たとえば太平洋で自分の乗った船が難破したとします。無我夢中でそこらへんに浮いている残骸にしがみついて回りを見回すと、どっちを向いても水ばかり……

2014年の今、ブログを書くという行為は、大海で遭難した生存者の境遇と、ある意味、似ています。

朝、通勤電車に乗ると、回りの人達は皆、うつむいています。どの顔もスマホの小さいスクリーンを、ひたすらのぞきこんでいる……

これはスモール・スクリーンの洪水です。

メディアに携わる人からすれば、これはabundance、つまり「読み手予備軍で溢れかえっている」と考えることができるのです。

しかし大海での漂流者にとって水、水、水……は呪うべき存在であるのと同様、スモール・スクリーンの氾濫も、かならずしも書き手にとって好都合の状況では無いかも知れないのです。

たしかに潜在的なターゲット市場が広がるという点では、プラスです。

しかしスマホを通じてSNSを閲覧し、ショート・メッセージをやりとりしているそれらの「潜在的読者」は、恐ろしくアテンションスパンの短い、distracted(=気が散っている)されたユーザーです。

電車の中、オフィス街を歩いて移動中の道すがら、家でテレビの前に座っているけど、実際にはスマホの画面を眺めている……これらの、今となっては極めて当り前のメディアの消費の生態は、情報の送り手が、以前とは違う問題を克服しなければいけないことを示唆していると思います。

ニュースは、ともだちがSNSでシェアしたリンク先を経由して、読み手にもたらされます。すると断片的で、整然としていないわけです。じっくり腰を落ち着けて読むわけではないので、書き手の意図が伝わらない場合もあるし、注意深くていねいに書かれていても、読み手が勝手に読み手なりの解釈や意見を付けて、それを転送する場合も日常的に見られます。


そういうabuse(失礼!)に打ち克って、自分の伝えたいことを相手に伝える……これは例えば暗く照明を落とした映画館の中で映画を見るとか、日曜日に縁側で日経新聞の日曜版を広げるとか、そういうimmersive(=没入できる)な環境を大前提としたコンテンツ作りとは、根本的に異なるわけです。

思うに、ちきりん、メイロマ、やまもといちろう、イケダハヤト、うさみのりや……などのウェブメディアの旗手は、皆、このような所与の条件を良く理解している人達なのではないでしょうか?

つまり消費環境に合わせて、コンテンツのスタイルも変わって行かなければいけない……。

これがMarket Hack編集長として、いま僕が考えているコトです。

未だ考えはよくまとまっていません。

ただ途中経過として僕が考えていることを思いつくままに挙げれば、先ず「ハイパーリンクの死」ということを感じます。

昔は、自分の書いた過去記事のリンクを、いくつも記事の中に列挙し、「これ、読んでおいてください」式に並べておけば、ある程度ページビュー(PV)が稼げた……。

でも今は大半の読者がスマホから記事を消費しているので、リンクを掲げても、それはウザいだけで、誰も見ない。

また(これは以前、僕が書いた事だから、当然、読者は知っているだろう)という思い込みも、厳禁。なぜならひとつひとつの記事はバラバラに、SNSでのシェアや、転載という経路を経て、脈略なく読者に届くからです。

共通の了解事項や、コンテクストの共有を予め予想してかかること自体が、書き手の甘えなのです。

面倒くさくても、毎回の記事で最低限のコンテクストを読者に提供し(contextualization)、背景を説明し、用語を解説すべきなのかもしれません。

また読者のリアクションを必ずSNSなどでチェックし、次の記事に結びつけたり、舌足らずだった部分を補足したり、今、何が読者の関心事で、どんなニュースが消費されているのかを知るということも必要です。つまりinteractionです。

さらに言えば、ニュースそのものを伝えることの相対的価値は低下し(=なぜなら生々しい情報はリアルタイムで、たとえばTwitterやRedditなどを通じてもたらされるから)むしろその意味づけや背景説明などの必要性がたかまるのではないかと思うのです。