ザ・バトル・オブ・eバンカーズ

『ザ・バトル・オブ・eバンカーズ』by広瀬隆雄
シリコンバレーのインベストメント・バンカーは、おバカでセクシー。ドットコム・ブームを駆け抜けた、サンフランシスコの投資銀行の仁義なき戦い


ドットコム・バブルの記憶は、風化しつつあります。

バブルが弾けて、はや十余年。

「あれは、一体、何だったんだろう?」ということを、そろそろ振り返ってみるべきだと思ったのが、本書を書いた理由です。

まず強調しておきますが、これはフィクションです。

ただここに収録したエピソードに似た事は、実際に起きたことばかりです。いろいろ恥ずかしい思いをする人もいるので、人名やシチュエーションは、当り障りが無いように変更しておきました。

若い読者の方々は、リアルタイムでドットコム・バブルを体験していないと思うので、本書を読めば、思いっきり駆け足で、ドットコム・バブルのハイライト部分を追体験できるように編集しました。

第一章から第三章までをティーザーとして掲載しておきます。(なおキンドルは縦書きです)

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第一章

北カリフォルニア、ハイウェー101、早朝の三時半。
インスー・パクの運転するポルシェ911が、寝静まったミルバレーの町にさしかかったところで、オンランプから見慣れた深緑色のジャガーXK8コンバーチブルが、目の前に飛び出してきた。
インスーは「ちぇっ」と舌打ちし、横滑りするようにカープール・レーンに入り、思い切りアクセルを踏んだ。
リチャードソン湾にかかる橋を渡ったところで、チラッとバックミラーを見る。
ジャガーXK8は、猛然と追いかけてきている。
全く、エドの親爺ときたら、いい年こいて負けず嫌いだから、困る。
エド・ゴードンは同じ会社の同僚だ。おっと、同僚という言葉は失礼だな。なにせ相手はサンフランシスコのハイテク・バンキング界に君臨する投資銀行、ティムケン&ケイスのトップ営業マンなのだから。
去年の親爺さんの報酬は、風の噂では十億円を超えたらしい。その給与の一部が、親爺さんの新しい玩具、つまりジャガーXK8に化けたというわけだ。
カリフォルニアには「クルマはそれに乗る人の人格を表す」という格言がある。という事はだぞ……クルマを買い替えると人格も変わるのかな……なんて朝から哲学的なコトを考えていたら、そのジャガーXK8が右側の車線からスーッと追い抜いて行きやがった。
上等だ。うけて立とうじゃないの、このバトル!
二台のクルマはサウサリートの尾根に登る坂道を、もつれ合うようにしながら駆け上がって行った。
途端に、この辺り特有の、濃い霧が周囲を包んだ。
視界は……ほんの数十メートルだ。
ポルシェ911とジャガーXK8は横一線に並んだままレインボー・トンネルに飛び込み、エンジンの音をトンネルいっぱいに轟かせながら、反対側に出た。そこはゴールデンゲート橋に向けて急な下り坂になっているところである。
ここでインスーとエドは、まるで示し合わせたかのように、ぐっと速度を落とし、お行儀良く法定速度かっきりの45マイルで、霧に包まれたゴールデンゲート橋にさしかかった。
ゴールデンゲート橋には、中央分離帯というものは存在しない。その代わり、黄色のゴム製のピンが使われる。橋の車線数が少ないので、限られたレーンを最大限に活用するため、朝夕のラッシュアワーに合わせて、これらのピンの位置をずらす事で、上りと下りの車線数を変更するのだ。
早朝のこの時間、沢山のピンを積んだ作業車が、ゆっくりと走行しながら、片方の車線からピンを抜き、もう片方の車線にピンを挿してゆく。
その作業中にゴールデンゲート橋の上でレースの真似ごとをすると、ゴールデンゲート・パトロールから大目玉を喰う。徹底的にしぼられた上、二倍の罰金を科せられる。
実際、上りと下りの車線を仕切るのはゴム製のピンだけなので、時々、ゴールデンゲート橋からのゴージャスな眺めに見とれたドライバーが、ピンをなぎ倒し、対向車線にはみ出して、ひどい正面衝突事故を起こす。だから地元民は決してピンで仕切られた内側の車線を走らない。
