ニューヨーク・タイムズは金曜日の第1面の記事で「教育における裕福層と貧困層の格差が拡大」という記事を掲げています。

それによるとアメリカでは昔、大学進学率は肌の色、つまり白人か黒人か?というファクターによって決定される場合が多かったです。

しかし近年は人種は関係なく、むしろ親が裕福かどうかで決まってしまう場合が多いのだそうです。

実際、スタンフォード大学の社会学者、ショーン・リアダンの研究では共通試験(Standardized reading test scores)での成績格差は白人と黒人という比較をした場合、1960年代以降、格差はどんどん縮まっています。逆に裕福層と低所得者層という比較基準で見た場合、格差はどんどん拡大しています。

このことは大学進学率にも如実に表れています。

いま四年制大学を卒業しているかどうかという事はアメリカで新しく社会人になる若者の将来の成功(=つまり所得)を占う上で最も重要なファクターですから親が貧しいとそもそも大学卒というスタート台に立てないわけです。

リーマンショック以降の不景気ではこの所得格差が子供の教育に与える影響は一層大きくなるとニューヨーク・タイムズは指摘しています。なぜなら景気後退は貧困層の所得を直撃するからです。



裕福な親は子供に沢山お金を注ぎ込むし、沢山の時間を子供と過ごします。週末に子供とスポーツを楽しみ、バレエや音楽のレッスンに通わせ、算数の家庭教師を付け、学校のいろいろな活動にPTAのような立場から参加します。

これに対して貧困層の親の多くは離婚してシングルマザーとなっており、仕事と子育ての両立に苦しんでいるのです。

もちろんこの問題の背景には大学教育のコスト増の問題があります。

近年、米国の大学の授業料がどんどん値上がりしたので、ごく普通の中流家庭ではもうアイビーリーグの大学に子供をやることが困難になってしまいました。

もちろん、これに関しては奨学金制度のようなものがあります。しかしその申請手続きは複雑、難解を極め(=IMFのArticleⅣを読んでいた方が遥かにラクです!)、移民第一世の親の理解の限度を遥かに超えています。

また最近のアメリカの入試は単に算数が出来る、理科が出来るというだけでは駄目です。高校生の時に何か特別な事をやったかどうかが書類審査の際に重要な決め手になるのです。だからこそ有名校を目指す優秀な高校生は疑似裁判をやったり、演劇部に所属したりして(=この2つは大学の入試担当官に極めてウケる課外活動だと言われています)、単に勉強ができるだけでなく、人間としてどれだけ円熟(mature)しているかをアピールするのです。

疑似裁判はちょうどアメリカン・フットボール部の活動と同じ感覚で、週末毎に他校との練習試合を重ねます。その度ごとに親はクルマで子供達を送り迎えしないといけないのです。

Facebookのマーク・ザッカーバーグを描いた映画、『ソーシャル・ネットワーク』を観るとハーバードのような有名校に入ってきた新入生の大半は既にスゴイ事(achievements)を高校生のときにやっています。つまり「課外活動の自慢比べ」が大学志願者の選考の過程で大きくモノを言うわけです。

これは経済的に苦しい家庭にとっては勉強そのものよりもずっと残酷な試練です。