ひとつ前のエントリーでアメリカのカウンター・カルチャーとシリコンバレーのエートスについて書いたら、佐藤さんのコメントの中にギンズバーグの名前が出てきました。折角だからビート・ジェネレーションの話もチョッと書いてみたいと思います。
僕がシリコンバレーとの絡みで米国のカウンター・カルチャーを想う時、主にイメージするのは:
の三つです。
ビート・ジェネレーションの主役たちがニューヨークのコロンビア大学に出没しはじめたのは、第二次世界大戦が終わって間もなくの頃だと思います。ルシアン・カー、ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグというメンツです。
これにハーバード大学を卒業した後、ニューヨークに来ていたウイリアム・バロウズが加わって、お友達グループが出来る……
彼らの交友関係を軸として、そこから広がった思潮が、つまり後にビート・ジェネレーションと呼ばれるムーブメントなのです。
当時の時代背景として、GIビル(復員兵援護法)と呼ばれる、戦争から帰ってきた兵隊に対する様々な支援があります。具体的には低利の住宅ローンを提供することで持ち家を奨励すること、さらに大学の授業料を補助することなどが、その法案に盛り込まれていました。
僕がシリコンバレーとの絡みで米国のカウンター・カルチャーを想う時、主にイメージするのは:
ビート・ジェネレーション
ヒッピー・ムーブメント
サンセット大通り、サンタモニカ大通り付近のロスアンゼルスのフォークロック・シーン
の三つです。
ビート・ジェネレーションの主役たちがニューヨークのコロンビア大学に出没しはじめたのは、第二次世界大戦が終わって間もなくの頃だと思います。ルシアン・カー、ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグというメンツです。
これにハーバード大学を卒業した後、ニューヨークに来ていたウイリアム・バロウズが加わって、お友達グループが出来る……
彼らの交友関係を軸として、そこから広がった思潮が、つまり後にビート・ジェネレーションと呼ばれるムーブメントなのです。
当時の時代背景として、GIビル(復員兵援護法)と呼ばれる、戦争から帰ってきた兵隊に対する様々な支援があります。具体的には低利の住宅ローンを提供することで持ち家を奨励すること、さらに大学の授業料を補助することなどが、その法案に盛り込まれていました。
この結果、米国でベビーブームが起きたんですね。それと高等教育の一般化も促進されました。それまで鉄砲担いでいた若者達に、いきなり「キミ、大学に行きたまえ!」というわけだから、これはもう一触即発(笑)な政策です。後で振り返ってみると、このGIビルがアメリカ社会やアメリカ経済に果たしたポジティブな役割というのは、すごく大きかったなと……
さて、戦争という、国をひとつにまとめる関心事が無くなったので「皆と同じことをやれ」という社会の無言の圧力は後退しました。それは若者達が自分探しをする必要が出た事を意味するんですね。
あと戦争が無くなったことで、持て余した若いエネルギーを発散させる新しい対象も必要になった。リビドー爆発ってやつですよ。
このようなムードの中で、バロウズやギンズバーグは同性愛のテーマにチャレンジし、ケルアックは自分らしい生き方を探す放浪の旅を『路上(オン・ザ・ロード)』という作品にしたのわけです。

オン・ザ・ロード (河出文庫)
『路上』は、いわゆるロードトリップものです。アメリカ人ってのはロードトリップが好きですね。一口にロードトリップと言っても、いろいろな形態があります。豪勢なキャンピングカーで移動するのもロードトリップなら、リュックサックひとつでヒッチハイクしながら行くのもロードトリップです。
『路上』の場合は、ヒッチハイクが主体でした。主人公はサル・パラダイスという名前だけど、実際のモデルはケルアック自身(=つまり自伝小説)です。その主人公が友人のディーン・モリアーティを追いかけてデンバーに向かうというのが、この小説の設定です。
思うに『路上』が支持された理由は、若者の誰もが経験する、大人になってゆく成長体験が、そこに書かれているからではないですかね? 例えば主人公はニューヨークからヒッチハイクで西を目指します。ところが乗せてもらったクルマは北に行ってしまい、どんなに西を目指そうとしても同じ場所での堂々巡りになってしまうんですね。一旦、ニューヨークに戻り、そこからもう一度やり直すことになるわけです。イライラがたまるし、自分のふがいなさに、なんだか泣けて来る……そういう迷走を繰り返しながら、だんだん自分探しをするわけです。
