Market Hackの月次編集会議で僕を担当してくれているNHN Japanの永田さんから「今、日本ではこういう問題が話題を呼んでいますから、ヨロシク」とネタの軌道修正のアドバイスを受けました。

僕の場合、1982年に大学を卒業して以来、殆ど海外で生活してきました。
この間、日本に住んでいた期間を全部通算しても2年にも満たないのです。

自ずと日本のことがわからなくなる。
浦島太郎になる。

今、日本で話題になっている問題やキーワード(生活保護、増税、就活苦自殺etc.)を指摘されて、思いました。

(世相は暗いな)

なぜここまで、どうしようもなく暗いのか?

今日はそれに関して自分の考えを述べます。


まず出発点としてテクノロジーとそれがもたらす社会へのインパクトに関する認識を共有したいと思います。

先日、KPCBのメアリー・ミーカーがインターネットのトレンドに関するプレゼンをウォールストリート・ジャーナルの『オールシングスD』カンファレンスで行いました。

それによると日本における3Gの普及率は95%に達しているそうです。

つまりネットやスマホは、もはや完全に日本の津々浦々に浸透していると考えてよいわけです。

さて、ソーシャル・メディアのVCなどに圧倒的に支持されている社会学者、カルロタ・ペレスがイノベーションの伝播と、それが引き起こす社会への様々な影響に関して有益な研究を残していることは以前、紹介しました

技術革新が起こると、先ず技術者の世界でそのイノベーションに対する興奮と、その反動としての急速な退潮が起こります。

金融の世界ではイノベーションを先喰いするカタチでバブルが発生し、それが崩壊します。

これらの急速で、劇的な変化に比べて、一般社会へのイノベーションの普及はもっとゆっくりとしたペースで実現します。新技術がクリティカル・マス(多数派)を形成する頃には、バブルが崩壊して、不景気になっている事が多いです。

いまがまさしくそういう時期だと思います。

完全に社会に浸透したその新技術は、昔のやり方より廉価で、より使い勝手の良い手法であることから、景気後退の局面では、企業や個人はそれをコスト削減の方便として生活に取り入れられます。

イノベーションが社会パラダイムの変化にインパクトを与えるのは、この瞬間なのです。
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社会パラダイムが変化する時とは、すなわち既得権を持っている人と、そうでない人、新しい技術を使いこなせる人と、そうでない人、などの間で社会の軋轢が生じる瞬間でもあります。


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イノベーションは人々の生活パターンに深淵な変化をもたらすだけでなく、組織や社会にもインパクトを与えます。

情弱ゆえ最新の情報ツールを使いこなせず、その結果、マネージャーとしてもツボをおさえた采配ができなくなっている「空回り上司」や、意味のない儀式や組織図にこだわるカイシャはその例です。

変化は企業だけでなく、社会にも押し寄せます。

たとえばアラブの春ですが、チュニジアの田舎町で屋台を引いていた若者がお役人に虐げられているさまがFacebookで「見える化」されたことが、中東の若者世代の圧倒的な同情を呼ぶとともに世論の激昂を招きました。

新しい技術の到来は「ニュー・エコノミー」と呼ばれるブームないしはバブルをもたらしますが、通常、そのような投資ブームは波瀾万丈で、死屍累々で、痛々しい結末を迎えます。そのような無駄の多いプロセスを経て、ごく一握りの企業や成功者が生き残るのです。

カルロタ・ペレスは「資本主義が最も醜い頭をもたげるのは、その瞬間だ」と指摘しています。そこでは「ディケンズの小説に出て来るような残酷な世界が到来する。大富豪はよりリッチになり、これみよがしの消費をする一方で、大部分の庶民は自分のせいではないのに、どんどん困窮化することが起きる」としています。

それは「壊れた社会」であり、「二つの顔を持つ社会」なのです。

超裕福層と新しい貧困者に二極化された社会では、普通、超裕福層の優雅な暮らしぶりは誰からも見えます。

その一方で新しい貧困者は世間から見えないところで、ひっそりと苦しんでいるわけです。

ときどき、普段は世間から見えない(invisible)それらの多数派の窮状が、ソーシャル・メディアなどを通じて「見える化」すると、それは大反響を呼びます。

Blogosで議論されていることの多くは、そういう文脈で捉えなおすと、腑に落ちる部分が多いのではないでしょうか?

例えば「出勤とは儀式なのか」という議論は上に述べた、イノベーションが人々の生活パターンに深淵な変化を今、まさしくもたらそうとしている瞬間だと捉えることが出来ます。

その一方で、「新しい働き方・生き方というものに惹きつけられる人の多くは社会の弱者」という指摘が出て来るのもあながち間違いではないと思います。

「ITの小口労働者」ないしはIT業界の回りにできた“新貧困層”が「見える化」したものが、ネットカフェやファミレスに溢れだしたノマドワーカーだと捉える見方が出てきても当然なのです。

むかし「女工哀史」で工場労働者が経験したような苦労、それを今は大学出のホワイトカラーが経験しているわけです。

政治のプロセスは、そのような社会の変革期にあって新しい潮流に乗り遅れた人をどの程度保護するのかという、社会全体としてのコストの分担の議論でもあります。

ただ寄りかかる人が多すぎると、ギリシャみたいな事になるわけです。