私はボルンハイム通りのユダヤ教会の前を通りかかったとき、家から家へと移動する三つの黒い影に気がついた。

地面にまで届く黒いマントを羽織った男達は棍棒で乱暴に扉を叩くと挨拶もせず家の中に飛び込んでいった。

(税吏だ)

私は踵を返し今来た道を全速力で駆け出した。

薄暗い路地は馬車がすれ違うことも出来ないほど狭い。その路地の両側には間口の狭いひょろ長い家屋がぴったりと寄り添うように並んでいる。

それらの家はすべて四階建てで、上の階に行くほど表の路地にせり出すような格好で建てられている。このためただでさえ狭い路地は昼間でも陽がささない。

日が暮れるとこのユダヤ人街の3つの門は閉じられ、その中の住人は自由に外のフランクフルトの町を歩くことはできない。門限の前に用事を片づけようとする人たちでボンハイム通りは雑踏していた。

私は何度も通行人にぶつかり、縦にかぶった二角帽子を取り落としそうになりながら転げるように家に戻った。

「とうちゃん、税吏だ!」

私の父、メイヤー・アムシェルはテーブルの前に座って母と歓談していたが、私の声を聞くと飛び上がるようにして家族に命令した。

「いつものように落ち着いて!」

家の中は子供で溢れていたが、各自、やるべき事は言われなくてもわかっている。

父はまずテーブルの前に広げていた帳簿を閉じるとそれを奥に仕舞った。そして代わりの帳簿を持ち出して来て最後の記帳がしてあるページを開いた。

母はストーブの上で煮えていたシチューを火から降ろすとそれを食器戸棚の奥へ隠した。

私はテーブルの上のコインや手形を木箱に入れ、床の跳ね上げ戸を引き上げ、地下部屋に降りて行った。

そしてワインの樽をずらすと、その後ろにある隠し金庫にそれを仕舞った。私の二人の兄、アムシェルとソロモンは地下部屋に残った。私は階上に戻ると跳ね上げ戸を閉めた。

カールとイザベラはストーブの近くに座った。

父と母は上着を脱ぐとクロゼットの中からいちばんボロの上着を出し、それを羽織った。

父は母に向かって言った。「ガトル、窓を開けなさい。」

母は裏手の窓を開けた。ひんやりとした空気とともに開溝式の下水道から鼻を突く悪臭が部屋の中に入ってきた。

ユダヤ人街を南北に走っている開溝式下水道の上には各家々の四角いトイレが設置されており、この下水道はそのままマイン川に流れ込む仕組みになっていた。

その時、税吏がどんどんと扉を叩いた。

「これはこれは税吏さま。」

父は慇懃な態度で税吏たちを迎え入れた。

「ロスチャイルド、台帳を改めさせてもらおうか。」


父は帳簿を渡しながら「このところの商売はまったくダメでして」と哀しい表情をしてみせた。

「なにを言う、ロスチャイルド。お前の商売が繁盛していることはフランクフルト中の知るところだ。嘘をついてもだめだぞ。」

税吏の二人の部下は上の階を探索しに行った。

税吏は床の跳ね上げ戸に気付き「ここをあけなさい」と命令した。

私は跳ね上げ戸を開け、税吏の後から地下部屋に降りて行った。

二つのワイン樽に気付いた税吏はカップを持ってその樽のうちのひとつからワインを注ごうとした。

私は「それは、、、」と言って制止するしぐさをした。

税吏はそんな私にお構いなくワインを注ぐとぐいっと呑んだ。しかしすぐにそれをブッと吐きだした。

「なんだ、このまずいワインは!」

「これは私ども家族が普段飲んでいるワインでございます。実は来客用はこちらの樽でして、、、お口直しにこちらをどうぞ。」

そう言って私はもうひとつのワイン樽からワインを注ぐと税吏に手渡した。

「なるほど、こちらは良い味だな。」

税吏は機嫌を良くして父に言った。「お前の息子は気のきく坊主だ。こいつに免じて今年の税金は二万グルデンということにしておこう。」

父は「税吏さま、それは殺生です。何とか二千グルデンでお許しを」と嘆願した。

「よし、それでは徴税台帳には二千グルデンと記帳しておこう。その代わり、わしに五千グルデンの袖の下をよこせ。」

税吏が部下を連れて去ってゆくと父は子供達を集めて言った。

「お前達、よくやった。ネイサン、いい機転だったぞ。税吏をごまかすところをお前達に見せるのは親として恥ずかしい。しかしユダヤ人だけに重税が課せられるのは不公平だ。彼らはユダヤ人をゲットーに閉じ込め、我々の生活を制限している。だから我々は金儲けで見返すしか無いのだ!」

【この連載小説の説明】
今年は投資銀行、NMロスチャイルド&サンズの創業200周年です。NMロスチャイルドはこの記念すべき年にロンドンのニューコートにある本社社屋を新築し、この超モダンなビルへの引っ越しが今まさに始まろうとしているところです。
折から欧州市場はギリシャ問題で大荒れですが、実はNMロスチャイルドこそ欧州の国債市場を考案した先駆的な投資銀行だったのです。ジョージ・ソロスに代表されるグローバル・マクロ・トレーディングは今でこそ誰でもやっていますが、18世紀末から19世紀初頭にかけての欧州各国政府の財政危機に際して国債のトレーディングでガンガン儲けたグローバル・マクロ・トレーディングの「元祖」がこのNMロスチャイルドなのです。


これまで日本で出版されている「ロスチャイルド物」の書物は事実関係の検証がいい加減だし、「陰謀論」的なキワモノが多かったです。そこでそのような誤解を正し、さらに「なぜロスチャイルドはこれほど成功したのか?」という疑問を金融関係者の目から解き明かすことを意図し、この連載を始めました。