サンフランシスコからゴールデンゲートブリッジを渡るとUSルート101は上り坂になる。その坂を登り切ったところにトンネルがある。その入り口はレインボー・カラーに塗装されている。だからこのトンネルはレインボー・トンネルという愛称で呼ばれている。もちろんこのトンネルの正式名称は別にあるのだろうけれど、土地の人間は正式名称など気にしない。いや、レインボー・トンネルと言わないと、現地の人には通じないと思う。

レインボー・トンネルは「天国に一番近い場所」へのポータルだ。ゴールデンゲートブリッジの北から、ワイン・カントリーのソノマまでの一帯は、マリン郡と呼ばれ、米国屈指の裕福な地域だ。この美しい土地を、地元の人々は「天国に一番近い場所」と呼ぶ。いかにもカリフォルニアらしい、驕った言い方だ。

レインボー・トンネルを抜けると、今度はかなりきつい下り坂になる。カーブが多いので、うっかりするとコンクリートの中央分離帯にクルマをぶつけそうになる。気の抜けない、運転しにくい場所だ。しかしここに差し掛かると、ついつい眼前に広がる、息を呑むようなパノラマに見とれてしまう。この景色を一目見れば、なぜこの土地が「天国に一番近い場所」と呼ばれるのか、納得してしまう。

USルート101の右手はサウサリートの町だ。山麓にはコテージ風の家々が点在している。眼下にはリチャードソン湾が広がっている。リチャードソン湾はサンフランシスコ湾の入り江のひとつだ。ゴールデンゲートブリッジの辺りは海流もきつく、航行する際の難所だと言われている。これと対照的にリチャードソン湾の奥の方は常に穏やかだ。ヨットハーバーには白いマストが林立している。リチャードソン湾の対岸はティブロン半島だ。この二つの陸地に挟まれた狭い水道に、大きなフロートを二つ履いたデハビランド・ビーバー水上機が、白い航跡をひきながら着水しているところに出くわすことも多い。遊覧飛行ツアーの事務所が、ここにあるからだ。ボヘミアン的な、変な格好をしたハウスボートが、身を寄せ合うようにして係留されているのも見える。ハウスボートとは、文字通り、家のかたちをしたボートである。実際のところ、その多くは平たいバージの上に小屋を建てたものに過ぎない。つまり「ボート」と言うより「ハウス」に近いわけだ。

ここがハウスボートの名所になった経緯を説明しよう。1941年に真珠湾が攻撃された後、米国政府は急いで海軍力を立て直す必要に迫られた。そこでサンフランシスコ市内に本社を置くエンジニアリング会社、ベクテルに軍事物資補給用の貨物船を大量発注した。ベクテルはサウサリートに急ごしらえの造船所を作り、リバティシップと呼ばれる、標準化された貨物船をどんどん建造した。ルーズベルト大統領は実用一点張りの醜悪なデザインのリバティシップを見て、「醜いアヒルの子」というあだ名をつけた。戦争が終わると、リバティシップは要らなくなり、造船所も閉鎖になった。


ジャック・ケルアックの『路上(オン・ザ・ロード)』の主人公、サル・パラダイスがこの場所に到着したのは、まさしくその頃である。造船所の跡地には造船所で使われていたバージや鋼材が放置されるままになった。サル・パラダイスはこの造船所の夜警の仕事にありつく。

除隊になった軍人たちが造船所跡に転がっていた廃材を利用してハウスボートを作り、水辺に住み始めた。その後、ハウスボートの住人は、だんだんビート・ジェネレーションの芸術家たちに入れ替わって行った。特に1967年の「サマー・オブ・ラブ」の時には、アメリカ中からサンフランシスコに若者達が流れ込んできた。深刻な住宅不足が起きた。水上のコミュニティは、ヒッピーたちの好みにピッタリだった。ハウスボートがミュージシャンや詩人たちに占領されてしまったのには、そういう事情がある。

昔、それらのハウスボートの多くは、でたらめな建て方をされていた。だからハウスボートのコミュニティはスラムのような様相を呈していた。衛生的でないハウスボートも多かったし、火事が発生すると次々に延焼する危険もあった。そこでマリン郡の役場が規制に乗り出した。今ではしっかりした遊歩桟橋が築かれ、その両側に整然とハウスボートが係留されるようになっている。ここを散歩する際の危険と言えば、奇抜な形をしたハウスボートに見とれているうちに、桟橋にたむろしている飼い犬のウンコを踏んづけてしまう事くらいだ。

さて、このハウスボートのコミュニティの中にはタグボート、ミレーヌ号も含まれている。ミレーヌ号は『全地球カタログ』の編集長を務めたスチュアート・ブランドの住まいだ。言うまでも無くスティーブ・ジョブズは『全地球カタログ』の大ファンだった。ジョブズ自身の言葉を借りれば「我々の世代のバイブル的存在」というわけだ。スチュアート・ブランドはヒッピー・ムーブメントの起点となった「陽気ないたずら者たち」と交流があり、LSDを試すイベントであるアシッド・テストの卒業生でもある。

