1815年の春、私はナポレオンがエルバ島を脱出したというニュースを受け取った。

「ハナ、ナポレオンがエルバ島を出てフランスに向かったそうだ。」

私は妻にそう言った。

「あの怪物はまたヨーロッパをめちゃくちゃにする気だわ。」

アムステルダムがナポレオンに接収されて以来、妻はナポレオンを嫌悪していた。

妻の父、リーバイ・ベアレント・コーエンの一家はもともとアムステルダムでリネン商を営んでいた。だからアムステルダムに親戚や知人も多い。商都としてのアムステルダムはナポレオンに屈して以来、没落の一途を辿っていた。

妻の親戚だけでなくNMロスチャイルドのライバルであるベアリング商会と親密な関係を持っていたアムステルダムのホープ商会も昔の勢いを失った。

「ハナ、確かにナポレオンはとんでもない奴だが、考えようによってはあいつが旧習に基づいた秩序を破壊したお陰でわしのような商売人が動きやすくなったという面もある。おまえも知っている通り、ナポレオンはそれまでゲットーに繋がれていたユダヤ人を解放した。ユダヤ教をキリスト教と並んでフランス政府公認の宗教に認定した。」

「でもユダヤ人に対する差別はまだ残っています。ユダヤ人に対する嫌がらせが起きてもナポレオンは何もしてくれないではありませんか。」

私の商売という観点からするとナポレオンが19年に渡って欧州各地で戦争を続けたことは極めて重要だった。なぜなら各国政府は戦争遂行資金を前線に送金する業務をNMロスチャイルド商会に委託したからだ。送金金額に応じて手数料が増える契約になっていたから戦線の拡大は私にとっては好都合だった。

だからナポレオンがロシア遠征に失敗し、その責任を取って皇帝を退位した時、私は大事な商売のネタを失った。

そのナポレオンがまた動き始めたのだ。

しかしナポレオンのエルバ島脱出がロスチャイルド家にとって幸運ばかりをもたらしたかと言えば、それは違う。

私はウイーン市場とロンドン市場で強気相場を予想して沢山の証券に投資していたが、ナポレオンがエルバ島を脱出したというニュースで市場にパニックが走り大損した。


その損を取り返すべく私はロンドンで金塊を買い漁った。その理由はいずれウエリントン公爵が大陸に軍隊を派遣する際に金塊で軍資金を輸送する必要があると思ったからだ。この思惑はまんまと当った。

ウエリントン公爵の兵站総監を務めるジョン・チャールズ・ヘリーズがベルギー、オランダ、英国から成る同盟国軍に対する軍資金の送金業務請負の話を私に持ち込んだ時は内心小躍りして喜んだ。

この作戦では英国政府の資金をダンケルク経由で欧州の前線に送ることになっていた。NMロスチャイルド商会には送金額の2%が手数料として支払われた。

軍資金の送金に際しては付随的な利益も発生した。英国のポンドで受け取った資金を大陸に移送する際、オランダのフルデン等の現地通貨に換金するわけだが、私は為替相場で市場間の鞘取り機会を最大限に生かした。

私はイギリス軍の莫大な資金の動きを予め知る立場にあったので、相場の先行きを占うことは難しくなかった。当時英国の国際収支は大幅な赤字に傾いたため、送金するたびにポンドは軟化した。

さらにもうひとつの儲け方は債券を売買することだった。戦争の雲行きひとつで債券価格は大きく変動する。例えば1812年にナポレオンの軍隊がロシアに向けて進軍した際は2月から6月にかけてロシア国債が65から25に暴落した。なぜならロシアがデフォルトするだろうと市場関係者は考えたからだ。ナポレオンがモスクワから退却したと伝えられるとアムステルダムで取引されていたロシア国債は1812年11月の35から1813年3月には50へと回復した。

しかし私の見込みが大きくはずれた事もあった。

そのひとつはワーテルローの戦いでナポレオンが意外に早く敗れた事だ。戦争が終わったというニュースで金は急落した。おまけに長期に渡って軍資金の送金作業から手数料が入ることを当て込んでいた私はアテにしていた手数料を取りそこなう羽目になった。