ディスインターメディエーション(disintermediation)とは、それまで財やサービスの創造や伝達に欠かせない役割を果たしてきた存在が、お役御免になることを指します。

これは経済活動のあらゆる局面で見る事の出来る現象です。

たとえば昔、山手線の改札口には切符切りの駅員さんが居て、ハサミを軽快に鳴らしながら切符をきって呉れたものです。でもテクノロジーの進化とともに、そういうスキルは不要になりました。

ディスインターメディエーションは金融界でも起こりました。僕が投資銀行に勤めていた時、毎年、正月にオフサイトという戦略会議があってホテルの会議室に缶詰になりました。それゆえお正月をゆっくり楽しめないので随分、恨めしい思いをしましたが、そのオフサイトで毎年、喧々諤々の議論になるのが、「どうやってディスインターメディエーションを喰いとめるか?」というテーマです。

「顧客に、これだけとか、あれだけと言う風に証券会社のサービスの良いとこ取りをさせてはいけない。全部のサービスをパッケージにして提示し、ウチと付き合うのか、それとも付き合わないのか?それを問い詰めよう!」なんて議論をしたのを覚えています。

ところが……

オフサイトの会議室を出るなり、社員たちは携帯電話で顧客に電話して、やってはいけない筈の抜け駆け行為を始めるわけです。例えば顧客が「リサーチ・レポートは、要らない。だけどアナリストの財務モデルだけは、ちょうだい」と言われると、こっそり財務モデルだけはエクセル・スプレッドシートで送るとか、そういう「サービス」を競ってやるわけです。

その結果、証券会社のサービスのアンバンドリング(Un-bundling)が起きて「もうレポートは要らない」という話になるわけです。

つまり「要りません」というディスインターメディエーションと「この部分だけ、欲しい」というアンバンドリングは切っても切れない関係にあるのです。

さて、電子書籍の話に入りたいのですが、電子出版が出来るようになると印刷というプロセスが無くなり、それが配信に取って代わられるので、それまで我々が必須だと考えてきた諸々のサービス、例えば本屋さんや編集者、装丁をするデザイナーなど、書籍を消費者に届ける過程で関わってくる、いろいろな人々の存在について「本当に、必要なのだろうか?」という見直しが起こります。


それはディスインターメディエーションの前段階としてのアンバンドリングがもう起き始めていることを意味します。

出版業界の人々は「出版界が長年蓄積したノウハウをバラバラにするなんて、もっての他だ!そんなことをすると、本当に読者に読まれるべき良書をプロモートできなくなるし、美しい装丁をすることが出来なくなるし、しっかりした校正によって品質を担保することが出来なくなるし、前渡し金などにより新しい著者を育むこともままならなくなる」と言います。

このような主張を聞くと、僕は投資銀行に勤めていた時代の調査部の存在意義の議論と全くそのままなので、既視感であたまがクラクラします。

もちろん、現在の出版業界のインフラストラクチャは貴重なものだし、出来る限り維持されるべきものです。例えばスコット・フィッツジェラルドやアーネスト・ヘミングウェイが世に出る際に出版社、スクリブナーズが果たした役割などに思いを馳せた場合、そういうたいせつなものを守る必要性が強く感じられます。

しかし……

新しいテクノロジーの到来は、好むと好まざるにかかわらず、我々に変化を強います。
その結果、美しい装丁は無くなってしまうかも知れないし、近所の本屋さんは潰れるかも知れないし、本の校正などの品質担保をすることは出来なくなるかも知れません。

時代の流れに抗しようとして、最後まで抵抗するという立場もあるでしょうけど、いずれはそれらの全てはノスタルジアの世界になってしまうと思うのです。ちょうど昭和初期まで居たバスの車掌のお姉さんと同じです。どんなに萌えたところで、もう戻っては来ないのです。

当然、コンテンツは劣化すると思います。だけどそれはそれで仕方ないのではないでしょうか?

そのことを如実に示した例は変態趣味を扱った『Fifty Shades』シリーズの大成功です。およそ伝統的な小説作法に照らしてみると絶対落第点で、本来、日の目を見るべきではないこの作品が大ヒットした背景には、電子書籍という媒体が、コンテンツの消費のされ方や消費者の嗜好にキョーレツなインパクトを既に持ち始めていることのあらわれに他なりません。

ネットスケープが最初にブラウザーを出してきたときもそうですが、このように新しい技術が登場した時は、なるべくそのテクノロジーから近いところに身を置き、刻々と変化する表現方法や受け手の嗜好に合わせて、実験を繰り返す者が勝ちます。

印刷技術が最初に出た頃は聖書などの宗教書が出版物の過半数を占めていましたが、揺籃期を過ぎると、今度は爆発的にコンテンツが広がりを見せます。そのきっかけになったひとりはエラスムスだと思いますが、彼はヴェネツィアのアルドゥスという印刷業者の印刷所に住み込んで、片っ端から思いついたことを活字にしてゆきます。その意味でエラスムスは「元祖ブロガー」だったのかも知れません。

エラスムスは装丁の美しい本には興味は無く、いつも最も経済的で大衆に普及できる活字と版型のことばかりを考えていたそうです。それはなぜかといえば、廉価に本を出せるという事が従来では想像すらしなかった大きな潜在市場の開拓につながると彼が信じていたからに他なりません。

これが後の宗教や学問に与えた影響は大きかったと思います。

いま、エラスムスの時代から500年以上を経て、出版のビジネスはまた大きく変わろうとしています。そこでは既存の出版社はゲートキーパー(門番)の役回りを演じることを強いられています。アマゾンがKDP(キンドル・ダイレクト・パブリッシング)でやっているような電子出版でのセルフ・パブリッシングが可能になると、「野蛮人」が押し寄せて「ドンドン」と城門を叩くという光景が出現すると思うのです。