レースがゴールデンゲート橋で暗黙の了解のうちに一時休戦になるのは、そういう事情からだ。
インスーはゴールデンゲート橋の中央辺りで、ぴったり横を走っているエドに、まるで戦闘機のパイロットが友軍機に挨拶するように、大きな、おどけたゼスチャで手を振った。
エドは視角の隅っこで、それを捉えたが、わざと無視して、白人特有の赤ら顔を、まっすぐ前方に向けていた。白髪が太平洋の冷たい潮風に揉みくちゃにされている。
赤茶色の吊り橋は、橙色の照明灯に照らされている。濃い霧が、まるでノワール映画のひとコマみたいな、芝居がかった、何とも薄気味悪いムードを演出していた。
ここは世界でも有数の自殺の名所で、二週間に一人の割合で橋から身を投げるヤツが出る。ひとたび身を投げると、生還率は2%しかない。
朝の三時は、人間が一番自暴自棄になり、追い詰められる時間だ。先月も、同僚のトレーダーが出勤途中にここで自殺の現場を目撃した。だからこの時間にここを通る時は、歩行者通路のある、アルカトラズ側は、なるべく見ないようにしている。
インスーとエドが料金所のところまで来ると、前にBMWが止まっていた。ライバル投資銀行、モンタレー・セキュリティーズのトレーダーのクルマだ。
ひとつ隣の料金ブースには、これまた別のライバル証券、ボルピ・コールマンのアナリストのボルボが止まっていた。
ティムケン&ケイス、モンタレー・セキュリティーズ、ボルピ・コールマンの三社は、いわゆる「サンフランシスコ投資銀行御三家」としてシリコンバレー・ファイナンスに君臨している。
早朝のこの時間にゴールデンゲート橋に高級欧州車の行列が出来るのは、今が彼らの出勤時間だからだ。ニューヨークと西海岸の時差は、三時間。ニューヨークの七時半に始まる朝会に間に合うためには四時までに会社に入る必要がある。
料金所を通過すると、レースが再開される。一群のクルマは再び速度を上げて、パレス・オブ・ファイン・アーツのロマネスク様式のロタンダのそばを団子になりながらロンバード街に下りてゆき、ヴァンネス街に入った。
ヴァンネス街がブロードウェイと交差するところで、BMWは左折して消えた。モンタレー・セキュリティーズはサンフランシスコの絵ハガキに登場するピラミッド・ビルに入居している。そこへ行くにはブロードウェイ・トンネルが近道だ。
次にカリフォルニア街でボルボが離脱した。ケーブルカーの通るこの大通りにはバンク・オブ・アメリカ・タワーがあり、そこにはボルピ・コールマンの本社が入居している。
再び二人きりになったポルシェ911とジャガーXK8は、ブッシュ街で左折し、ガラの悪い事で有名な、テンダーロイン地域に入った。ラーキン街の信号は、赤だ。
ホットパンツ姿の黒人の街娼が、信号待ちのインスーの車窓を覗き込みながら、声をかけた。
「おにいさん、遊ぼうよ」
安い香水の匂い。
「要らない」
「あら、ワーキングガールを、冷たく扱うものじゃないわよ」
「こっちだってワーキングボーイさ。アンタとは毎朝、こうやって顔を合わせている。わかんないの? オレはこれから仕事なんだ」
「お兄さん、証券会社でしょ?」
「それがどうした?」
「こんな時間に夜の町を徘徊している人間に、ろくな人種は居ないわ。ヤクの売人、強盗、レイプ犯、株屋……」
「それはどうも、ありがとう」案外、この売春婦はオレのビジネスの本質を、よく理解しているのかもしれない。そう思うと苦笑せずには居られなかった。
「どう? 超スピードで、イッパツ抜いてあげる」
「あ、信号が青だ。じゃあな!」
インスーはアクセルを吹かし、一足先に飛び出したエドのジャガーXK8を追った。その背後から「なんだい、このケチ野郎!」と街娼が言葉を浴びせた。
二台のクルマはブッシュ街一番地、つまりワン・ブッシュ・ビルまで来ると、相次いで地下駐車場に吸い込まれていった。
「今朝はオレ様の勝ちだ」
地下駐車場のエレベーターのところで、エドがインスーに勝ち誇ったように言った。
「ラーキン街でドナ・サマーに絡まれなければ、オレが勝っていたさ。アンタのお道具は、もう役立たずだから、街娼も寄り付かないってわけさ」

