アップルが売り出したiPhone5のマップに不具合があり、地図の表示が不正確だったり、イメージが下のキャプチャのように「溶け溶け」になっていたことで、ティム・クックCEOが謝罪した件が話題になっています。

(出典:ウォールストリート・ジャーナル)
これに関して「ジョブズだったら、謝らなかった」とか「アップルはサンマイクロシステムズのような、ゴーマンな会社になりつつある」とか「そもそもこんな大失敗する事自体、昔なら有り得なかった」とか、いろいろな意見がネット上で聞かれます。
でもそれらのコメントの多くは、単純に歴史を知らない事実誤認です。
例えば「ジョブズは謝った事はない」というコメント。
ジョブズは過去に何回も謝っています。謝りまくっている。失敗も一度や二度では、ありません。
それは悪い事では無く、良い事なのです。
おなじ失敗の仕方でも、高級な、良い失敗の仕方(good try)と、陳腐で臆病でアフォな失敗の仕方というものがある。
ジョブズは、大失敗を何度もやらかしたけど、その大部分は「時代の先を行き過ぎていた」とか「技術の熟成が追いつかないままに、見切り発車してしまった」という失敗でした。
もう覚えている人は居ないと思うけど、ずーっと昔にアップルが「リサ」というパーソナル・コンピュータを出したことがあった……これは「マック」の「お姉さん」みたいな存在です。

僕のような、コンピュータ言語を使えない、普通の消費者にも、広くコンピュータを使って欲しいという夢を具現化した、最初の試みだったのではないでしょうか?
ところが「あれも、これも」という欲張りな設計だったので、OSに対する負荷が大き過ぎて、とてもsluggishなパフォーマンスになっちゃった……
というわけで、「リサ」は失敗に終わったのです。
でもその時のジョブズのビジョンは、後のマックにしっかりと受け継がれました。
今回のアップルの失敗に関して、「そもそも失敗した事が、悪かった」式の議論がアメリカでも日本でも、ある。
まあ、そんな事を言っている奴らはテクノロジーの新しい地平なんて切り拓けるわけが無い。

(出典:ウォールストリート・ジャーナル)
これに関して「ジョブズだったら、謝らなかった」とか「アップルはサンマイクロシステムズのような、ゴーマンな会社になりつつある」とか「そもそもこんな大失敗する事自体、昔なら有り得なかった」とか、いろいろな意見がネット上で聞かれます。
でもそれらのコメントの多くは、単純に歴史を知らない事実誤認です。
例えば「ジョブズは謝った事はない」というコメント。
ジョブズは過去に何回も謝っています。謝りまくっている。失敗も一度や二度では、ありません。
それは悪い事では無く、良い事なのです。
おなじ失敗の仕方でも、高級な、良い失敗の仕方(good try)と、陳腐で臆病でアフォな失敗の仕方というものがある。
ジョブズは、大失敗を何度もやらかしたけど、その大部分は「時代の先を行き過ぎていた」とか「技術の熟成が追いつかないままに、見切り発車してしまった」という失敗でした。
もう覚えている人は居ないと思うけど、ずーっと昔にアップルが「リサ」というパーソナル・コンピュータを出したことがあった……これは「マック」の「お姉さん」みたいな存在です。

僕のような、コンピュータ言語を使えない、普通の消費者にも、広くコンピュータを使って欲しいという夢を具現化した、最初の試みだったのではないでしょうか?
ところが「あれも、これも」という欲張りな設計だったので、OSに対する負荷が大き過ぎて、とてもsluggishなパフォーマンスになっちゃった……
というわけで、「リサ」は失敗に終わったのです。
でもその時のジョブズのビジョンは、後のマックにしっかりと受け継がれました。
今回のアップルの失敗に関して、「そもそも失敗した事が、悪かった」式の議論がアメリカでも日本でも、ある。
まあ、そんな事を言っている奴らはテクノロジーの新しい地平なんて切り拓けるわけが無い。
アップルの新製品発表が昔からエキサイティングだった唯一の理由は、マスに大量に販売してゆく消費財の世界で、パフォーマンスやデザインの限界まで挑戦してゆく、一種のアスリート的な体当たり……それをかぶりつきで観戦する事が出来るからです。
言い換えれば、pushing the envelopeという事です。
Pushing the envelopeというのはハイテクや最先端の金融商品開発の場面では、しばしば耳にする表現ですが、要するにロケットや戦闘機の上昇性能や旋回性能の極限までぶっ飛ばすという意味です。
この表現を流行らせたのはトム・ウルフで、彼はニューヨーク・タイムズの昔の記事の中で『ザ・ライト・スタッフ』という本(映画にもなった)におけるpushing the envelope のという言葉の使用に関して、下のように説明しています。

(出典:『ザ・ライト・スタッフ』)
ティム・クックが今回の事に懲りて臆病な経営に走るか、それともアップルの伝統をしっかり堅持して、ギリギリの製品を常に世に問うか……今後に注目したいです。
言い換えれば、pushing the envelopeという事です。
Pushing the envelopeというのはハイテクや最先端の金融商品開発の場面では、しばしば耳にする表現ですが、要するにロケットや戦闘機の上昇性能や旋回性能の極限までぶっ飛ばすという意味です。
この表現を流行らせたのはトム・ウルフで、彼はニューヨーク・タイムズの昔の記事の中で『ザ・ライト・スタッフ』という本(映画にもなった)におけるpushing the envelope のという言葉の使用に関して、下のように説明しています。
The phrase was popularized in 1979 by Tom Wolfe in his book about astronauts, ''The Right Stuff.'' The phrase-sensitive reporter wrote: ''The 'envelope' was a flight-test term referring to the limits of a particular aircraft's performance, how tight a turn it could make at such-and-such a speed, and so on. 'Pushing the outside,' probing the outer limits, of the envelope seemed to be the great challenge and satisfaction of flight test.''
I called Tom Wolfe, whose current novel, ''The Bonfire of the Vanities,'' pushes the envelope of urban high life, to find out where he picked it up. ''I first heard it in 1972, among test pilots who later became astronauts. They were speaking of the performance capabilities of an airplane as an envelope, as if there were a boundary. Why they chose >envelope, I don't know, but if you get outside the envelope, you're in trouble.'' He estimated that its test-pilot use may have begun at the Patuxent River Naval Air Station in Maryland in the 1940's.

(出典:『ザ・ライト・スタッフ』)
ティム・クックが今回の事に懲りて臆病な経営に走るか、それともアップルの伝統をしっかり堅持して、ギリギリの製品を常に世に問うか……今後に注目したいです。