9月2日に宝島社が厚木基地に降り立つマッカーサー元帥の写真を使用した新聞広告を出し反響を呼びました。

「いい国つくろう、何度でも」というコピーは太平洋戦争の敗戦から立ち直った日本の不屈の精神に訴える意図があったのだと思います。

しかしこの広告を見た読者の反応は「屈辱的」、「外から来る人が仕切らないと何もできない国への皮肉か」などネガティブなものが多かったそうです。

つまり「再起しよう」という宝島社の意図したメッセージより「占領」というイメージの方が強烈に前面に出てしまったわけです。

読者のリアクションなどを見ていて僕が感じたのはダグラス・マッカーサーという人に対する日本人の記憶が風化しており、マッカーサーという人物が誤解されているのではないかな?という点です。

【米国内では変人扱い】
ダグラス・マッカーサーは戦中戦後を生きた日本のシニア層の人々には愛着や郷愁を持って思い出される、ポジティブなイメージの人です。

しかしアメリカ国内ではマッカーサーは、敢えて刺激的な言葉を使えば「変人扱いされている」のです。

彼は敵地への上陸や領土奪還などの記念的な瞬間には綿密にマスコミのイメージをコントロールし、写真映りが悪いと「撮り直し」を要求しました。

その写真も自分のイメージが「等身大以上」に威厳あるものになるようにカメラの位置が下からマッカーサーを仰ぎ見るようなアングルを記者団に要求しました。そして撮影のときは悠然とパイプをくわえて威圧的なオーラを出すように工夫したのです。
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そういう演技が鼻につく部分を嫌うアメリカ人も多いです。

ただ彼は総司令官としてどういう態度を示さないといけないかという問題について良く理解しており、そのためにはリスクを率先して取りました。

【単身降下の心理的インパクト】
玉音放送の後、ダグラス・マッカーサーは未だ正式に日本が降伏調印する前に厚木基地に降り立ちました。

このときマッカーサーはわざと重火器を伴わず敵地に少数のスタッフとともに降り立ったのです。

ウインストン・チャーチルは「丸腰でまだ武装解除していない敵地に降り立ったマッカーサーは過去のどの将軍の行動よりも勇敢だった」と評しています。

それではマッカーサーはなぜ丸腰で日本に乗り込んだのでしょうか?

それについては彼自身が次のように回顧しています:

My top concern was not how to keep Japan down, but how to get her on her feet again.
私が最も気を配った点はどうやって日本を制圧し続けるかではなく、いかに日本が再び立ち上がれるようにするかという点だった。

そのためには降伏するという日本の言葉を尊重し、早く戦争状態から国土再建へのキモチの切り替えをしないといけないのです。


敢えてマッカーサーが重火器を伴わず単身厚木基地に降り立ったのはそのような配慮からでした。

【米国議会とのバトル】
マッカーサーは厚木基地から横浜へと移動し、横浜ホテルニューグランドに逗留します。

ここはマッカーサーがハネムーンで泊ったホテルでもあり、その意味では思い出のホテルです。

翌朝、マッカーサーが目玉焼きとパンを注文すると、いつまで待っても料理が出てきません。

そこで怒り心頭に達したマッカーサーはキッチンに怒鳴り込みます。

総料理長は「横浜中を走り回ってタマゴを手に入れようとしているのですが、極端な食糧不足でタマゴが手に入りません」と事情を説明します。

これを聞いたマッカーサーは日本の食糧事情が危機的な状態に来ている事を察知し、すぐに命令を下します。

「米軍の食糧を放出すること。炊き出しのキッチンを設置すること。米国から至急、追加の食糧を補給すること」

これには米国内から猛烈な反発が上がりました。説明を求める米議会に対してマッカーサーは:

Starvation breeds mass unrest, disorder and violence. Give me bread or give me bullets.
飢餓は暴動や社会不安、暴動、暴力をひきおこす。はやくパンを日本に送って呉れ。もしそれがイヤなら代わりに弾丸を送って呉れ。

と議会を叱り飛ばしたのです。

この他、マッカーサーが日本復興で成し遂げた業績としては:

1.ソ連の日本進出を阻止し、日本が東ドイツと西ドイツに分断される危機を回避
2.天皇制を廃止せよという米国内の世論を抑え日本人の心の拠り所を守った
3.日本国憲法草案を6日間で起草するよう指示、極東委員会からの介入の余地を与えなかった
4.婦人の地位向上、言論の自由、労働組合の認可、政治犯の釈放、農地解放

などを挙げる事が出来ると思います。