電子書籍の登場でアメリカの書店や出版業界は大きな変革に晒されています。それは新しい利便性をもたらすと同時に不便ももたらしています。
たとえば夜中でも(読みたいな)と思った本を即時、ダウンロードし、読み始める事が出来る反面、本屋さんに行って新しい本を発見するという楽しみは完全に奪われてしまいました。なぜならウチの近所(サンフランシスコ郊外)の本屋さんは全部潰れてしまったからです。
電子書籍の登場は消費者の行動パターンを変えただけではなく、著者の制作パターンやスタイルにも影響を与え始めています。今日はその話をしたいと思います。
昔は地位の確立した小説家は「一年一作主義」を貫いておけば、大抵OKでした。でも電子書籍が普及しはじめてから、執筆サイクルを加速させるプレッシャーが出ているそうです。
紙の本は製本、物流、値付けの見地から、或る程度、最適な紙数が自ずと決まってきますが、電子書籍にはフィジカルな制約がありません。そこで紙数や、どのくらい頻繁に新作を出すか? ということに関して、いろいろな実験的な試みが始まっています。
たとえば今年の夏、『The Sweet Life』という小説が出されました。夏の間だけ、期間限定で、毎週、新しい本が6回に分けて出されるという企画でした。(なお下のリンクは紙の本のリンクです=日本では未だキンドルが売られていないので、6巻に分けたミニシリーズが表示できないため)

The Sweet Life: The Serial (Sweet Valley Confidential)
クチコミを見る
そのそれぞれの本は価格設定が$1.99でした。これは単体ではかなり安い印象を消費者に与えると思います。ただ、六巻全部買うと$11.94になるので、トータルとしては決して安くないと考える事も出来ます。
それぞれのページ数を見ると
第1巻 121頁
第2巻 82頁
第3巻 92頁
第4巻 65頁
第5巻 79頁
第6巻 84頁
とかなりバラバラです。
「そんなもの、一冊にまとめればいいじゃないか?」と皆さんは思うかも知れませんが、ひょっとするとバラバラになっているからこそ、意味があるのかも知れません。
なぜなら最近、アメリカの電子書籍のユーザーの中には麻薬のようにロマンスノベルに中毒になっている読者層が居るからです。彼らや彼女たちは毎週、常習犯のように電子書籍を買ってしまうのです。
たとえば夜中でも(読みたいな)と思った本を即時、ダウンロードし、読み始める事が出来る反面、本屋さんに行って新しい本を発見するという楽しみは完全に奪われてしまいました。なぜならウチの近所(サンフランシスコ郊外)の本屋さんは全部潰れてしまったからです。
電子書籍の登場は消費者の行動パターンを変えただけではなく、著者の制作パターンやスタイルにも影響を与え始めています。今日はその話をしたいと思います。
昔は地位の確立した小説家は「一年一作主義」を貫いておけば、大抵OKでした。でも電子書籍が普及しはじめてから、執筆サイクルを加速させるプレッシャーが出ているそうです。
紙の本は製本、物流、値付けの見地から、或る程度、最適な紙数が自ずと決まってきますが、電子書籍にはフィジカルな制約がありません。そこで紙数や、どのくらい頻繁に新作を出すか? ということに関して、いろいろな実験的な試みが始まっています。
たとえば今年の夏、『The Sweet Life』という小説が出されました。夏の間だけ、期間限定で、毎週、新しい本が6回に分けて出されるという企画でした。(なお下のリンクは紙の本のリンクです=日本では未だキンドルが売られていないので、6巻に分けたミニシリーズが表示できないため)

The Sweet Life: The Serial (Sweet Valley Confidential)
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そのそれぞれの本は価格設定が$1.99でした。これは単体ではかなり安い印象を消費者に与えると思います。ただ、六巻全部買うと$11.94になるので、トータルとしては決して安くないと考える事も出来ます。
それぞれのページ数を見ると
第1巻 121頁
第2巻 82頁
第3巻 92頁
第4巻 65頁
第5巻 79頁
第6巻 84頁
とかなりバラバラです。
「そんなもの、一冊にまとめればいいじゃないか?」と皆さんは思うかも知れませんが、ひょっとするとバラバラになっているからこそ、意味があるのかも知れません。
