Market Hackの読者の方から「金融市場がこんなに荒れているのに、何故日本のマスコミはキプロスの預金封鎖をちゃんと報道しなかったのでしょうか?」というご質問を受けました。

日本のマスコミが(軽率な報道は、しないほうがいいかも…)と暗黙の自粛モードに入ったのには、それなりの理由があります。

なぜなら日本は第二次世界大戦後、世界で預金封鎖を実行し、成功した、唯一の国だからです。

預金封鎖の実体験がある唯一の国民である日本人は、その忌まわしい思い出を封印し、呼び起こさないようにしているのです。

預金を封鎖し、預金に対して税金をかけることを経済学ではcapital levy(預金税)と言います。なお銀行取引が一般的でなかった昔については、不動産や家畜などの資産への課税を指します。その場合の訳語は資産税の方がしっくりくるでしょうが、仕組み上は同じことを指しています。預金税は、実際には、自分の銀行預金残高の一部が、ある日、こつ然と消滅することを指します。

今回のキプロスの例では10万ユーロを超える部分については9.9%、それ以下の小口預金については6.75%が消えるというわけです。(この比率については、現在、変更が討議されています)

UCバークレーのバリー・アイケングリーン(*)によると、預金税(ないしは資産税)の最も古い例は古代ギリシャです。

古代ギリシャではときどき1%から4%程度の預金税が徴収されました。古代ギリシャ人は自分の資産を実際より多く見せようという見栄から預金税を喜んで払ったため、預金税の成果は大きかったと言われます。

それ以降は、或る国家が軍事支出の負担に苦しんだ場合、預金税という最後の手段に訴えるケースが多かったそうです。

1714年には英国でアーチボルト・ハッチソン議員が全ての私有財産に対して10%の財産税を課すことを提案しました。

ナポレオン戦争の時はリカルドが財産税を提唱しました。

1870年の普仏戦争のときはフランスの公債の償還時に1%のディスカウントを実施することが検討されました。

また1890年代にドイツは英国との建艦競争に際して預金税が検討されています。

しかし実際にはこれらの預金税は実現しませんでした。第一次大戦後になって、初めて預金税が実際に実行されはじめるのです。


1920年にイタリアが実施した預金税がその例です。イタリアは第一次世界大戦で疲弊しますが、戦後登場した社会主義政権はばらまき政策で国家財政を不健全にしました。食料品などに対する補助金を維持するために「私有財産に対する一回限りの課税」の検討に入ります。

そこでは裕福層に金利1%の60年債(!)を財産に応じて強制的に買わせることが計画されました。割り当て額は私有財産の大きさに応じて累進し、小金持ちは財産の3.33%、大富豪は財産の53.33%に相当する国債を、強制的に買わされたのです。

この預金税が発表されると「国債を買うために土地や家を手放さねばならず、不動産価格が暴落する」という声が上がりました。また銀行では取り付け騒ぎが懸念されました。このため「スキームが複雑すぎる」という反省から、シンプルな「財産に対する一回限りの税」に変更されたのです。課税額は財産に応じて4.5%から50%でしたが、支払いは20年の繰り延べ払いで良いということになり、実際の課税率は年率0.225~2.5%になりました。ただ、実際には何年にも渡って徴税されたため、「一回限り」という表現は正しくありません。

一方、第一次世界大戦後のチェコスロバキアでも預金税が実施されました。私有財産に対して3から30%が課せられ、企業の資産に対しても3から20%の課税がされました。チェコスロバキア政府はこれらの課税に概ね成功しましたが、その理由は同国内に住むドイツ人は人種的マイノリティー・グループとなっており、課税に抵抗する政治力に欠けていたからだとアイケングリーンは解説します。また第一次世界大戦後はチェコスロバキアは他国の金融市場と隔絶されており、おカネを国外に持ち出すことが出来ませんでした。これもがっちり課税できたもう一つの理由だとされています。

これとは対照的にオーストリアでは預金税は成功しませんでした。1919年に当時財務大臣だったジョセフ・シュンペーターは預金税を提案しますが、誰に最も負担を強いるか?という議論が紛糾し、実現しませんでした。また課税を予期した裕福層の資本が、国外へ資本逃避を起こした事も、預金税を困難にしただけでなく、ハイパー・インフレを誘発する結果となりました。

ハンガリー、ドイツ、フランス、英国でも第一次大戦後、預金税の議論がありましたが、いずれも頓挫しています。

そのような数多い失敗例の中で、第二次世界大戦後に日本が行った預金封鎖は唯一、大きな成果を挙げました。

預金封鎖と実質的な預金税の徴収の第一の目的は太平洋戦争の遂行のために積み上がった日本政府の負債を帳消しにすることでした。

アイケングリーンによると日本政府の負債は1941年3月の310億円から1946年3月には2,020億円にも膨張しました。

預金封鎖による預金税の第二の目的は戦後の復興計画を遂行するための予算の捻出でした。戦後の経済の疲弊で税収が通常の半分以下に落ち込んでいたため、どうしても財産を没収する必要があったのです。

三番目の理由は所得格差の是正です。具体的には戦争の遂行の過程で富を蓄積した財閥に対して、「戦争は商売のネタではない」ということを思い知らせるため(=連合国総司令部メモより)預金税を課したわけです。

アイケングリーンは上記の三つの理由のうち、最後の理由が最も重要だとしています。

預金封鎖の段取りですが、1946年3月3日の時点で、10万円以上の資産を持っている世帯に10%、そこから累進的に最高で1,500万円以上の資産を持つ世帯には90%の税金が課せられました。

当時の日本の私有財産の約9%を没収するというこの預金封鎖の試みは、当初の概算額とほぼ同等の成果を挙げ、世界でも稀に見る成功例となりました。

アイケングリーンは日本の預金封鎖が成功した理由として:

1.戦後の特殊な時期に敢行されたこと
2.上位2~3%の裕福層が、実際にはターゲットにされたこと
3.大部分の庶民には、関係ない出来事だったこと
4.連合軍総司令部の指揮下にあったこと


などを挙げています。

このうち最後の点はとりわけ重要であり、アイケングリーンは「ノーマルな民主主義の状況下では裕福層が影響力を行使することで実現しなかっただろう」としています。

実際、預金封鎖の指示はエスキャップ(SCAP=Supreme Commander for the Allied Powers→つまりマッカーサー元帥のこと)から日本の内閣に発せられており、日本政府がかりにそれを拒否した場合でも、SCAPはどんなことがあっても富の偏在を粉砕する決意をもっていたとしています。



【参考にした文献】(*)The Capital Levy in Theory and Practice, Barry Eichengreen, University of California, Berkeley – Department of Economics; National Bureau of Economic Research(NBER); Center for Economic Policy Research (CEPR)