最近、ユーロ共同債という概念がしばしば話題に上ります。

ユーロ共同債とは欧州の個々の国が国債を出すのではなく、EUの連邦として債券を出すことを指します。そういう言い方でわからなければ、米国財務省証券のEU版だと考えて頂ければ良いです。

現在のところ、EU憲法下では、ユーロ共同債を出すことはできません。

しかし米国財務省証券が最初に考案されたときも、実は憲法違反だったのです。それにもかかわらずアレキサンダー・ハミルトンの実行力で米国財務省証券の発行は実現しました

ウォール街の関係者が、今、一斉にハミルトン研究に走っているのは、現在のヨーロッパが置かれた状況と、アメリカ独立戦争当時の米国の13州の状況が酷似しているからです。

そこで今日は簡単にアレキサンダー・ハミルトンの功績と、彼の人物について語りたいと思います。

歴史家、リチャード・モリスによるとアメリカの建国の父(Founding Fathers)のうち、最も重要な七人は:

ジョン・アダムス
ベンジャミン・フランクリン
アレキサンダー・ハミルトン
ジョン・ジェイ
トーマス・ジェファーソン
ジェームズ・マディソン
ジョージ・ワシントン


です。

この七人の中でもアレキサンダー・ハミルトンは複雑な事象を整理整頓し、社会の機構作りをする面では傑出した才能を持っていました。

アレキサンダー・ハミルトンは:

初のドル硬貨の発行
徴税システムを確立
米国財務省証券を発行
米国財務省を組織法により設置
「ザ・フェデラリスト・ペーパース」の執筆


などを行いました。

このうち「ザ・フェデラリスト・ペーパース」とは連邦主義者(フェデラリスト)達による、アメリカ合衆国の方向付けに関する一連の論文を指します。これらの論文は合衆国憲法の精神を噛み砕いて説明してあるところから、米国最高裁でもしばしばレファレンスとして引用されます。ハミルトンは全85編の「ザ・フェデラリスト・ペーパース」のうちの実に51編を自ら執筆しました。


さて、ハミルトンの生い立ちですが、彼は私生児としてカリブ海の小島、ニーヴィスに生まれました。当時の社会は私生児には遺産相続権も無ければ、学校教育を受けることも出来ないというものでした。

十歳のときにセント・クロイに移り、砂糖プランテーションで働きます。父は家族を捨てて失踪し、母はハミルトンが十三歳の時に病死します。

ハミルトンは十四歳のときビークマン&クルーガーという貿易会社の帳簿係として雇用されます。そこではオランダ、ポルトガル、スペイン、イギリスなどの商船がもたらすいろいろな商品を売買するため、それらの国々の為替相場に精通する必要がありました。ハミルトンは自分が極めて簿記や商売の能力があることに気付きます。

ビークマン&クルーガーの支配人が病気になるとハミルトンは支配人代理としてこの貿易会社を切り盛りしました。ハミルトンはこうして若くして地元の名士となり、コミュニティの後押しでニューヨークのキングス・カレッジ(現在のコロンビア大学)に奨学生として留学します。

当時のニューヨークは13植民地の独立運動を鎮圧するためにイギリス軍が迫っており、緊迫したムードでした。ハミルトンはそこで学生義勇軍を組織し、イギリス軍から野砲を奪って野砲部隊を組織します。

このハミルトンの学生義勇軍はアメリカ陸軍に現存し、かつ最も歴史の古い第一大隊第五野砲部隊となっています。

ハミルトンのこの活躍に目を付けたアメリカ軍の総司令官、ジョージ・ワシントンは自分のスタッフとしてハミルトンを抜擢します。

ジョージ・ワシントンは軍人として、また人格者としてたいへん尊敬された人でしたが、文章は下手でした。そこでハミルトンがワシントンの公文書をほぼ全て代筆しました。当時ハミルトンは二十一歳でした。

ハミルトンは軍人として戦功を上げたいと考えていたので、前線に配備されることを希望しますが、ジョージ・ワシントンはハミルトンを手放すと、自分の書く公式書簡が突然稚拙になることを恐れ、なかなか許しません。

そこでハミルトンは前線に出してもらえないなら、軍隊を辞めると言います。ワシントンはやむなくハミルトンを前線に出します。そのときの戦いがイギリスを撃退する決定的な戦となった、ヨークタウンの戦いです。ハミルトンはここで大きな戦功を上げます。

イギリスを撃退した後のアメリカの13州は全ての経済力を戦争で使い果たし、破たん同然に瀕していました。債権者にお金が返せないことはもちろん、兵隊さんの給与も払えない始末でした。

13の州のいがみ合い、デフォルトの危機が迫りました。

ハミルトンは秩序こそが経済的自由につながる道だという価値観を持っていました。そこでハチャメチャなデフォルトを避け、投資家からの信頼に応えるために、無能な13の州政府の債務を全部自分で引き受けると宣言しました。この債務のテイクオーバーをアサンプションと呼びます。

そうやって借金を全部、連邦政府で肩代わりしながら、連邦政府としての債券、つまり財務省証券を出すわけです。

ハミルトンは極めて有能な行政官であると同時に名誉欲が強く、スタンドプレーが目立つ人物だったと言われます。これは彼が私生児として社会の最下層から身を起こした生い立ちが関係しているのかも知れません。