ところでスティーブ・ジョブズにまつわる伝説のひとつに、彼がアップル創業後もパロアルトの町を裸足で歩きまわっていたことがある。断っておくが、裸足はカリフォルニアの習慣ではない。それはヒッピーの習慣だ。それからジョブズを研究しようとする者は、彼が中退したオレゴンのリード・カレッジをもっと知るべきだろう。

ジョブズはリード・カレッジの学生時代、後にアイヴァンホー・マインズの創業者となるロバート・フリードランドと邂逅している。フリードランドは「最後の山師」というあだ名が付けられた人物であり、金鉱脈を探して世界の辺境の地を歩き回った変わり者だ。モンゴルのオユ・トルゴイ鉱山は、そんなフリードランドのかっ飛ばしたホームランである。

新入生のジョブズがお金に困り、IBMのタイプライターを上級生のフリードランドに買い上げてもらおうと彼の部屋に行くと、間の悪い事にフリードランドと彼のガールフレンドが丸裸でセックスの最中だった。ジョブズは謝ってその場を去ろうとしたが、フリードランドは少しも動じず「終わるまで、ちょっと待っていろ」とジョブズを待たせ、事を済ませてから鷹揚にジョブズのタイプライターを買ってやった。このようなフリードランドの奔放さにジョブズは心酔し、二人はそれ以来、親交を温めた。フリードランドは裕福な親戚の伯父からオレゴンの二百二十エーカーのリンゴ園を自由に使って良いと言われ、そこでヒッピー的な暮らしをする。ジョブズはこのリンゴ園を訪れたときの体験から、自分の会社をアップルと名付けた。これらのエピソードからもジョブズがヒッピー文化のエートスに強い影響を受けていたことがわかる。

黒人シンガーソングライター、オーティス・レディングが1967年に開催されたモンタレー・ポップ・フェスティバルに出演した後、サウサリートのハウスボートの集落に滞在していた友人、アール・スピード・シムズのところへ遊びに来た。レディングはここで骨休みしているときに「ドック・オブ・ベイ」を作曲している。そのときレディングが使ったアンティークのテーブルは、今、スチュアート・ブランドが所有している。「ドック・オブ・ベイ」は落ち込んだ気持ちの時に書かれた内省的な唄で、レディングの所属するソウルフルなレコード・レーベル、スタックスの路線とはかなり違っていた。このためスタックスのディレクターでセッション・ギタリストでもあったスティーブ・クロッパーからも、妻からも反対された。レディングは自分の主張を押し通し、結局、この曲は彼にとって唯一のビルボード第1位を取った大ヒットになった。残念なことにレディング本人はこのシングルのリリース直前に航空機墜落事故で死んでいる。つまりこの作品が彼の遺作になったわけだ。以来、この曲はサウサリートの町の事実上のサウンドトラックになっている。

サウサリートの対岸の島、ベルベディアはゴールデンゲートブリッジやサンフランシスコを一望できる位置にあることから西海岸で最も不動産価格が高い場所になっている。その一等地に大きな豪邸を構えているのが、他でもないフリードランドだ。

話をUSルート101に戻そう。ハイウェイの左手にはタマルパイス山が見える。タマルパイス山はマウンテンバイクが生まれたところだ。1960年代にここに住んでいたロック歌手、ジャニス・ジョプリンやグレートフル・デッドらに混じって、ラークスパー・キャニオン・ギャングと呼ばれるアウトドア志向のヒッピーたちが居た。彼らはラークスパーのセコイアの森に住んでいた。

ラークスパーの町を縦貫するマグノリア・アベニューを少しサンフランシスコの方へ戻ると、ザ・ターバン・アット・ラーク・クリークというビクトリア様式の屋敷を改造したレストランがある。その前はT字路になっている。そこがマドロン・アベニューだ。マドロン・アベニューに入ると道路の左右に巨大な木々が立っており、まるで障害物コースのような様相を呈している。対向車があるときは無理をせず木と木の間の広いスペースにクルマを寄せて相手が通り過ぎるのを待つのがエチケットだ。マドロン・アベニューの左側は、高い木々のせいで昼間でも太陽の射さない公園になっている。ここは地元の人々からダーク・パークと呼ばれている。その公園沿いにマドロン・アベニューをずっと行くと、道路が終わっている処に来る。その昔、この場所でアウトドア派のヒッピー達がよくパーティーをした。そこを流れている小川にそって、さらに奥へ行くと、タマルパイス山の防火専用道路に出る。

ある日、仲間の誰かが、自転車をこの防火専用道路まで担いで行き、山頂から舗装されてない石ころだらけの道を下った。それがマウンテンバイクの始まりである。防火専用道路という概念は、日本人にはピンと来ないかもしれない。この地域では六月から十月までの夏の間は、一日も雨の日が無い。だから山の草も乾燥してキツネ色に枯れてしまう。いつ山火事が起こってもおかしくない危険な状態だ。防火専用道路は、山火事が起きた時、消防車が現場に急行するために作られた専用道路なのだ。だから一般の車両は入れない。そもそも普段は使われることのない道だからこそ、自転車で急降下してもクルマにぶつかる心配は無いというわけだ。