なぜなら最近、アメリカの電子書籍のユーザーの中には麻薬のようにロマンスノベルに中毒になっている読者層が居るからです。彼らや彼女たちは毎週、常習犯のように電子書籍を買ってしまうのです。
ネットフリックスやアマゾン・プライムによる映画・TV番組のダウンロード・サービスでも同様のBinge watching、つまり週末にあるテレビ・シリーズを全部ぶっ通しで視聴してしまうなどの「観放題、読み放題」が新しいライフスタイルになりつつあります。
単にマーケティング・ギミックと言えばそれまでだけど、パッケージングを変えると中身の表現方法も自ずと「進化」しなければいけません。例えば上の例でいえば、6巻のストーリーのそれぞれに、起伏があり、「to be continued…」というカタチで読み手をハラハラさせながら次回へつなげる工夫をしないといけないのです。
チャールズ・ディケンズの作品が雑誌への寄稿という発表方法だったことから延々と続くスタイルになったことは有名な話ですが、このようにメディア(介在物=発表場所)が表現の在り方を規定するということは、昔からあったわけです。
別の試みとして、読者から「この登場人物は殺さないで!」などのフィードバックを聞き、その意見を取り入れながらストーリーをどんどん書いて行くという作家も登場しています。つまり読者参加型というか、コラボ型の創作プロセスというわけです。
現在の米国の電子書籍市場は、インターネットの歴史でいえば1996年頃の状況と同じだと思います。つまりまだまだ黎明期で、これからもっと変わるということ。
日本には「電子書籍はダメだ、やっぱりメルマガだ!」という、激しくガラパゴっている意見もあるようですけど、ただ単に「いま課金が成功している」ということと、未来があるという事は同義では無いと思うのです。
ドットコム・バブル時代に沢山のIPOを見てきた経験から言わしてもらうと、大体、新しいサービスや商品の普及可能性は、最初飛び出した時の初速、つまりモメンタムで決まってしまいます。メルマガなんて昔からあるサービスで、新鮮味は無いし、表現のプラットフォームとして魅力あるものではありません。
大体、次にどんなサービスが死ぬかを測るには、女子高生あたりの行動を見ればわかると言われますけれど、彼女たちはスマホにしてからメールを以前ほど見なくなっているのではないでしょうか?
メルマガなんて、オジンのツール。
僕なら「神待ち家出少女、援助求む」などという迷惑メールといっしょくたにされる場所で、自分の意見を発信したいとは、思いません。
単にマーケティング・ギミックと言えばそれまでだけど、パッケージングを変えると中身の表現方法も自ずと「進化」しなければいけません。例えば上の例でいえば、6巻のストーリーのそれぞれに、起伏があり、「to be continued…」というカタチで読み手をハラハラさせながら次回へつなげる工夫をしないといけないのです。
チャールズ・ディケンズの作品が雑誌への寄稿という発表方法だったことから延々と続くスタイルになったことは有名な話ですが、このようにメディア(介在物=発表場所)が表現の在り方を規定するということは、昔からあったわけです。
別の試みとして、読者から「この登場人物は殺さないで!」などのフィードバックを聞き、その意見を取り入れながらストーリーをどんどん書いて行くという作家も登場しています。つまり読者参加型というか、コラボ型の創作プロセスというわけです。
現在の米国の電子書籍市場は、インターネットの歴史でいえば1996年頃の状況と同じだと思います。つまりまだまだ黎明期で、これからもっと変わるということ。
日本には「電子書籍はダメだ、やっぱりメルマガだ!」という、激しくガラパゴっている意見もあるようですけど、ただ単に「いま課金が成功している」ということと、未来があるという事は同義では無いと思うのです。
ドットコム・バブル時代に沢山のIPOを見てきた経験から言わしてもらうと、大体、新しいサービスや商品の普及可能性は、最初飛び出した時の初速、つまりモメンタムで決まってしまいます。メルマガなんて昔からあるサービスで、新鮮味は無いし、表現のプラットフォームとして魅力あるものではありません。
大体、次にどんなサービスが死ぬかを測るには、女子高生あたりの行動を見ればわかると言われますけれど、彼女たちはスマホにしてからメールを以前ほど見なくなっているのではないでしょうか?
メルマガなんて、オジンのツール。
僕なら「神待ち家出少女、援助求む」などという迷惑メールといっしょくたにされる場所で、自分の意見を発信したいとは、思いません。