全ての輝けるもの
全ての輝けるもの


ヘッジファンドのアナリストである私は、ある顧客に頼まれてボルネオ島のジャングルに潜入する。元グルカ兵の護衛付きだ。そこで思いがけないものを見てしまう。ソブリン・ウエルス・ファンド、大企業、大統領の一族を巻き込んだ死闘がはじまる。


『全ての輝けるもの』は、いわゆる「株もの」です。だから、運用関係の仕事に就いている人、証券会社にお勤めの方、投資に興味を持っている方に読んで欲しいと思います。

この本で扱われているテーマは、エクイティー・リサーチとは何か? そして、一体、何処までとことん真実を追いかけるのか? という問題です。

よく証券会社にアレンジさせて国内外の企業訪問をしたり世界の主要都市で開催されるカンファレンスに出席することをボトムアップ・リサーチ(足を使った企業調査)だと勘違いしている人が居ますが、それらはリサーチでも何でもありません。

それは単にウラで作意の働いている、企業や証券会社が用意した、インフォマーシャルを受動的に聞いている行為に過ぎないのです。テレビの前でポップコーン片手に延々とコマーシャルを見ているカウチポテトと、なんら変わらないのです。

本書には、最近、アメリカのヘッジファンド業界で大流行し、問題化しているエキスパート・ネットワーク(その道の専門家、リタイアした業界内部者を利用した情報収集)も出てきます。


僕の考えではキンドルというデバイスは軽いエンターテイメントのような読み物に最も適していると思います。だから本書も通勤や通学の電車の中で読まれることを想定しています。

その意味で本作はあくまでもエンターテイメントです。ただ、実際に起こった、有名な事件をベースにしていることは、確かです。もちろん、場所、登場人物、企業名の多くは、わざと変えてあります。でも大筋としてその事件の経緯や結末については、史実に忠実になるよう心掛けました。

参考情報
【現在も存在する場所】
イン・オン・ザ・パーク(現在はフォーシーズンズ・ホテルという名前に変わっています)
ドーチェスター・ホテル
リッツ・カールトン(モントリオール)
ファッション・アイランド(ニューポート・ビーチ=ショッピング・モール)
バルボア・フェリー(ニューポート・ビーチ)
エンパイア・ホテル&カントリー・クラブ(ブルネイ)

