格については若干価格が上昇した。これを見て農家は安堵した。

しかしイギリスとフランスの通貨当局はショックを受けた。英国はドル安が世界の貿易を鈍化させることを懸念した。フランスはアメリカの後を追って金本位制を離脱することは避けられないと考えた。ルーズベルトの最大の関心事は内政、それも農業部門であり、国際協調など二の次にしか考えていなかった。そうは言うものの、6月12日から7月23日までの予定で既に日取りが決まっていたロンドンのケンジントン地質学博物館における国際金融経済会議をすっぽかすことだけは思いとどまった。