いきなりニューヨークで面接しろと言われても、困ります

第一章

入国審査官はスタンプを押したパスポートを私に返しながら、にこやかに言った。
「アメリカ合衆国へようこそ」
ユナイテッド航空国際線到着ホールに出てみると、出迎えの人垣が出来ていた。
その前で、おやっ? と立ち止った。
運転手と思われる制服の男が持っている紙には、「Miss Yumi Horiba」と、確かに自分の名前が書いてある。
先方がホテルを手配してあるということは聞いていた。
しかしまさか運転手が迎えに来ているとは思ってもみなかった。
私は運転手の持っているカードを指さして言った。
「それ、私の名前よ」
運転手がたずねた。
「お嬢さんの行き先はエセックス・ハウスですか?」
「ええ。あなたショーンフィールド&サンズから差し向けられたの?」
運転手はその質問には答えず、首をエレベーターの方向に振って、ついてこいと合図した。
一瞬ためらった。
ついていく他、なさそうだ。
運転手は私のスーツケースを取り、到着ホールの隅にあるエレベーターの方に歩き始めた。
エレベーターの扉が開くと、運転手は「お先にどうぞ」というしぐさをした。
慌てて先に中に入った。
じれったいほどゆっくりした速度のエレベーターには、私と、この運転手だけしか乗っていなかった。
エレベーターの扉が開くと、そこは駐車場だった。
がらんとして人影が無かった。
(何だか薄気味悪いところね)
運転手は私のスーツケースを引いて、どんどん先を歩いて行く。
(ちょ、ちょっと待ってよ)
その方向に停まっているのは、リンカーン・タウンカーを改造した、黒塗りの胴長リムジンだけだ。
(ちょっと……何これ? これじゃあ、まるで大統領のリムジンじゃない! こんなものに……乗り込むわけにはいかないわ)
運転手はポケットから鍵を取りだし、リムジンのトランクを開け、さっさとスーツケースを収納してしまった。
次に横に回ると手袋をした手で後部座席のドアを開け、私が乗り込むのを無表情に待った。
私はためらった。
ドアを持って直立不動の姿勢を崩さない運転手の無言の威圧に、負けた。
私が乗り込むと、運転手はドアを外から閉めて、運転席の方に歩いて行った。
運転席と後部座席の間には、曇りガラスの仕切りがあった。
運転手が乗り込む気配は感じられたが、姿を見ることは出来なかった。
リンカーン・タウンカーは、まるで連絡船が埠頭を離れるように、静かにバックし、方向を変えると、空港駐車場出口の方へ走りだした。

もちろんリムジンに乗るのは初めてだ。
リムジンの内装は黒を基調としていた。
壁に沿って、ナイトクラブにあるような長いソファ・シートが、コの字に配置されている。
その向かい側には、ケバケバしい金色のカクテル・バーがあった。
黒い円筒形のアイスバケツが、二つ置いてある。
シャンパン・グラスも並んでいる。
天井は柔らかい光で照らされていた。
空港からケアリー・エアポート・エクスプレスに乗るつもりでいた自分としては、思いがけない展開だった。
(ひょっとして私、マフィアに誘拐されているのかしら?)
急に心細くなった。
私はだだっ広いリムジンの中の、一番後部ドアに近い隅っこに、半ばお尻を浮かせながら座っていた。
「すべてOKですか?」
「キャッ!」
突然、スピーカーから運転手の声がしたので、悲鳴を上げてしまった。
「ええ……あ、ありがとう」
旅慣れたヤング・レディを装っていたのに、地が出てしまった。
運転手は後部座席のマイクのスイッチを切るから、何か必要なときは壁に埋め込まれているコール・ボタンを押してくれと説明した。
室内を見回すと、なるほど壁に運転手の絵が描かれた白いボタンがあった。
(脅かさないでよ)
ショックが収まると、腹が立った。
(でも……何だって私はこんな豪華なリムジンに乗っているのかしら?……先方は、私の事を勘違いしているわ)
そう思うと、今度は自分の今回の旅行が、軽率だったのではないかと、別の不安が頭をもたげた。

