burmah_logo_1971_with_watermark

ミャンマーの投資機会が注目されています。

ミャンマーはアメリカの投資家にとっては全く新しい投資ストーリーで、見る事、聞く事が全て新鮮なのですが、イギリス人のファンドマネージャーからすれば、親近感のある新興国です。

その理由はイギリス最古の国際石油会社が、実はビルマ(ミャンマーの旧称)で設立されたからなのです。

ビクトリア女王の時代にビルマはイギリスのインド領の、そのまた属地に併合されました。1886年の事です。その年にセイロン貿易(今のスリランカ)で羽振りの良かったデビッド・カーギルという人がビルマの石油開発に乗り出したのです。

これがバーマー・オイル(Burmah Oil=ビクトリア時代は、ビルマBurmaの綴りにhがついていた)の起源です。

その後、英国の国防省は「ビルマからインドなどへ石油を供給しているバーマー・オイルは、戦略的にとても重要なんじゃないか?」と考え、1905年に英国海軍本部(Admiralty)が同社から石油の長期買い付け契約を締結します。この時、英国海軍本部は「ペルシャにも石油が出るんだけど、その権益を買う気は無いかね?」と持ちかけます。



このペルシャの石油の権益はウイリアム・ダーシーという実業家が持っていたのですが、石油採掘の資金が足らなくなり、油田開発が暗礁に乗り上げた……。英国政府は軍艦の燃料を全部石油に変えるという戦略的決断を下そうという時だったので、イギリス以外の企業がペルシャの油田を支配することを恐れたわけです。それでバーマー・オイルに白羽の矢が立った……

バーマー・オイルは翌年、アングロ・ペルシアン・オイル・カンパニー(APOC)を設立します。これが後のブリティッシュ・ペトロリアム(BP)の前身です。ところが当時、ペルシャ(=現代の地名で言えば、アバダン辺りだと思いますが)から石油を輸出するのはロジスティック的に結構、しんどかった。それでウィンストン・チャーチルとバーマー・オイルが手を打って、英国政府がアングロ・ペルシアン・オイル・カンパニーの過半数株式を引き取り、英国海軍の燃料をそこから確保、一方、バーマー・オイルはインドにケロシンを提供することになったわけです。

1942年に日本軍はビルマに攻め込み、バーマー・オイルの設備ならびに油田が日本軍の手に落ちそうになります。その時、バーマー・オイルのマネージング・ディレクターだったロバート・ワトソンは「精油所と油田を、破壊しろ」と命令します。

第二次世界大戦の後でバーマー・オイルは再びミャンマーに戻りますが、1963年にビルマ政府にその株式を売却します。

なおバーマー・オイルのロゴは「ビルマの虎」でした。


【関連するエントリー】
「幸運よ、今夜は淑女で居てくれ!」政府転覆の大博打を打ったCIAのスパイ