いきなりニューヨークで面接しろと言われても、困ります

第二章

昨夜は旅の疲れで夕食を取る気にならなかった。
交換手に朝の目覚ましの電話を予約すると、すぐにベッドにもぐり込んだ。
でもリムジンやセントラルパークを一望するスイートなど、別世界のような贅沢に囲まれ、緊張から一睡も出来なかった。
まずいなぁと焦っている間に、朝である。
大学生の時、就職活動のために買った濃紺のリクルート・スーツを着た。
もとよりショーンフィールド&サンズに採用されるのが私の小旅行の目的ではない。
そういう意地があったので、お化粧はなるべく簡単に済ませて、コートを着て部屋を後にした。
指定された七時半に会社に着くように、ホテルの前でタクシーを拾った。
「ブロード街六十番地」
タクシーはイーストリバーを見渡すフランクリン・ルーズベルト・ドライブを、ダウンタウンに向けて走り、マンハッタンの南端を回るとブロード街に入った。
タクシーを降りて、歩道と車道の間に残っている雪を何気なく踏んだ。
(あっ、冷たい!)
残雪とおもった場所は下が深い水たまりになっていて、飛び上がるほど冷たい水に、くるぶしまで浸ってしまった。
さらに悪いことに、水を吸ったハイヒールは、歩くたびに「プシュッ、プシュッ」と情けない音を立てた。
(こらっ! 静かになさい)
そうハイヒールに命令しても、ハイヒールは言う事を聞かなかった。
ショーンフィールド&サンズの本社ビルのロビーに入ると、天井にまで「プシュッ、プシュッ」という間抜けな音が響く。
回りの人々が、私の方をへんな顔で振り向いた。
(もう、死にたい)
恥ずかしさで顔が火照った。
エレベーターに乗って指定された十七階に行くと、受付があった。
長いブロンドの髪をした黒いセーター姿の受付嬢に来意を伝えると、後ろのソファで待つようにと言われた。
受付のフロアは板張りで、壁にも木目のパネルが張り巡らされていた。
照明を落としたその部屋には、大きな黒い革張りのソファがあった。
私はそのうちのひとつに腰掛けて、ずぶ濡れになったハイヒールを点検した。
壁には抽象画が掛けられていた。
私の位置からは受付嬢の背中が見えた。ヘッドフォンを付けた彼女が、次々に電話をさばいているところを見ると、交換手の役目も兼ねているに違いない。
それに受付のデスクの下に隠されたボタンをひっきりなしに押している。分厚いドアを、人が通るたびに遠隔的にロック解除しているのだろう。
そのドアが開くたびに、トレーディング・ルームのざわざわした音が聞こえてきた。
私が待っている相手は、なかなか現れなかった。
(時間、間違えたかな?)
不安になった。
三十分ほどして受付嬢が私の方に振り向き、彼はいまミーティング中なのでもう少し待って下さいと私を安心させた。

うとうとしてしまったのかも知れない。
誰かが私を呼んでいるような気がして、うっすら目を開けると、受付嬢と男が小声で立ち話していた。
私はハッとして正気に返った。
寒いところから暖かいところへ来たせいと、昨夜、時差ぼけで一睡も出来なかったことで、ぐっすり寝てしまったようだ。
「フランク・モリスです。待たせてすみませんでした」
男はにっこりしながら握手を求めてきた。
「ご、ごめんなさい、私ったら」
私は慌てて立ちあがろうとした。その時、水を含んだハイヒールが足に喰い込んで、激痛が走った。
(痛い!)
よろけながら、何とか立ちあがって、握手した。
そのぶざまな様子を見ていた受付嬢が、こらえきれず「ぷっ」と吹き出した。

フランクは小さな会議室に私を案内すると「お水は要りますか?」と聞いた。
私が「おねがいします」と言うと、どこかへ消えて、すぐにまた戻ってきた。
紙コップを二つ持っていた。
差し出された水を、ひとくち飲んだ。
やっと頭のモヤモヤが晴れた思いがした。
ロビーで握手したときは、寝ぼけていたので気がつかなかったが、フランクは四十歳前後の、ちょっと童顔の紳士だった。
マナーは礼儀正しく、リラックスして、これっぽっちも威張ったところが無い。
フランクは私が落ち着いた頃合いを見計らって、面接を始めた。
「どのくらい今の会社に勤めているの?」
「山喜証券に入社して、この四月で一年になります」
「英語はどこで?」
「高校の時、ニュージャージーのショートヒルズのミルコート高校に交換留学しました」
「ミルコートなら、良く知っている。学生時代にレスリングやっていたからね。あそことは、よく交流試合をやったよ。いい高校だ。で、大学は?」
「小平女子大です。専攻はアメリカ文学でした」
「いまの仕事は?」
「男性社員のアシスタントです」
「株式営業の経験は?」
「ありません」
「アメリカ文学はどんなものを勉強したの?」
「卒論はアイン・ランドの『水源』に関して書きました」
「ほう。なぜそれを選んだの?」
「主人公の、自分の主義を曲げない姿勢が好きだからです。私には主人公のような才能は無いけれど、自分の信ずるところに従って、真っ直ぐな生き方をしたいと思いました」
「ハワード・ロークだったっけ?」
「そうです! あれぇ……本、読まれたのですか?」
私は思わず大声を上げて、なれなれしい言い方をしてしまった。
「あなたはおもしろい人だね」
フランクは「トレーディング・ルームを案内しよう」と提案した。

