11月25日にスペインのカタルーニャ地方で議会選挙があります。この選挙でカタルーニャ独立賛成派が勢力を伸ばすのではないかということが注目されています。

若しカタルーニャ独立賛成派のCIU党が50%以上の得票をした場合、カタルーニャはスペイン政府に対して独立のためのレファレンダムを要求する可能性があります。

こうした現在のスペインの状況は、1936年から1939年まで続いた壮絶なスペイン内戦の忌まわしい記憶を呼び覚ましています。

スペイン内戦は欧州で最も悲惨な内戦であり、50万人が死亡したと言われています。またこの内戦は民主主義とファシズムが激突した最初のバトルでもあります。

スペイン内戦には、世界中から何千人ものボランティアがスペインに駆けつけ、戦いに参加しました。外国から馳せ参じた義勇兵は理想主義や、ある種のロマンチシズムに突き動かされて行動を起こしたわけですが、スペイン国内には根っこのところで同国に固有なやっかいな問題がそれ以前からくすぶっていました。

スペイン内戦前夜の複雑な経済、政治事情と、こんにちのスペインの抱える問題には似ていない部分もあるけれど、酷似している部分も散見されます。そこで今日はスペイン内戦前夜の同国の雰囲気がどうだったかということについて少し説明したいと思います。

スペインでは1931年にアルフォンソ王が亡命し、共和国が誕生します。これはスペインの地方の人々が高い失業率、農村の貧困などから王政に愛想を尽かしたことが一因です。

しかし樹立されてわずか5年後にはスペインの共和制は内戦の戦火の中で崩壊します。
庶民は新政府の誕生に期待を高めますが、世界的な不景気の中で、それが失望に終わった時、農民は自分達が直接土地を所有したがり、また工員たちは労働組合の結成を要求しました。このように諸々の社会問題が一気に噴出する中で、教会は反動色を強め、また資本家も反動的でした。


スペイン南部の諸州では大規模農園が運営されており、そこでは大地主が土地を牛耳っていました。この旧態依然とした経済には中央の政治家も危機感を持っており、土地所有制度を改善し、大地主制度を止めなければ共和制が崩壊すると懸念していました。

しかし中央政府は改革を進めるあたり、緩慢なペースを採用したため、農民は遅々とした改革にしびれを切らせました。農民たちは教会や地主への従属や所有権を一切否定する、革命的な考え方をだんだん支持するようになります。そして農民たちは教会が裕福層の味方になっていると感じたことから修道院に次々放火します。

バルセロナを中心とするカタルーニャの人々は彼ら独自の歴史を強く意識していました。またビルバオを中心とするバスク地方も同様です。カタルーニャに関しては1900年頃から自治を要求する運動がはじまっており、年々、その声は強くなっていました。

もともとカタルーニャの場合、言語、文化が違うし、バスク、カタルーニャの両地方は工業化が早く、比較的裕福だったこともあって、独立したいという気運が高かったわけです。
これに対してマドリード中央政府はカタルーニャの人々から見ると後進的で傲慢に映ったわけです。バルセロナには大きなテキスタイル産業と良港がありました。そこでカタルーニャの人たちは旅行者に対して「この土地ではスペイン語ではなくカタランを喋りなさい」と強要という場面がありました。(なおこの光景は最近、再びバルセロナなどで顕著になっているそうです)

スペイン中央政府はこのようなカタルーニャの離脱主義を、統一を脅かす存在だと感じはじめました。

一方、共和国政府は陸軍を改革し、近代化しようと試みます。陸軍はこれに反発しクーデターを起こします。

クーデターの鎮圧に際してはスペインのエスタブリッシュメントから成る右派は共和党政府を完全に支持しませんでした。一方、貧困層は左派に同調し、CNTに代表されるアナーキズムに走りました。アナルコ・サンジカリズムという、労働者による自治の考え方が出てきたわけです。彼らはフェデリカ・モンセーニャをリーダーとし、1932年までに百万人の組員を誇るまでに成長しました。彼らは全ての政府を却下し、労働者による統治を主張します。

1933年1月にこれらのアナーキストの蜂起が血なまぐさく鎮圧されると社会主義者は政府から離反します。そこで新しい選挙が取り行われたのですが左翼は議会民主主義に幻滅、また右派はフェダという超保守を形成します。

1934年頃までにファシズムが欧州全体に広がり始めます。スペインの社会主義者はファシズムを拒否しますがヒューロブレスなどの政治家がカモフラージュしながらファシズムを導入するのではないかという懸念は根強く残りました。社会主義者は政府転覆を目指しますが全国的な運動は起こせず、北部だけで革命が起きました。アストリアスでは炭鉱を閉山して参戦する準備がなされ、マドリード政府に対する反抗がはじまりましたが、この社会主義の蜂起は失敗に終わり、アストリアスでは2,000人が殺戮されました。

この後を受けた1936年2月の選挙では人民戦線が勝利しドローレス・イブルーレがリーダーになります。ドローレスは即座に政治犯を釈放し、この中にはカタルーニャのリーダーも含まれていました。

この後、カナリア諸島に左遷されていたフランシスコ・フランコ陸軍大将がモロッコで蜂起し、フランコはスペイン本土に攻め上がります。こうして反乱軍としてのフランコの部隊とマドリード政府との戦争、つまりスペイン内戦が始まるわけです。

まとめるとスペイン内戦前には大変な世界的な不景気が起きていて、ファシズムや無政府主義などのラジカルな考え方が支持を得やすい雰囲気になっていたことが指摘できます。また中央政府と地方とのいざこざが絶えませんでした。今週、話題にのぼっているカタルーニャの離反問題は当時のことを思い起こさせます。

もちろん今日のスペインは1930年代のスペインほどは迷信的、後進的ではありません。またいまのところファシズムの台頭もありません。(ギリシャでは、それを感じさせます)

なお、結局、スペイン内戦はファシストの支援を得たフランシスコ・フランコの反乱軍の勝利に終わり、理想主義は蹴散らされました。フランコの独裁政治は、その後40年も続きました。