欧米のビジネス社会では人前で喋る力、つまりプレゼン力が出世に大きく影響します。

アナリストとしてどんなに複雑な収益モデルを操れても、或いはソフトウエア・エンジニアとして美しくムダの無いコードを書けても、プレゼン力の無い人は一生他人の下でこきつかわれてオシマイです。

上に昇ってゆける人はトークのちからで顧客や同僚を魅了し、相手の考え方に影響を及ぼし、どんな敵でも最後には自分の賛同者へと鞍替させる説得力を持っています。そういう人のところにお金が集まるし、優秀な人材も集まるわけです。

このようにビジネスの遂行のためにお金や人材を動員(mobilization)するちから、これこそリーダーシップの究極の姿であるというのが欧米ビジネス社会の価値観なのです。

日本では自分が率先して黙々と良い仕事をしていれば、なにも言わなくても自ずと他人は自分についてくるという美意識があります。これは日本では有効な価値観なのですが世界では通用しません。

自分の主張を明確に打ち出す(それを英語ではarticulationと言います)ことこそ学校の勉強で最高位に冠せられる技能であって、数学や科学や文学に長じているだけではダメなのです。究極的にハーバード、イェール、オックスフォード、ケンブリッジなどの名門大学が量産している人材とは、そのような人材なのです。

またアメリカでの花形職種、具体的にはコンサルティングや弁護士事務所、投資銀行などでもプレゼン力は出世に直接影響してくるコア・スキルです。

さて、よく「アメリカでは子供の頃から自分の意見を述べる訓練がされている」と言われますが、具体的にどのような事が行われているのでしょうか?

その一例が疑似裁判(mock trial)だと思います。

疑似裁判は高校の課外活動の一環です。(日本の中学に相当するmiddle schoolや大学にも疑似裁判のプログラムはあります)

そしてちょうど日本で言えば高校野球に甲子園があるように米国の高校の疑似裁判もカウンティー(郡)からはじまってステート(州)、そしてナショナル(全国)のコンペティション(競技会)が開催されます。


今はカウンティー・レベルでの競技会が各地でおこなわれているところです。

競技会に際しては多くの場合、実際の地方裁判所を使用し、現職の郡裁判長が裁判長を務めます。

下はシアトルのキング・カウンティーの高校生の疑似裁判の様子です。(このチームは平凡です)


【追記】
このエントリーに対して意外に読者の関心が高かったので、そもそも疑似裁判がどんな雰囲気で執り行われるのかを体感して頂くため、もうひとつ動画を掲げておきます。下はペンシルバニア州のオーバーブルック高校のチームで、甲子園で喩えれば「日大三高」とか「PL学園」に相当する強豪校です。

疑似裁判のケース(事例)は有罪、無罪、どちらにも転がるような微妙なシチュエーションに調整されてあり、裁判の成り行きに応じて臨機応変に相手に対抗してゆかねばなりません。議論の精緻さ、論理の明快さはもちろんのこと、押し出しの強さや陪審員へのお涙頂戴式のアピール、相手が議論をしている最中に「異議あり(objection)!」と割り込んで相手の議論を台無しにするなど、さまざまなテクが駆使されます。

採点は有罪、無罪の勝ち負けに加えて、数百にものぼるテクニカル・ポイントを集計して行われます。大体、競技時間は1試合2時間半程度を要します。地方大会の日は1日3試合くらいするのが通例ですので裁判所の中で8時間ぐらい激闘するわけです。