これが……毎朝、繰り返される、西海岸のインベストメント・バンカー達の出勤風景である。

笑いたければ笑え、子供じみた競争心を。

だが、この競争心こそがシリコンバレー・ファイナンスのエッセンスなのだ。



第二章

「カマラ、出来ているのか、レポート?」
その言葉にピクリと反応し、目を覚ましたカマラは、突っ伏していたデスクから顔を上げた。頬にA4の紙がべったり張り付いている。寝ている間に自分が垂らしたヨダレだ。
「あ、ハイ……」
顔から紙を剥がしながら、だるそうにそう答えた。
カマラ・パンディ。スタンフォードでコンピュータ・サイエンスを学んだ後、ウォートンでMBAを取り、ティムケン&ケイスに入社して二年目だ。北インド出身のヒンズー教徒で、父も母も地元では名の通った教育者だ。故郷の尺度からすれば、絵にかいたような「勝ち組」である。でも今の自分の境遇は、ボロ雑巾のように惨めだ。時計を見ると四時十五分だった。

いけない、未だ配布用のコピー、作って無かった!

カマラは跳び上がるようにして席を立った。ダーク・グレーのストレートのパンツはローライズで、水色のオックスフォード・シャツの後ろが、だらしなく出ていた。それに気が付く暇も無く、慌てて朝会で使うレポートをプリントアウトし、「社内限」のスタンプを表紙に押し、コピー機のところへ走った。三十部をコピーして、階下のテレビ会議室にそれを持って行った時には、もう朝会は始まっていた。
「徹夜しても、まだ時間に間に合わせられないとは、どうにも使えないヤツだな」
そう言ったのはカマラの上司のダグ・ラスクである。肩書はシニア・アナリストだ。
カマラは営業マンにレポートを渡して回った。
ティムケン&ケイスでは、残業する人間は愚鈍で無能だとみなされる。努力しましたというだけでは、誰も評価してくれない。会議室に勢ぞろいした営業マンたちの冷たい視線を感じながら、逃げるように自分のデスクに帰ったカマラは、自分はやっぱりアナリストに向いていないと思った。
これは今朝に限らず、毎日思うことである。

朝会が終わるとダグが会議室から帰って来た。
「まったく最近のMBAは使えないな。オレなんが昔、電話会社に勤めていた時は、雨の日も電柱に登って仕事したものだ。鍛えられ方が違う」そう言い残して、自分の個室に戻って行った。
ダグは、ふたこと目には「オレは昔、電柱に登っていた」というセリフを吐く。まるでそれがMBAかCFAみたいな、何かの資格であるかのように。
カマラはシニア・アナリストの個室の外にある、パーテーションで区切られたアシスタントの席で、うつむき加減に目をしばたたかせだ。
そのとき、電話が鳴った。
「ダグのオフィスです」
「エドだ。フェデレーテッド・ファンズのカイルが電話口に出ているんだが、ダグいるか?」
「ちょっと待って下さい」カマラはそう言って送話口を手のひらで遮り、開け放たれたドアから個室の中のダグに向かって「フェデレーテッド・ファンズのカイルですけど、話せます?」と訊いた。
ダグはカマラを無視し、直ぐにその電話を取った。
今度は別のラインが点滅した。
「ダグのオフィスです」
「インスーだ。ダグ、空いてる?」
「あいにく電話中です」
「どうした? 元気ないね」
「なんでもないわ」
「今朝ダグが推奨したSOA、代理店の聞き取り調査をしたのは、キミだろ?」SOAとはサンタクララにあるネットワーク機器の会社だ。
「ええ……」
「フォルツァ・ファンズのデニスが電話口に出ている。相手して!」
「わたしで……いいの?」
「もちろん!」そう言うが早いかインスーはデニスの電話をカマラにつないでしまった。
「デニス、こちらはアナリストのカマラだ。ダグの下で働いている。今日の推奨の根拠になった、代理店への聞き取り調査をやったのは彼女だよ」
「ハーイ! デニスだ」
「カマラです。よろしく」
「早速だが、SOAはどうだね?」
「当初の会社側の予想より、早いペースで代理店の在庫が捌けています。仮想プライベート・ネットワーク向けのアクセス機器の中では、SOAの製品が最も安く、設置もカンタンです。これひとつでルーターとセキュリティの両方の機能を持ち合わせている手軽さが、顧客にうけているのです。中小企業向け導入例がどんどん増えています」
「で、数字は……」
「今期は当初計画の四千万ドルではなく、五千万ドルほど売り上げることが出来そうです。但し、そのためには製造が追い付く必要があります。いずれにせよ、期初の売上が、期末より多くなるのは確実です」
「もう読めているということなんだね、数字が」
「はい、そうです。あと来月から新しく二つの大きな代理店がSOAを扱い始めます」
「わかった。どうもありがとう」
そう言って、デニスの電話は切れた。

