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1960年代にアメリカの援助でアフガニスタンのヘルマンド地方の灌漑プロジェクトが実施されました。砂漠を耕地に変えようとするこの計画は遊牧民が農地に定着せず失敗し、今では世界のアヘンの原料であるケシの花の75%を供給する土地になってしまっています。

このナイーブなアメリカの経済援助が失敗した背景には「砂漠では強い者が遊牧民(ノマド)になる」という掟(おきて)ないし価値観をアメリカ人が全く理解していなかったからだと言われています。

なぜ強い者が遊牧民になるのか?

この歴史を知る事は最近流行っている「ノマド的なワークスタイル」を考える上でも示唆に富んでると思います。

日本の中東研究の草分け的存在である岩村忍(いわむらしのぶ)は『世界の歴史 西域とイスラム』(中公文庫)の中で遊牧民の起源を次のように説明しています。

オアシスに人間が住みついて農耕を生業としているうちに(中略)家畜の飼養が始まった。しかし(中略)飼養するためには必ず飼料が必要なのである。

(中略)

ところがオアシスにおける家畜の飼養はたちまち限界にぶつかる。(中略)オアシスというものは、元来きわめて面積が限られている。すなわちオアシスの水は一定量しか出ないから、耕地を拡大するわけにはゆかない。だから耕地は非常に貴重である。

(中略)

オアシスの民はオアシス周辺の草原にならしたヒツジを放すことを発見したにちがいない。(中略)しかしこの方法にも限界がある。数が多くなれば夜に家畜をことごとくオアシスに連れて帰ることはできない。そこで唯一の解決法は牧畜の専門化である。すなわちオアシス住民のある者が草原における牧畜を専業とするように生業が分化する。そうすれば家畜がふえるにしたがってオアシスから離れた所でも、良い牧地があれば夏にはそこに家畜を連れて出かけ、寒くなると低地に帰って冬ごもりをすることができる。



(中略)

低い草原地帯では夏になると非常に気温が上がり、草は不足してくる。それで多数の家畜を飼うとなると、冬は暖かい草原や峡谷のオアシスで過ごし、夏になれば涼しい山地へいくという移動、しかもところによってはかなり長距離の移動が必要になる。

オアシス社会は(中略)階級的、保守的であり、個人の自由よりは社会の安定が上位に置かれ、指導権は少数の上層階級に握られていて、しかも世襲的である。

ところが遊牧民の社会はそれとはまったく異なっている。定着の農耕社会の場合は生活は固定し、特別なことが起こらない限り毎年循環的な、ほとんど変化が無い固定した生活が繰り返される。これに対して遊牧という生活は夏の牧地と冬の牧地と、そしてこの二つの間の移動経路は大体決まっているが、なにしろ遠い距離、ときには数百キロにも達する距離を移動するので危険も多い。そこで牧地の割り当てに関しての争いごとも起こるし、移動の途中においてオアシスの付近や渓谷を通過するときは農民との間に軋轢、衝突を起こすこともまれではない。また水や草の不足、気候の激変、疫病などによって家畜の多くが斃死することもある。そこで必要なのは固い団結と強い指導力である。

(中略)

遊牧民はつねに定着社会とは密接な関係を保ってきたのでけっして両者が敵対的な関係にあったのではない。オアシスにとっても畜産品は必要であったし(中略)遊牧民との交易はオアシス経済の重要な支柱となった。


つまり遊牧民というライフスタイルはオアシスというコミュニティの経済的限界から生じた生き方であり、それは牧畜の専門化(スペシャライゼーション)に他ならないわけです。また遊牧民とオアシスの農耕民は対立的な関係ではなく相互補完的な関係だということです。さらに遊牧民になれるのは農耕民の中から特に屈強な一部の人間だけだったのです。

さて、翻って高度なITインフラストラクチャが可能にする現代のノマド的な仕事環境に思いを馳せた場合、伝統的な遊牧民の姿とかなりダブる部分が多いことがわかります。

まず企業が全ての才能を自社の正社員として抱え込むことは右肩上がりの経済成長が期待しにくい現代ではムリだという現実があります。従ってフリードマンが『フラット化する世界』で論じているように、どの組織にも属さない個人が大企業とコラボレーションするような仕事の進め方が今後増えてくるだろうし、そのようなピンポイントの才能を提供する個人は極めて高度な専門性や才能を持っていなければいけないことがわかります。

またノマドワーカーは既存の企業社会とかならずしも対立的な関係ではなく、相互補完的な関係であるべきなのです。ノマドワーカーは単にインターネット・カフェのような場所の移動の自由があるだけではなく、プロジェクトからプロジェクトへ、常に仕事を追い求めてゆく必要に駆られます。それは草原の草をヒツジが食べ尽くしてしまえば、次の牧草地まで不安な移動をしなければいけない遊牧民と同じ境遇です。

このように考えてくればノマドのライフスタイルは誰にでも出来る事ではなく、自分の専門領域に特化し、大企業のコラボレーション先の担当者と協業できる、高度なコミュニケーション・スキル、ないしはピープル・スキルを持ち、しかも日照り続きで牧草も飲み水も不足するような状況に遭遇しても簡単にへこたれたり取り乱したりしない、強靭な精神力を持つ人間でなければ勤まらないということがわかるのです。