私の父は12歳のときハノーヴァーのウォルフ・ジャコブ・オッペンハイムに丁稚奉公した。

WJオッペンハイムは所謂、宮廷ユダヤ人と呼ばれる貴族のパーソナル・バンカーだ。父はこの奉公先で珍しいコインの鑑定の仕方や貨幣に関する知識を学んだ。

そして21歳のときにフランクフルトに戻り自分の商売を開業した。当時はコインの蒐集が貴族の間で流行っていた。父は貴族のために希少なコインを探し、鑑定した。父の最初の顧客はウィルヘルム10世だった。

そして25歳で宮廷ユダヤ人としての正式な認証を受けると、直ぐに私の母、ガトルと結婚した。

私の母は宮廷ユダヤ人、ウォルフ・ソロモン・シナッパーの娘で、2400グルデンの持参金とともに父に嫁いだ。

二人はこの持参金を元手として希少なコインを売ったり買ったりしながらお金を増やしていった。

父はお得意様の貴族のために買い付け代金を立て替えることもした。つまり知らず知らずのうちに金貸し業にも足を突っ込んだというわけだ。

当時の欧州大陸では実にたくさんの通貨が出回っており、遠来の商人は商取引の際、見慣れない貨幣をユダヤ人街に持ち込んだ。そんなとき父は両替商として通貨の交換に応じた。

父はハンブルグ、ブレーメン、ライプチヒ、ウィーン、アムステルダム、パリなどの商人とも貨幣、商品、証書を取引した。

それらの遠方の取引先と貨幣や証書をやりとりするのは常に大きなリスクを伴った。父のメッセンジャーが追剥に遭ったことも一度や二度ではない。

メッセンジャーには信用のおける男を起用しなければいけない。父が使っていたメッセンジャーの中でも最も年長で、信頼できる男がマックスだった。

マックスはいつも父の大事な貨幣や証書を帯びて都市から都市へと旅していた。マックスはまるで危険を事前に察知する特別な能力を備えているかの如くリスクを避けるのが上手かった。また道中で見聞きする些細な変化や噂を細大漏らさず父に報告した。

私はマックスが帰って来るたびに遠い土地の話を聞いた。


「フランスは疲弊しています。小麦が不作でパンの値段が高騰しています。これに腹を立てた庶民がパン屋を襲撃したという話が後を絶ちません。庶民の暮らしは厳しいです。年貢が重く、そのうえ労働賦役にも駆り出されます。一方、貴族はサロンに集まってむずかしい議論に明け暮れています。啓蒙思想が流行しています。」

「啓蒙思想?」

「私のような無学な者にはよくわかりませんが、啓蒙思想とは既成秩序や固定観念を鵜呑みにせず、自分の頭で考えろ、そして何でも試しにやってみろ、ということを奨励する新しい学問のことだと思います。」

「国王は庶民が困っていても何もしないのか?」

「国王はむしろ新大陸の方に関心を抱いておられるようです。フランスはアメリカの独立運動を支援し、軍隊を新大陸に派遣しています。今度こそイギリスを打ち負かそうという魂胆でしょう。この戦争には莫大な経費がかかるのでフランスは大きな負債を抱えています。」

「マックス、お前はイギリスに渡ったことがあるのか?」

「ございます。イギリスでは発明ブームが起こっています。」

「発明ブーム?」

「つまり機械です。アークライトという男が水力紡績機というもので成功したので誰もが発明熱に取りつかれています。英国製のショールやガーゼ、モスリンなどの品々を見かけたことがあるでしょう?機械による布地の量産で英国の北部のマンチェスターにはお金が集まりはじめています。」

「お金ならこのヘッセン・カッセルにだって沢山あるだろう?」

「フランクフルトの富と英国の富はちょっと異なると思います。ヘッセン・カッセルは徴兵した兵隊を外国の政府に貸して儲けているのです。つまり傭兵です。フランクフルトに貸付に回せる余資があるのはこのお陰です。でも傭兵は所詮数が限られています。大きなビジネスにはなりません。そこへゆくと英国は機械による大量生産で安い製品を輸出して稼いでいるので、勢いが違います。」

「そのマンチェスターという町をこの目で見てみたいものだな。」

「イギリスにはもうひとつ特別なことがございます。かの地ではユダヤ教徒が比較的自由に動き回る事が出来ます。ゲットーの中に押し込められる事も無いし、どの職に就いてはいけないという規制も少ないです。」