私はここ二週間のうちに自分の身に起こった出来事を思い出していた。
きっかけはイアン・ロバートソンだ。
ロバートソンは東京ではちょっと名の知れたヘッドハンターだ。
私の勤める山喜証券国際部からも、彼の仲介で、沢山の男性社員が引き抜かれて、外資系に転職していった。
ヘッドハンターという微妙な立場のくせに、図々しく会社に電話してくるのが、アイツの特徴だ。
「大島さん、おねがいします」
「大島は今、外出中です。お電話のあった事を伝えておきます。念のために、お名前を頂けますか?」
「あ、結構です」
思わず吹き出しそうになった。
「実は私、あなたが誰だか見当がついています、ロバートソンさん」
それを聞いて開き直ったロバートソンは、思いがけない提案をした。
私に会ってみたいという。
山喜証券で、およそ英会話の出来る男性社員は、みんな外資系に引っ張った。だから次は女子社員に手を広げたいというのだ。
「私は入社したばかりだし、やっている仕事は単なる男性社員のアシスタントです。そんな自分でも、いいのですか?」
ロバートソンは私の英語を聞いて、前から狙いをつけていたそうだ。
英語が少々出来ても、実務の経験を積んでいなければ、スカウトの対象としての価値はない。
そんな基本的な事もわきまえずに、よくヘッドハンターが勤まるものだと呆れた。
本人に会えば、私に会うのは時間の無駄だということを、この男は悟るに違いない。
しぶしぶ会社の帰りに指定された神田の喫茶店に出向いた。
ロバートソンは髪をきれいにバックになでつけた、中年の紳士で、紺色のダブルのスーツを着ていた。
「私はコーヒーをもらいます。裕美さんは何がいいですか?」
その質問を無視して、なるべく失礼な口調で喋った。
「最初にハッキリ断っておきますが、山喜証券に採用してもらった恩があるし、転職する気は全くありません」
ロバートソンはそれを聞くと笑顔になった。
「裕美さん、英語、お上手ですね」
「そんな事、関係ないと思います。だって転職する気、無いのだから」
「でも発音、いいじゃないですか」
「英語が上手いのは高校の時、交換留学生としてニュージャージーのショートヒルズに住んでいたからで、それは自慢するような事ではありません」
「交換留学していたのは、何年から何年までですか?」
ロバートソンは私の経歴を訊きながら、それを手帳にメモしていた。
「大学どちらですか?」
「小平女子大の英文学科です。あの、私は本当に男性社員のアシスタントや、お茶汲みをしているだけです。ヘッドハントの対象に、なるわけないと思いますけど」
「それは私が決める事です」

それから一週間ほどして、また呼出された。
もう勘弁してほしいと言ったが、拒否できないような好条件の話だと、彼は譲らなかった。
「金融関係の人間が少なく、人目に付きにくい渋谷のフルーツパーラーにしましょう」
待ち合わせの場所で私が席に着くなり、ロバートソンはスッと封筒を差し出した。
「開けてみてください」
中にはビジネスクラスの航空券が入っていた。
「次の金曜日、建国記念日でしょう? 日本は休みだから、木曜日におなかが痛いといって早退し、その足で成田に行って下さい。金曜日に、ある企業と面接して、その夜はブロードウェイでミュージカルでも観て、翌日の便で帰ってくれば良い」
単刀直入だった。
(そんな無茶な。この人、私に転職する気が全然ないことを、わかっているのかしら?)
第一、会社がすんなりと休ませてくれるとは思えなかった。
「今回、あなたに興味を持っているショーンフィールド&サンズは、今、すごい勢いです。彼らは高利回り債のトレーディングで有名ですけど、事業の必要性から株式部も大幅に増員しているところなのです。海外展開は出遅れています。日本人を採りたがっている」
ロバートソンの説明を持て余し気味に聞き流していたとき、ふっと他の考えが浮かんだ。
(ケビンに会えるかもしれない)
自分でも予期せぬ心の動きだった。
ケビンはホームステイ先のホストファミリーの長男である。
いや、正直に言えば、私の初恋の人だ。
ロバートソンと神田の喫茶店で会った日、家に帰ってからニュージャージーに交換留学していた頃の写真を久しぶりに眺めた。
透明なビニールのカバーのついた分厚いフォト・アルバムをめくるごとに、甘い思い出がよみがえった。
写真の半分は高校の友達と撮ったものだ。
残りはケビンと、その家族と一緒に撮った写真だった。
フォト・アルバムを見終わると、今度は高校のイヤーブックも見たくなった。
イヤーブックとは日本でいう卒業アルバムだ。表紙に『ミルコート高校1980年度卒業生イヤーブック』と印刷されていた。
あれからもう六年。
もう一度、ケビンに会えるだけでも……この話は渡りに舟ではないか?
「わかりました。じゃあ面接してみます」
気が付いたら、後の祭り。
もう返事をしてしまっていた。