第三章

その頃、ティムケン&ケイスのニューヨーク・オフィスでは、ちょっとした騒動が持ち上がっていた。
ニューヨーク支店はマンハッタンのど真ん中、パークアベニューの四十六番街にある。
ここはマンハッタンを南北に縦貫するパークアベニューが、グランドセントラル駅で分断される場所だ。
実際にはパークアベニューはここに鎮座しているボザール様式の重厚なビルの、どてっ腹を貫通し、反対側に伸びている。ウエディングケーキのように飾り立てられたこのビルこそが、有名なヘルムズレー・ビルディングである。
豪華な外観とはうらはらに、ヘルムズレー・ビルディングの内側は、かなりくたびれている。オフィスビルと言うより、老朽化した学生寮のイメージだ。
ティムケン&ケイスのニューヨーク・オフィスは、このビルの十八階と十九階に入居している。十九階はトレーディング・ルーム、十八階にはアナリストやバンカーの部屋、そしてサンフランシスコ本社と結ぶ、テレビ会議室がある。
1929年のニューヨーク株式市場の大暴落の年に竣工したこのビルは、天井が低いうえ、近代的な空調システムを備えていない。このため夏はトレーディング・ルームに持ち込まれた無数の端末が発する熱を、到底冷やす事が出来ない。そんな理由で、ティムケン&ケイスのトレーディング・ルームの、窓という窓は全て開放され、グランドセントラル駅周辺の喧騒が、地鳴りのようにトレーディング・ルームの中にこだましていた。
一方、階下のテレビ会議室にはピクチャーテルのビデオ会議システムが鎮座しており、今は朝会が終わった後、一部のセールスマンがトレーディング・ルームに戻る前に談笑していた。
「おいちょっと、あれを見ろ!」
その中の一人が、ビデオ会議システムのスクリーンを指さした。
どうやら、サンフランシスコ本社の側のビデオ会議カメラは、切り忘れているようで、階段教室状になったサンフランシスコのテレビ会議室が、未だ大型スクリーンに映し出されていた。
問題は……そこに偶然捉えられた、ある行為だ。
「誰だ、あれは」
「顔が見えない」
スクリーンの端に、男女がイチャイチャしている様子が映っている。
どうやら、この二人はカメラが未だONになっていることに気が付いていないようだ。
「あーっ、なんだよ、あの淫らな手!」
女の手が、男のズボンの上を、まさぐっている。
ニューヨーク・オフィスの連中は、あんぐり口を開けて、その光景に見入った。
女がキスしながら男のワイシャツのボタンを外しにかかった。
「誰だ、あの女」
「朝っぱらから、さかりのついたイヌだな」
「男のほうは……グレッグじゃないか?」
今度は男の方が女のブラウスを剥ぎ、肩が露わになった。
「たいへんだ!」
セールスマンの一人が、内線電話の受話器を取って、上の階に電話した。
「ちょっと凄いコトになっている。テレビ会議室に来てみろ!」
男の頭が、女の胸の辺りにうずまっている。
女は大きく背中をのけぞらして、天を仰いでいる。
女が男を会議室のテーブルに突き倒したので、二人の顔が見えた。
「ゲーッ! アナマリアだ!」
アナマリアは元トライアスロンの選手で、鍛え抜かれた肢体が自慢の営業マンだ。
「男の方はグレッグに間違いないな」
グレッグは五十歳を少し回った営業マンだ。元々、IBMでメインフレーム・コンピュータを設計していた、技術畑の人間である。その後、メインフレームのアナリストに転じ、更に「こっちの方が稼げる」という理由で、株の営業に転身したベテランだ。
「おい、まずいだろ、あんな処でコトに及んじゃぁ」
女がスカートの中に手を入れて、もぞもぞしたかと思うと、パンティーを抜き取って、投げ捨てた。
「わわわわわっ!」
女が男の上に馬乗りになった。サンダル型のハイヒールを履いた、女の筋肉質の足が、スクリーンに映っている。
「警報、警報、全員、テレビ会議室へ、緊急事態発生」
誰かがトレーディング・ルームでそう叫んだので、十九階と十八階の間をぶち抜いて作られた螺旋階段を皆が降りて来た。
十八階のテレビ会議室は、野次馬で押しくらまんじゅう状態である。
「誰かが、教えてやった方がいい」
「よせ、折角の濡れ場だ」
真面目で知られるリチャードが、ビデオ会議システムで相手に呼び出すシグナルを送った。
「NOOOOOOOO!」誰かが嘆願するような悲痛な声を上げた。
画面の中の男女は、ハッと気が付いて、カメラの方を見て凍りついた。
「やあ、失礼。そちらのビデオ会議システムのスイッチがONのままだったようだね」
二人は、慌ててお互いから離れた。
笑い声がどっと広がった。
女は「ファック! ファック!」と怒りに震えた声を上げながら、急いでブラを付けている。