この小説の中で主人公の親友、ディーン・モリアーティのキャラクターはとりわけ魅力的に描かれています。このキャラクターは実在の人物、ニール・キャサディをもとにしているんですね。キャサディはハンサムな上に筋肉質の体型で、それを誇示するかのように、パーティーではいつも上半身裸になって踊っているわけですよ。セックスシンボル的な魅力がムンムン。そのうえ快活でお喋りときたから、常に皆にモテまくり。この人は、一生、モテ期ですよ。
当時のパーティーは、誰かのアパートメントなどで開かれることが多くて、バックグラウンド・ミュージックはビバップと決まっていました。だからレコード・プレーヤーの上に載っているのは、さしずめチャーリー・パーカーかディジー・ガレスビーあたりでしょうね。
で、くどいけれども(笑)キャサディは、女からも、そして男からもモテた。彼はいつも若妻とエッチして、その足で今度は妻に内緒のガールフレンドのところへ急行する(笑)……いそがしい御仁なわけですよ。
で、そういう彼の自由奔放で物事にこだわらない生き方を、まぶしい眼差しで追いかけているケルアックが居る……。いや、ケルアックだけじゃないですね、アレン・ギンズバーグもキャサディに首ったけだった……これはもう三角関係どころか四角、五角関係で、みんながとぐろを巻いたような状態。(笑)キャサディはだからビート仲間達のアイドルであり、インスピレーションの源泉、つまりミューズだったわけです。
(2/3へつづく)
さて、戦争という、国をひとつにまとめる関心事が無くなったので「皆と同じことをやれ」という社会の無言の圧力は後退しました。それは若者達が自分探しをする必要が出た事を意味するんですね。
あと戦争が無くなったことで、持て余した若いエネルギーを発散させる新しい対象も必要になった。リビドー爆発ってやつですよ。
このようなムードの中で、バロウズやギンズバーグは同性愛のテーマにチャレンジし、ケルアックは自分らしい生き方を探す放浪の旅を『路上(オン・ザ・ロード)』という作品にしたのわけです。

オン・ザ・ロード (河出文庫)
『路上』は、いわゆるロードトリップものです。アメリカ人ってのはロードトリップが好きですね。一口にロードトリップと言っても、いろいろな形態があります。豪勢なキャンピングカーで移動するのもロードトリップなら、リュックサックひとつでヒッチハイクしながら行くのもロードトリップです。
『路上』の場合は、ヒッチハイクが主体でした。主人公はサル・パラダイスという名前だけど、実際のモデルはケルアック自身(=つまり自伝小説)です。その主人公が友人のディーン・モリアーティを追いかけてデンバーに向かうというのが、この小説の設定です。
思うに『路上』が支持された理由は、若者の誰もが経験する、大人になってゆく成長体験が、そこに書かれているからではないですかね? 例えば主人公はニューヨークからヒッチハイクで西を目指します。ところが乗せてもらったクルマは北に行ってしまい、どんなに西を目指そうとしても同じ場所での堂々巡りになってしまうんですね。一旦、ニューヨークに戻り、そこからもう一度やり直すことになるわけです。イライラがたまるし、自分のふがいなさに、なんだか泣けて来る……そういう迷走を繰り返しながら、だんだん自分探しをするわけです。
この小説の中で主人公の親友、ディーン・モリアーティのキャラクターはとりわけ魅力的に描かれています。このキャラクターは実在の人物、ニール・キャサディをもとにしているんですね。キャサディはハンサムな上に筋肉質の体型で、それを誇示するかのように、パーティーではいつも上半身裸になって踊っているわけですよ。セックスシンボル的な魅力がムンムン。そのうえ快活でお喋りときたから、常に皆にモテまくり。この人は、一生、モテ期ですよ。
当時のパーティーは、誰かのアパートメントなどで開かれることが多くて、バックグラウンド・ミュージックはビバップと決まっていました。だからレコード・プレーヤーの上に載っているのは、さしずめチャーリー・パーカーかディジー・ガレスビーあたりでしょうね。
で、くどいけれども(笑)キャサディは、女からも、そして男からもモテた。彼はいつも若妻とエッチして、その足で今度は妻に内緒のガールフレンドのところへ急行する(笑)……いそがしい御仁なわけですよ。
で、そういう彼の自由奔放で物事にこだわらない生き方を、まぶしい眼差しで追いかけているケルアックが居る……。いや、ケルアックだけじゃないですね、アレン・ギンズバーグもキャサディに首ったけだった……これはもう三角関係どころか四角、五角関係で、みんながとぐろを巻いたような状態。(笑)キャサディはだからビート仲間達のアイドルであり、インスピレーションの源泉、つまりミューズだったわけです。
(2/3へつづく)