ネットを見ていると羨ましい話に毎日のように遭遇します。たとえばこの「41歳で会社を辞めてブログだけで食べているすごい人」
「1日30PV(ページビュー→閲覧回数のこと)だったブログが、今や月間160万PV……ブログの広告収入だけで食べていける……」

僕もブログをやっているので、この160万PVという数字がどんなにスゲー数字かは、痛いほど(笑)よくわかる、、、

(まるでPV貴族やんけ!)

そのシンデレラ・ストーリーに思わずうっとりしてしまうわけです。これを見て、脱サラしたいと思わない人は居ないでしょう。

でも現実はそれほど甘くないと思います。

ブログというのは、誰でも始められるので、参入障壁はゼロです。それは完全競争の世界でもあるわけです。

才覚があり、努力を続けることが出来ればPV貴族になれる可能性もあるけれど、単に大企業だとか有名だというだけで、ブログのPVが伸びるかと言えば、それは必ずしもそうではありません。

この41歳のブロガーさんのように短期間でPVをグーンと伸ばす人も中には居るのだろうけれど、僕の印象では人気ブロガーの顔ぶれは意外に固定的、硬直的です。また彼のブログにも書かれている通り、そのライフスタイルは仙人のようにストイックであります。

何年か前に「アルファブロガー」という企画があって、そこで著名なブロガーが紹介されたことがありましたけど、今、活躍しているブロガーのリストは、その当時のリストと殆ど入れ替わってないのではないかしら? 相変わらず「ちきりん」であり「やまもといちろう」であり「イケダハヤト」なわけです。

「PVはPVを呼ぶ」じゃないけれど、一度、ブログ界での地位が確立してしまうと、その牙城を切り崩すのは、至難の業なんですね。

言い換えれば、ブロガーには厳然とした序列があるわけです。

「そんなのいいじゃんかよ、別に競争してるわけじゃないんだから……」

皆さんは多分、そう感じられると思います。当然です。それでいいんです。
別に競争じゃないわけだから、そんなしんどい思いをする必要は無いというのが僕の意見です。

それを断った上で、これらのPV貴族の連中を見ていると、そこにはある種、戦士の死生観(warrior’s outlook)とでも呼べる、競争心がひそんでいる。「いやあ、競争なんて、そんなの僕はカンケーないですよ」と表向きには言う人でも、一皮剥けば、やっぱり心の奥底では無意識に競争している……


ノマド・ワーカーとしての成功を若し皆さんが夢みているのならば、この戦士の死生観を持つ必要がゼッタイにある。それがなければ、あなたは単にスタバでクソな仕事を市場実勢価格以下の安い値段でやらされている「好都合な下請」に過ぎないのです。いや、仕事そのものすら無く「気分だけノマド」というイタい若者で終わっている人が、実は大半だと思います。いつからファッション・ステートメントになったのですかね? 喫茶店でブラブラしていることが

PV貴族になると、いろいろメリットがあります。いろいろな「チャンスの窓」が次々に開いてゆきます。本を出すというのもそのひとつかも知れないし、講演するというのもそうだし、(僕の嫌いな)メルマガとかもその例です。営業しなくても仕事が向こうの方から勝手に舞い込んできます。

このPV貴族というのは未だ登場して五年も経たない、新しい階級だと思うけど、今後、PV的な意味で「持てる者」と「持たざる者」の差は拡大しこそすれ、縮小はしない気がします。

そのひとつの理由はPV貴族の持つ影響力は、検索エンジンの入り込めない領域(たとえば一部のSNSやコンテンツ)にもしっかり入ってゆけるからです。結局、広告主や企業が求めているものは、コモディティ化してしまった、検索エンジンによる「発見」を超える、新しい意味付けなのです。

具体例で言えば、ファッション・モデルはこれまで自分からは発信ということを余りしませんでした。その結果としてファッションのスポークスマンとしてのモデル業界は、ものすごい地盤低下を招いてしまった。セレブに取って代わられてしまったのです。だからファッション・モデルのココ・ロシャはソーシャル・メディアに於ける自分の存在の確立を、ある種の聖戦、復讐戦と位置付けているのです。

「でもPVを伸ばすためには大衆ウケを狙う必要がある。自分はそんな電波芸者みたいなことはしたくない」

そういう意見もあると思います。しかしメディアと影響力のゲームは、テレビの時代や雑誌の時代からあったトレード・オフであり、ブロガーだけが直面する問題ではないのです。これはエラスムスやシェイクスピアの時代から続いている、知識人の究極の命題です。

PS: PV貴族になりたいがためにいろいろ腐心している人は、PV乞食です。その典型例は僕です。あははははー