リムジンが揺れた拍子にアイスバケツの中の氷が「カチャッ」と音を立てて溶けた。私は現実に引き戻された。
リンカーン・タウンカーは、いつの間にかグランド・セントラル・パークウェイからロングアイランド・エクスプレスウェイに進路を変えていた。
懐かしいエンパイアステート・ビルやワールド・トレード・センターが見える。
私の心臓は高鳴った。
降下する感覚とともにリムジンはクイーンズ・ミッドタウン・トンネルに入って行った。
車がマンハッタン側に出ると、交通がよどんだ。
リンカーン・タウンカーは、しんどそうに右に左に舵を切り、ようやくエセックス・ハウスの前に横付けた。
エセックス・ハウスは、なるほどセントラルパーク・サウスという一等地にある高級ホテルには違いなかったが、ロビーはどことなく空間の釣り合いがとれておらず、ロケーションを生かし切れていない気がした。
内装は良く言えば歴史を感じさせるものだが、それはつまり、そろそろリニューアルする必要があるということだ。
フロントで名前を告げ、パスポートとクレジットカードを差し出した。
フロントの男性は「クレジットカードは要りません。部屋の代金はショーンフィールド&サンズ持ちですから」といった。
チェックインを済ませると、ベルボーイと私はエレベーターに乗って部屋に向かった。
部屋の前に着くとベルボーイは大きな鍵を回して部屋のドアをあけた。
ベルボーイが(どうぞ)というしぐさをしたので、私が先に入った。
(えっ)
何かの間違いかと思った。
そこはセントラルパークを一望する、広々としたスイートだった。
ドアを入ったところは応接セットのある部屋で、その先にベッドルームが見える。
ベルボーイは私のスーツケースを運び込むと、部屋の説明をはじめた。
暖房の調節の仕方、ベッドの照明スイッチの使い方、そしてベッドルームの奥にある、普通の家のリビングルームほどもある化粧室兼バスルームを私に見せた。さらにヘアドライヤーが引き出しの中に入っていること、予備の枕と毛布のある場所などを説明した。
ベルボーイにチップを渡した後、窓辺に立つと、セントラルパークのスケートリンクが見えた。
公園の木々は雪におおわれて白かった。
セントラルパークの遠くの方は、ただ長方形の真っ黒な空間が広がっていた。
公園を両脇から挟む、アッパー・イースト・サイドとアッパー・ウエスト・サイドのビルの照明がオレンジ色に浮かび上がっているのに対して、それはまるでブラックホールのような対比をなしていた。
窓を開けると、冷たい風とともに、スケートを楽しむ人たちの歓声が部屋に飛び込んできた。
ブルッと身震いして窓を閉めた。
ベッドの枕の上に置かれたミントのチョコレートを拾い上げた。
その包装を開けて、角を少しかじった。
ベッドサイドに腰掛けて、バッグから手帳を取り出し、受話器を取ってケビンの番号を回した。
「ケビン? 裕美です。いまニューヨークに着いたわ」

『いきなりニューヨークで面接しろと言われても、困ります』は2012年に発表したトレンディー・ドラマ仕立ての小説です。投資銀行、ドレクセル・バーナム・ランベールの崩壊を下地にしています。ティーザー(ちら見せ)連載ということで、小説全体の3分の1程度を、毎日更新することで無料公開します。