1979年から三期に渡って英国の首相を務めたマーガレット・サッチャーが死去しました。サッチャーほどイギリスの政治、経済を根本から変えた政治家はいません。

彼女が登場する以前の英国は組合に守られた労働者が昼間から紅茶を飲みながらお喋りして一日が終わる…そんな就業態度が当り前の、弛緩し、プライドのかけらも残っていない国に成り下がっていました。いわゆる、英国病です。

しかしサッチャーは若い頃にハイエクの『隷属への道』を読み、「経済的、政治的な自由を得ようと思えば、まず一人ひとりが独立し、自助の精神を持たなければいけない」という信念を持ちます。

ストライキが蔓延する英国で、炭鉱労働者組合と大バトルを演じ、組合に勝利します。これ以降、「怠け者は置いて行かれる」という態度にイギリス全体がだんだん変わってゆきます。

またビッグバンを通じクラブ的だったロンドンの金融街、シティを改革し、規制緩和を行います。そして欧州全体の金融センターの地位を巡ってフランクフルトやチューリッヒと競争し、それに勝ちます。つまり金融サービス立国としての基礎が、この時期に確立したのです。

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サッチャーが君臨した80年代が、英国の黄金時代だったことは上のグラフを見てもわかります。

イギリスは金融立国への移行が成功したので、1990年以降の経済成長率も日本(1.14%)やドイツ(1.53%)より高かったです。
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また米国のレーガン大統領と同じ価値観を持ち、ソ連に対して圧力をかけました。それは「ベルリンの壁」崩壊へとつながるわけです。

サッチャーは大きな政府、コミッティーによって物事が決められる政体には警戒心を持っており、欧州連合(EU)に対しても距離を置いていました。

イギリスのポンドがユーロに取って代わられなかった直接の理由は「イングランド銀行を破産させた男」ジョージ・ソロスらのポンド売りでポンドがERM(欧州為替相場メカニズム)で定められたレンジを維持できなくなり、ERMを脱退したことによります。

しかしサッチャーの「欧州大陸には屈しない」という考え方がイギリス国民の欧州観に大きく影響を与えたことは間違いありません。

サッチャーは常にリーダーとしての威厳を持ち、敵からは畏怖されました。敵の数が多かったのも、彼女の特徴です。しかし自分が正しいと思ったことをやり通すという点においては、歴代の世界のどの国の政治家も、彼女の足下にも及ばないと思います。

「殿方達がUターンしたければ、お好きにどうぞ。でもレディは後戻りしません」(マーガレット・サッチャー)