Facebookで人とつながり過ぎてしまう……そんな疲れを訴える人が、最近、多いです。そこでなぜSNSは疲れるのかについて考えてみたいと思います。

米国の社会学者、アービング・ゴフマン(Erving Goffman)が1959年に『The Presentation of Self in Everyday Life(日常生活における自分の見せ方)』という本を出版しました。これは社会的な動物である人間が、どのようにして日常生活を過ごしているかに関する優れた考察です。

人は学校、会社、近所付き合いなど、他人と接しながら生きてゆくことを余儀なくされます。その際、人付き合いで、自分の心が傷つくことや恥ずかしい目に遭うことから自分を守るために、「よそいき」の態度や体裁を取ることは、サバイバルのための、ごく自然な方便です。

つまり人は無意識に、あたかも演劇のパフォーマンス(theatrical performance)をするように、自分の日常を演出(dramaturgy)するわけです。

その場の雰囲気や、一緒に居る人たちの属性によって、自分を演じ分けるのです。

その際、相手に関する情報を知ろうとします。具体的には:

社会・経済的ステータス(Socio-Economic Status)
自分というものに対する考え方(His conception of self)
相手に接する際の態度(His attitude toward them)
どのくらいデキル人間かの値踏み(competence)
信頼できるかどうか(trustworthiness)


などです。

これらの情報は、なぜ必要なのでしょうか? 

それは、その場の「空気」がどうなのかを読む(to define the situation)ために、そのようなインプットが必要だからです。


FacebookなどのSNSを利用する際も、基本、これと同じことが起きます。そこでは必然的に、欺き(deceit)フリをすること(feigning)が発生します。これは別に誠実さに欠ける、不正直な態度ではありません。ごく自然な条件反射のようなものです。

たとえば家に来客があるとき、皆さんは家の中を片付けませんか? 

来客前に家を掃除するのは、一種のイメージ・コントロールであり、知らず知らずのうちに、人間はそうするように出来ているのです。これがその人の不誠実や不正直とは、無関係であることは、言うまでもありません。

そとづら(Front)は、或る事実を強調する(accentuate)ことや都合の悪い事実を隠すことで美化、理想化されます。

そのような相手に与える印象の中には、コントロールしやすい印象とコントロールしにくい印象があります。

さらに、どのシチュエーションに自分が今、居るかによって、自分を演じわけることもおきます。一例として、小学校の参観日で、他の父兄に見せる自分と、友達同士で飲みに行ったときの振る舞いは、当然違うわけです。これをその場の区別(audience segregation)といいます。

さて、時には体面の保持が困難になる場合もあります。そうなると、ここに書いてきたような一切合財が、重荷になる、あるいは面倒くさいと感じる人が出て来るのは当然です。自分のそとづらの保持、つまりイメージ・コントロールに失敗したら、もうそのSNSには居られなくなるわけです。

一例として、高校生、大学生がSNS上に親が居ることを発見したら、ぶち壊しですよね?

このことからもわかるように、ひとつのSNS(=たとえばFacebook)が世界を支配すると考えるのは、初歩的な勘違いなのです。