下は中身のサンプルです。

ロンドンらしくない暑い日だった。日曜日の午前十時半を少し回ったところで、定宿にしているイン・オン・ザ・パークの玄関に出てみると、車寄せの横にトレースタンドが出されていた。その上には、まるく巻かれた純白のタオルが、ピラミッドのように整然と積み上げられている。一ダースほどのウォーターボトルが、その横に並んでいた。良く冷えたウォーターボトルの表面には、しずくが滴っていた。
ちょうどそこへハイドパークのジョギングから、若いカップルが帰ってきた。二人とも汗をかいている。白地にゴールドの縁取りのある上着を着たドアマンが、二人にタオルとウォーターボトルを手渡した。
ドアマンは、私に気が付くと、肩をすくめながら「こんな素敵な日に、お仕事ですか?」と声を掛けてきた。それって、ほめているつもり? 私は直線的な裁断で、ウエスト回りがきゅっとした、ネイビーブルーのサマー・ジャケットに、黒いチューブトップ、黒いレギンス、中くらいのヒールのパンプスという服装だ。
「誰かが仕事しなくちゃ、いけないでしょう?」大げさに口を尖がらせて、機嫌を損ねたふりをした。
「約二名ということになります、あなたと私で。お車は、手配しますか?」
「要らない、すぐそこだから」
読者は、私の口のききかたを見て(なんて可愛くない女なんだ)と思うかもしれない。それは、当っている。可愛くないのだ、私は。いや、可愛い、可愛くないという議論自体、虫唾が走るし、第一、そんなくだらない事を気にかけているような時間は、私には無い。私の棲息するヘッジファンドの世界では、結果だけが問われる。結果が出せないのなら、どんなに皆勤賞でも、遅くまで会社に残ろうが、上司にゴマをすろうが、色香で惑わそうが、駄目なものは駄目である。もちろん、カワイイなんてのは、問題外のそとだ。
「良い日を」ドアマンがそう言った。
「あなたも」
ハイドパーク沿いにパークレーンを数ブロック歩き、まるで豪華客船のデッキのように飾り立てられたドーチェスター・ホテルの前に来た。ケバいんだよなぁ、このリニューアル。新しいオーナーがこの格式高いホテルに施したお化粧直しは、成金趣味のキンキラキン……わたしの趣味じゃないな。でも……クライアントの悪口は言わないのが金融界の掟。ま、しばらくすれば、このド派手な装飾にも慣れるだろう。そこへゆくと私の泊っているイン・オン・ザ・パークはいい。全てにおいて控え目かつ地味。癒されるっていうのかなぁ。やっぱりホテルは、こうでなくっちゃ。
そんな事を考えながらメイフェアの高級住宅街の方へ折れ、ティルニー街に入った。その成金趣味のクライアントを、訪問するためである。
しばらく歩いて、何の表札も出ていない、明るい木目の重厚なドアの前で立ち止まった。ドアの付近に、呼鈴は見当たらない。一見さんはお断りという、無言の意思表示である。
「ニューポート・パートナーズの一之瀬奈津子です」
どこかにあるはずの、隠しカメラとマイクロフォンに向けて、そう名乗った。すかさず頭上から「お待ち申しあげていました」と涼しい女性の声で返事が降ってきた。ドアが内側に向けてすっと開く。その陰から、白い詰襟の制服を着て、回教風の帽子をかぶった男が軽く会釈した。スパイ映画のように勿体ぶったこのやりとりに、ふと可笑しさがこみ上げてきた。
「トレーディング・ルームは、五階です」男はそう言いながらエレベーターのボタンを押した。ピカピカに磨き上げられた真鍮の扉に映った自分の姿を点検する暇も無く、エレベーターが開いた。三人も乗れば満員になるほど小さなエレベーターの中に入り、五階のボタンを押した。エレベーターはゆっくりと昇って行く。
ドアが開くと、そこに見慣れたマレー系の女性の姿があった。紫色の長袖のワンピースは伸縮性のあるジャージーで、襟元が合わせたようにV字型になっている。ウエストを中心として、さりげないプリーツが、池に小石を投げ込んだときの波紋のように広がっている。彼女の豊かな黒髪は純白のシルクのスカーフで上品に隠されていた。
「シリン! お久しぶりね」
私は無意識に抱擁しかけて、自分を制した。彼らの国の習慣では、抱擁も、握手もしないからだ。
「ナツコ、わざわざ来てくれて、ありがとう」
そのとき部屋の奥の方から「ハロー、ナツコ!」とトレーディング・ルームの若い男性陣が声をかけてきた。どれも人なつっこい笑顔である。回教国では金曜日が休日なので、日曜日は出勤日だ。だから欧米のマーケットが閉まっているにも関わらず、トレーディング・ルームには十人ほどの若者が詰めていた。私は彼らに小さく手を振って挨拶をした。
「私の新しい部屋を、見せるわ」シリンはそう言うと、待ち切れなさそうに私の先に立って、トレーディング・ルームの一番奥にある、小さい部屋に歩いて行った。
私が部屋に入ると、シリンは後ろ手にドアを閉めて、大きなデスクの前の来客用の椅子を私に勧めた。それに腰を降ろした。
「ご昇進、おめでとう」
