gold
僕の考えでは金価格は長期調整期間に入ると思います。

そう考える理由は1930年代の大恐慌の時の有名な「ルーズベルト大統領による金本位制離脱」の時でさえ、金価格のラリーのいちばんオイシイところは2年余りで終わってしまったからです。

今回の金価格のラリーの起点は僕の考えではリーマンショックの後、つまり2008年の冬に求める事が出来ると思います。なぜなら恐慌を回避するため、見境ない金融緩和しかないという結論に至ったのが2008年の冬だったからです。

もちろん金価格そのものはリーマンショック前に上がり始めていました。でもそれはBRICsの景気が良かったことに加えドバイ・ブームが起こっていたのが理由でした。

今回のゴールドのラリーはペーパー・マネーに対する不信がその背景にあるという意味でわざと紙幣の価値を毀損するような政策を打ち出すことによって経済に電気ショックを与えようとしたルーズベルト大統領のアプローチに近いです。

以下は当時の雰囲気を伝える名著、『むかし、ゴルコンダにて』の抄訳です。

しかしこの熱狂的な期間にウォール街では不思議な現象が起こり始めた。最初はそれに気がつく者は少なかったが、最後には深刻な事態になった。その現象とはウォール街の主人公であるはずの「マネー」、つまりドルそのものの価値が揺らぎ始めたことだ。

それまでドルはきっちりと固定されてきた。銀行界ではそれが当然だと思われてきたし、宇宙の法則のように不変なものとして受け入れられてきたのだ。ゴールド・スタンダード、つまり金本位制度である。この規則では金1オンスは$20.67と定められていた。

しかしこの大原則が停止されたためにドルは投機家たちによってまるで卑しい株式と同等にオモチャにされる羽目に陥るのである。

ドルが下がり始めたのはルーズベルトが大統領に就任した2日目からである。この日、ルーズベルトは臨時措置としてゴールドの輸出を止めるとともにゴールドの蓄蔵をやめると宣言した。ルーズベルト政権は「これはあくまでも臨時の措置である」とし、とりわけ「臨時」という言葉を強調した。

この発表があった日はちょうどルーズベルト大統領が臨時「銀行休業日」宣言をした期間中であったから、ウォール街の銀行家や証券業者は自分の身の上を案じる方が先で、ゴールドの輸出停止など誰も気に止めなかった。だいいち「銀行休業日」さえ終わればゴールドの禁輸措置も当然解除されるものだと皆が信じて疑わなかった。ビル・ウッディン財務長官も「金本位制度が停止されたなどと言わないでくれ。全く馬鹿げているし大衆の誤解を招きかねない。」とコメントしたほどだ。


ウォール街の関係者やルーズベルトの側近が見誤った事はルーズベルト大統領が金融という命題に関して極めて凝り固まった考え方をする人間だという点である。ルーズベルトの側近たちによれば彼は金融知識ゼロのところへ持ってきて、経済学者などの振り回す理論より、自分のお金に対する直感の方が正しいと確信していたという。ルーズベルトは財政の問題をまるでカジュアルでいささか滑稽なものだと捉え、ときには退屈きわまりないものだと遠ざけるかと思えば、ときにはその不思議なメカニズムに熱中したりした。

ルーズベルトの取り巻きのアドバイザー達も玉石混交の様相を呈していた。財務長官のウッディンはもともとペンシルバニアの事業家でとっつきやすいが切れる男であり、経済に関する知識は正統派だった。予算委員長のルイス・ダグラスは頑固な健全財政主義者だった。国務補佐官のレイモンド・モーリーはコロンビア大学の公法の元教授であり、ルーズベルトの選挙参謀を務めた男だ。そして人前にめったに姿を現さない謎めいた人物、ジョージ・フレデリック・ウォーレンが居る。彼はコーネル大学の農業経済学の教授でありコモディティー価格とドルの価値について独特の考え方を持っていた。

最後にウォール街の代表としてジミー・ウォーバーグがルーズベルトのアドバイザーとなった。ジミー・ウォーバーグはインターナショナル・アクセプタンス銀行の頭取だったがルーズベルトから財務次官のポストを与えられた。ウォーバーグは個人的な理由からその任命を辞退し、その代わり「無給、無冠のホワイトハウスの金融アドバイザー」としてルーズベルトの一行が贔屓にしたカールトン・ホテルに引越した。

4月になるとアメリカ西部から不気味な雷鳴が届くようになった。それはつまりアメリカの農民たちが暴動を起こす寸前のような一触即発の状況になったということである。農作物の価格は1926年頃の水準の4割程度まで落ち込み、その結果、農民がその年の収穫を全部売ることに成功したとしてもローンの払いを返すことは不可能になったのだ。このため大勢の農民が家を追われ、アイオワではローンの支払い不履行の差し押さえを支持した裁判長が農民達からリンチに遭いかける騒ぎに発展した。

議会ではインフレ政策を推進せよという議論が熱を帯び、オクラホマ州のエルマー・トーマス上院議員は「農業調整法」の改正により大統領が自由な判断でどしどしドル紙幣を刷れるようにすべきだという議員立法を提出した。

ウォール街の関係者にしてみればそれは財務上の無政府状態を意味する。この法案の可決はゴールド・スタンダードの死を意味していた。

(『Once in Golconda』 John Brooks Chapter Seven: Gold Standard on the Booze P150 – 154)


さて、僕が金価格に強気になった2008年の冬に書いた記事のいちばん下付近に出てくる、ホームステイク・マイニングの株価に注目して下さい。ホームステイク・マイニングは当時の金鉱株の指標銘柄でした。

問題はこのチャートの1935年以降がどうなっているか?という事ですけど、実は1935年のチャートが切れている辺りが高値で、後は10年以上もホームステイクの株価は足踏みしています。

もちろん1933年の金本位制離脱の時の例をそのまま今回に当てはめるのはナンセンスだとは思いますが、相場の材料という意味では当時の金本位制離脱と現在のユーロ危機は同じくらいのビッグ・イベントだったと思うのです。

だから今回のユーロ危機のインパクトについても余り大きく考えすぎない方が良い気がします。

Once in Golconda: A True Drama of Wall Street 1920-1938 (Wiley Investment Classics)
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