ウォール街の常として、この手のゴシップが知れ渡るのはあっという間だ。ティムケン&ケイスで目撃された痴態は、ランチタイムまでには全てのウォール街関係者の知るところとなった。

ランチタイムと言えば、サンフランシスコ・オフィスは、午後二時を回ると、ガラガラになる。朝が早い分、社員の退社も早いのだ。場が引けると伝票をぶん投げて、マリン郡のピーコック・ゴルフ場に急ぐ者も居れば、サンフランシスコ湾にヨットを出すヤツも居る。残っているのは、下っ端だけだ。
逆に言えば、これからが若手社員のお楽しみの時間だとも言える。
彼らはボスが帰った後で、明日の資料作りをしながら、ゴシップを交換し合う。
別に、残業手当が出るわけではない。それじゃ、一体、何が彼らを突き動かしているのか?
それは、つまり「夢」である。
いつかは自分も、きっとシニア・バンカーになるぞ! あるいは自分の名前がリサーチ・レポートに刷り込まれるようになりたい! そういう思いを秘めて、若い社員たちは黙々と仕事をするわけだ。
その閑散とした調査部のフロアに、インスーが差し入れを持って遊びに来た。茶色い厚紙のカップホルダーにはアイス・モカが四つ入っている。インスーはそれをアシスタント達のデスクに配って歩き、最後のアイス・モカを、カマラのデスクの上に置いた。
「これ、私に?」
「そうだよ。今日は、世話になったからね。キミのおかげで、SOAの注文が来た」
「私じゃない、ダグよ」
「いや、キミだ」
「でもリサーチにはダグの名前が載っているわ」
「飲まないのかい、アイス・モカ?」
カマラは黙ってストローをアイス・モカに挿し、口をつけた。
「私、向いてないのかもしれない……アナリストの仕事」カマラはインスーから顔をそむけて、そう言った。
インスーは黙ってその言葉を噛みしめていた。
「奇跡が必要だわ、私には」
インスーはそれには答えず「ねえカマラ、キミはダグのフォローしている銘柄以外にも、ネットワーク業界全体の動きを見ているんだろう?」と尋ねた。
「そうよ」
「ティムケン&ケイスの調査している銘柄以外でも構わないから、何か面白い話を聞いたら、オレに電話呉れないか?」
「わかったわ」



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