「ありがとう」シリンはそう言いながらその机の反対側に回り込み、黒い革製の椅子にふわりと腰掛けた。
「未だ慣れようとしているところよ」シリンは重厚な椅子の肘かけを平手で嬉しそうにさすりながら、そう言った。
私は部屋を見回した。壁に掛けられた銅版画はベガワン国立美術館に展示されている一連の銅版画と同じものだ。ベガワンはボルネオ島の小国である。帆船で到着した英国人と、現地人との、波打ち際での邂逅を、モチーフにしたものだ。窓際には牡牛のブロンズ像が置かれていた。ニューヨーク証券取引所の裏手に鎮座しているレイジングブルのレプリカだ。窓の外には隣のタウンハウスの屋上にしつらえられた温室と、白いパラソルが見える。
「このお部屋、あなたに合わせて模様替えする必要があるわね」
「でしょう?」
彼女は先月、ベガワンの大蔵大臣から直々に同国のソブリン・ウエルス・ファンドのチーフ・ポートフォリオ・マネージャーの辞令を受け取ったばかりだった。女性としては、異例の抜擢である。繊細で内気なシリンと、前任者が残したオッサン臭いこの部屋のインテリアは、全然マッチしていなかった。
「先ずそのレイジングブル、処分すべきよ」
「そう思う?」
「この銅版画も、テーマが重すぎるのよね。息が詰まる」
「やっぱり……」シリンは従順そうに私に相槌をうっているが、これでなかなか頑固なところもある。そうじゃなきゃ今のポジションには、居ない。
ベガワンの沖合には巨大な天然ガス田があり、ロイヤルダッチ・シェルがそのガス田の生産・運営を担当してきた。そこで生産される天然ガスは日本をはじめアジア諸国へ輸出され、その輸出代金はベガワン投資庁のソブリン・ウエルス・ファンドに振り込まれる。ベガワン投資庁の運用資産総額は極秘中の極秘だが、少なくとも五百億ドルは下らないと言われている。私がいま訪問しているベガワン投資庁ロンドン・オフィスが、その運用拠点であり、その采配は、このシリンの華奢な双肩にかかっているというわけだ。ロンドンのドーチェスター・ホテル、ロスアンゼルスのベルエア・ホテルとビバリーヒルズ・ホテルもベガワン投資庁の投資先だ。
二年ほど前から、ベガワン投資庁はその運用資産のうち三億ドルを、ロスアンゼルスのニューポート・パートナーズに預けている。ニューポート・パートナーズは私の勤め先だ。シリンと私の出会いは、私がベガワン投資庁に飛び込み営業をかけたときに遡る。それ以来、彼女とは意気投合して、今では単なるクライアント以上の付き合いになっている。今回の私の訪問の目的は、シリンの昇進祝いの挨拶と、ファンドの運用状況の報告だった。
「行ったんですって、アブバカールのお父様の水上集落へ?」シリンがそう聞いてきた。
アブバカールはシリンの上司で、ベガワンの大蔵大臣だ。ベガワンの大蔵省の入っている書記局ビルから数ブロック歩くと、桟橋がある。そこからスピードボートに乗れば、対岸のウォータービレッジまでは五分とかからない。
「ええ、お邪魔したわ。アブバカールのお父様に歓待して頂きました。水上の警察署や、アブバカールの通った小学校にも行ってきたわ」
「それは私の小学校でもあります」
「え、そうなの? それは知らなかった。シリンはてっきりイギリスの学校に通っていたのだと思っていたわ」
「大学からよ、こちらへ来たのは」
シリンの出身大学はロンドンのインペリアル・カレッジである。ベガワンは小国で人口が少ないため、優秀な学生は早くから政府が目をつけ、積極的に国費で海外に留学させる。そして帰国後、官庁などの要職に就くわけだ。
一方、私の出身校はコロラド・マイニング・スクールである。お互いに理系ということで、二人の間には特別の連帯意識がある。年齢的にもお互いに二十代後半なので、話が合う。もちろん二人とも独身だった。
「ところでナツコ、ブサン・ゴールドって会社、知ってる?」
「カナダのアルバータ証券取引所に上場されている金鉱株……ボルネオ島のジャングルで最近、金鉱脈を発見した……鉱山コンサルタントのレポートが出るたびに、推定埋蔵量が上方修正されている……まあ、そんなところかしら」
「そうなの。アブバカールから調べるようにと言われたの」
「来月、モントリオールで金鉱株のカンファレンスがある。私も出席する予定だけれど、ブサン・ゴールドのデビッド・ウィルキンスCEOもそこでスピーチするわ。その時、ブサン金山の現地視察を申し入れようと思っていたところよ」
「さすがはナツコ、もう目をつけていたわけね。ベガワンにとって、今回の発見が他人事じゃないのは、わかるわよね?」
「ブサン・ゴールドが主張しているように世界最大の金山であるイリアンジャヤのグラスバーグからボルネオ島まで、ずっと同じ地層が続いているのだとすれば、ブサンから金が出ても、不思議はないわ。そしてその線をさらに延長すると……ベガワンに辿りつく」
「そういう事なの。我が国の採掘関連法は、主に天然ガスを想定している。だから若し我が国にも金が出るのなら、すぐ見直す必要があるわ」
「現地視察に行ったら、詳細な報告書を送ります」