彼に連れられて、怒号が飛び交うトレーディング・ルームに入ると、男性社員が一斉に私の方を向いた。まるでハイエナの巣窟にウサギが一匹投げ込まれたような具合だ。
私を見てあんぐり口を開けている男、口笛を吹く奴、私をじろじろ見ながらニヤニヤしている男、そいつに向かって紙つぶてを投げるトレーダーもいる。紙つぶてがそいつの頭に命中したとき「ポコン」という音がしたので、トレーディング・ルームが笑いに包まれた。
「ここは動物園だ」
フランクは笑いながら私にそう言った。
フランクはトレーディング・ルームの中央に座っている女性のところへ歩いて行き、言葉を交わした。
その女性は、となりのデスクの上に貼られているメッセージを幾つか指差し、フランクに何かテキパキ説明している。
彼女は白いシルクのブラウス姿だった。
襟は立ててあった。
首からはエルメスの青いスカーフが垂れていたが、結び目は既に解けていた。
栗色の髪は低い位置でしっかりとポニーテールに束ねてあった。
きびきびした身のこなしで電話や伝票をさばくたびに、そのポニーテールが左右に躍動した。
フランクは「ちょっとお札が散らばっているのでこれを処理しないと」と断ると、デスクに座り、次々に電話しはじめた。
フランクと言葉を交わしていた女性が私のところへ来た。
「私、メアリーベスよ。フランクのアシスタントです。今日のお昼だけど、ザ・ストック・エクスチェンジ・ランチョン・クラブでフランクと昼食という事でいいですね?」
もちろん、私は昼の予定は無かった。
「ボスはあなたの事、気に入ったみたいよ。フランクがザ・ストック・エクスチェンジ・ランチョン・クラブで食事する面接者は全員採用になるの」
メアリーベスはそう小声で私に耳打ちして、ウインクしてみせた。
メアリーベスは数歩自分の席に帰りかけて、何かを思い出し、クルッと向き直ると、私の方へ戻ってきた。
「あ、それから余計なことだけど、もう一つだけ」
そう言うとメアリーベスは私の耳のそばで、とりわけ小さい声で囁いた。
「ランチョン・クラブには女子トイレがないの。つい数年前まで女人禁制だった名残よ」
「わかりました」

ショーンフィールド&サンズの本社ビルから北に歩くと、ニューヨーク証券取引所はすぐ隣のビルだった。
ザ・ストック・エクスチェンジ・ランチョン・クラブはその七階に入っていた。
ここは一見すると普通のレストランのようだが、メアリーベスの説明では、誰もがおいそれと出入り出来る場所ではない。ニューヨーク証券取引所の正会員でなければ入れない会員制クラブだ。但し、会員と同伴であればゲストを連れて来る事は出来る。
エントランスホールは円天井になっていて、レストランに到着する客のざわめきが、心地よく反響している。
譜面台のように傾斜した背の高いデスクがあり、白い制服姿の白髪のマネージャーが、そのデスクに広げられたゲスト・リストで会員の予約を確認していた。
ダイニング・ルームは白壁で、下半分は板張りになっている。
その印象はファッショナブルというにはほど遠く、むしろ歴史のある大学の図書室のようだった。
天井の照明は白い球状のランプで、天井と壁との間には緑と金のストライプの縁取りがあった。
ダイニング・テーブルには白いシンプルなテーブルクロスがかかっており、椅子は質実剛健とした茶色の革張りだった。
フランクと私が案内された席は、ダイニング・ルームの一番端の、窓際だった。
窓の外には二階建ての、重厚なビルが見えた。
「あそこに見えるのはウォール街二十三番地といってね、JPモルガンの本社だったところだ。その向かいはフェデラル・ホールだ」
JPモルガンのビルの屋上は雪をかぶっていた。
あちこちから暖房のスチームの、白い蒸気が立ちあがっていた。水墨画のような摩天楼の光景に、思わず見とれてしまった。
フランクは自分がつい最近、他の証券会社から引き抜かれてショーンフィールズ&サンズの株式部長になったことを説明した。
そしてチームの半分は、着任後、自分が雇い入れたメンバーだと言った。
ショーンフィールド&サンズがウォール街最強の高利回り債部門を持っているお陰で、M&Aや株式の引受業務にも相乗効果が出ていると説明した。
「ところで私の趣味は空を飛ぶ事です。ロビンソンという二人乗りのヘリコプターを操縦しています」
あまりにも自分とは世界が違うのでどう返答して良いか戸惑った。
フランクはそんな私の気持ちを察したのか、次のように続けた。
「お金持ちの道楽と思われるかも知れませんね。でもそのヘリコプターはキットで販売されていて、整備士なら自分で組み立てられるのです。安いんですよ、キットで買うほうが。いま乗っているヘリコプターも自分で組み立てました。私はもともと父が航空機の仕事をしていたので、大学を出た後、アフリカ大陸で中古飛行機のブローカーをやっていました。その時に飛行機の修繕や組み立てを父から習ったのです」

食事を終えてショーンフィールド&サンズのオフィスに戻ると、メアリーベスが私を人事部のマリアンと引き合わせた。
マリアンとメアリーベスは幾つかの確認事項を私に質問した。
「オファー・レターは今日渡せるといいのだけど、後日郵送します。それが社内のルールですから」
その言葉で私の採用が決まったことを、なんとなく悟った。
三時にエセックス・ハウスに戻ったら、疲れがどっと出た。
六時に目覚ましコールを頼むと、ベッドに倒れこんで寝た。


『いきなりニューヨークで面接しろと言われても、困ります』は2012年に発表したトレンディー・ドラマ仕立ての小説です。投資銀行、ドレクセル・バーナム・ランベールの崩壊を下地にしています。ティーザー(ちら見せ)連載ということで、小説全体の3分の1程度を、毎日更新することで無料公開します。


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